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製作に関する報告書

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また柴田氏やほかの人々についても私は最後の最後まで尊敬も共感もできませんでした。彼らがまともで、私がまともでないのか。それとも私がまともで彼らがまともでないのか。私にはいまだに判然としません。いずれにせよ今では思うのです。彼らはKID時代にあまりにも甘やかされていたのだ、と。実力もないのに横車の押し放題。他人の権利で良い思い。偉そうに説教を垂れ、イベントで耳目を集め……それで構いませんが、そうやっているうちにKIDはなくなってしまった。自分たちの能力を誇るのは結構ですが、現実は彼らの存在を許さない。時代はめぐるのでしょう。
  
さて長くなってしまいましたが、以上が私が見た5pb.という会社とメモオフ6における顛末の一部始終であります。もちろん、彼らには彼らの言い分はあると思うのですが、一方で、私はできるだけ自分の記憶に正確に筆を進めてきたつもりです。真実は人それぞれにありますし、私の記憶には当然悪い偏見が含まれている。ですから、私の手記を読まれる方は、七割がたさっぴいて、私の意見ではない事実、たとえば、
 
 『TYOは子会社が三年連続で赤字を出すと支援を打ち切る』
 
 というような部分だけを拾い読むことをお勧めします。
 
 
 まとめ
  
 ここまでの手記を書いたのは実は2008年の6月。2年も昔のことなのです。その時はまだ5pb.はTYOの傘下にありました。けれどその段階ですでに5pb.という会社には死相が現れていました。
 
『このスタッフ、この組織、この社長では長くもたない』
 
というのは判りきっていましたし。というか、本当であれば、2008年の9月に5pb.清算されるべきだったのだと思います。ですがそうならなかった。
 
 『黒字だが先行投資に耐え切れない』
 
 というTYOの5pb.、朱雀を放逐する際の言い訳もよく考えるとは意味が判らないのです。黒字であればグループに残しておけば良い。というか、黒字に持っていっても結局切られるのでは子会社のモチベーションはあがらない(本当に2008年度、5pb.は黒字だったのですかね)。
 
 『口ばかりうまい詐欺師のような男』
 
 というスタッフの志倉氏への陰口を私は確かに聞いていますが、そのような詐欺師の技能をもってしても社会情勢には太刀打ちできなかったということなのか。
 
 いずれにせよ昨年4月半ばに5pb.はTYOグループから叩きだされてしまいました。そして一年間さまよった挙句に別の会社の子会社になった。子会社から孫会社へ。それが会社として、個人として『成功』であるのかそうでないのか私には今の段階ではよくわからないのです。
 
 『新しいパトロンが見つかってラッキー』
 『社員はこれまで通りと同じ額のサラリーが保証されてハッピー』
 
 ということなのか。何も変わらずこれまでどおり。そんなことが通るのか。クリエイターは何をしても許されるのか。どうもそんな感じではないのですが、そう考えるのは私が悲観的だからなのかもしれません。
 
 何度も繰り返しますが5pb.という会社は志倉氏の業界内での名声を維持するただそのためだけに存在する組織であったと思うのです。あるいは志倉氏に欠けている音楽的な才能を補完するための上げ底。TYOあっての5pb.5pb.あっての志倉。シークレットシューズとも言えます。そんな志倉氏にとっては三年で黒字にならなければグループからたたき出されるというTYOという組織の縛りは重荷だったはずです。親会社がなければ志倉氏はその程度の人。しかも大事なのは自分の体裁、体面ばかり。業界内で嘲笑を浴びて立場を失うことは彼にとって苦痛なはず(私は負けて知ることも大事だと思いますが)。だから社長業はなんとしても守りたい生命線。ただ、本文でも書いたと思いますが5pb.は立ち上げたその一年目から赤字でした。音楽部門は赤字。失礼を承知で申し上げれば、志倉氏の楽曲、あるいはイベント活動はまったく利が出ない、そういう体質だった。2ちゃんねるで、

『5pb.はレコード部門は黒字なんだから』

という書き込みを度々見かけましたが、誰が何を根拠にそんなことを書いておったのか。2008年度まではレコード部門は連続3年赤字であったと私は聞いていますし、決算書にもそう書いてある。『未達』と。一度も黒字になったことはない。で、あるからこそのゲーム事業の増設だった。本業で赤字、そのことに悩み、3年ルールに焦った末の事業拡張。ゲーム部門を作ればなんとかなるのではないかという苦肉の策だったのではありませんか。ちょうどKIDも潰れて人材は余っていましたし、ですから志倉氏は決断した。ゲーム部門を作ったのは戦略的なものでなくて、あくまで場当たり的な施策だったのでしょう。

今になって思いますが、ゲームに対する愛情であるとか熱意のようなものは本当は志倉氏にはなかったと思います。本当にそれをしたいと思えば、代官山と中目黒と仕事の拠点を二つも作る必要、ないですから。一つに統合して自分の目の届かないところを作らないようにする。まともな経営者であればそうする。でもそうしないのは、本質的には志倉氏はオタク上がりの社員、自分の部下を、

『不細工で気持ちの悪い奴ら』

と、馬鹿にしていたから。同じ空気を吸いたくなかったのでしょう。それとも他に何か理由があったのか。親会社から切り飛ばされた分際で二つもスタジオを維持し続けるというのも随分と無駄遣いだと思うのです(風俗店の経営については正確には知りません。もしもこちらで利益が出ているのであればいっそ風俗店だけにして音楽もゲームも止めてしまえばよかったと思います。もっとも風俗店については経営から手を引いたのか、ホームページから『リアル店舗運営』の記載が何時の間にか消されてしまいましたが)。

5pb.のビジネスモデルについては(ビジネスといってもまともな利益は出なかったようですが)手記でも指摘した通りです。私は外部の人間ですから正確なことは把握していません。ただ、どうも話を総合すると、やはり、

『自社でのゲーム化と作曲のバーター取引』

というのが志倉氏の戦略だった。タイアップというよりもバーター。これも何度も書いていることですが、

『アニメのゲーム化権利を買うかわりに自分の楽曲を押し付ける』

わけです。自分の名声を高めたいがために権利を買う。自分の楽曲をアニメ番組に起用させるその見返りとして権利をもっている人間にゲームの権利金を支払う。楽曲という仕事を取りたいがために、ゲーム部門から権利金を製作会社に支払い続ける。ただ、そうやって取ってきた音楽の仕事で利益は出ない。完全に虚業。アニメの権利保持者であるとかゲームの権利保持者から要請要望があっての仕事ではない。ゲーム部門は志倉氏が作曲家ごっこをするための餌。この辺りをもう一度判りやすく書くと多分こうなるはずです。

?志倉、個人ではテレビアニメ等の仕事は取れず。そこまでの実力はなし。志倉へのオファーは通常、ありえない
?志倉、社長業+TYOの威光をバックに受注を試みる。だが威光だけではまだ権利保持者を納得させることができない。
作品名:製作に関する報告書 作家名:黄支亮