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製作に関する報告書

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5pb.に関する雑記。

古いトラブルのこと、そこで出会った人々のことを書くのはあまり好ましいことではないのかもしれませんがやはり総括は必要だと思うのです。私の経験が共通の知識になるのであればそれは公表したほうがいい。現実に起こった出来事をどのようにしてむべやまかぜをという作品に落とし込んだかというそういうやり方を記しておくのも若い志望者の方の役に立つかもしれませんしね。つまらない揉め事も何かの役に立つ。ですから彼らのことを書いていこうと思うのです。しばらくの間ですがお付き合いいただければ幸いです。




まず最初にこの文章を読まれる方に申し上げておきますが、人の数だけ真実というものあるのであって、ですから、私の語ることはあくまで私の見解でしかありません。
私の語ることは私にとっては真実ですが、それは事実とはかけ離れている。偏見がありますから。私の言うことは正しいけれど同時に間違ってもいるでしょう。逆に私がこれ以降に書き記す5pb.関係者にも彼らなりの真実があって、それもまた正しく、同時に間違っている。ですから繰り返しになりますが、この手記を読まれる方は以下の点を是非留意していただきたいと思うのです。
 
これは偏見に満ちた一方的な記事であり、それほど信用に値するものではない。
 
ただ、そうは言っても、私もなるべく自己弁護をすることなく、事実を正確に記していこうとは思っているのです。 
 
そもそものお話はKIDという会社が潰れるところから始まります。私は、当時、某社の編集さんから、FDJ(SDRプロジェクト)という会社を紹介されて、そちらに助っ人して貸与されておりました。私はこのFDJの社長である市川和弘氏の下で携帯電話のゲームを作ることになります。FDJはKIDという会社の下請けで、開発をこちらで担当している。そのようなお話だったと記憶しています。
 
その市川氏ですが、私が見たところこの人は穏やかでな人物のように思われました。もっとも、私は彼とそれほど深く話をしたわけではありませんし、私は単なる外注でしかありませんから、市川氏の内面深くにまで入っていくことはできませんでした(そんなことをする必要もありませんでしたし、またそのようなことをするのは失礼でもあったでしょう)。ただ、何回かお会いしたときにですが、
 
『作品の権利をどんどん売り払って、制作費を捻出している』
 
というようなことをさらっと言われたことがあって(これはKIDの版権をシンプル2000に流しているとそういう意味だったようです)、そこで、
 
『そんなふうにして権利を簡単に売ってしまっていいのだろうか』
 
と、なんとはない違和感を感じたことだけは今でも覚えています。権利は大事もので、ですから、簡単に手放して良い物ではない。私はそう思っていたのですが、割合にそのあたり、KIDの人……というよりも、市川氏は呑気でした。というか今にして思えばですが、その時すでにKIDという会社は左前で、自転車操業が続いていたのでしょう。ただ、末端の私にはそのようなことはまったく知らされておりませんでした。ですから、私は何の警戒も不安もなく、市川氏から仕事を請け、そして、当然のようにKIDの倒産に巻き込まれることになったのです。

今でも覚えていますが2006年の十月末だったと思います。私はKIDの倒産を知人のブログで知り、そこですぐに市川氏に連絡を入れました。私も仕事を請けていましたし、いくらかですが債権がありましたから、かなり困ったことになっていたのです。そして、そこで市川氏から、
 
『KIDは自己破産をした。社長が病気になり、銀行の融資を止められた。FDJも六百万円の債権がある。これを回収するのは現時点では難しい』
 
というようなことを聞きました。また、
 
『自分も肺をわずらって長く入院していた』
 
というようなことも知らされました。ただ、当時SDRでは12RIVENという作品を制作中であり、ですから、その権利をいろいろな会社が欲しがっていて、であるから、下請けとなる会社の(少なくとも市川氏のFDJは)存続は可能であろうとそういうことでした。
 
『自分と打越氏(12RIVENのシナリオ担当)がいればどこででも通用するから大丈夫』
 
そのような自信が市川氏にはあったようです。
 
『KIDの版権については管財人が入札をする。二束三文で安いものだからそれを買い取ればいい。現に知り合いの某社が、その方向で動いている』
 
とも市川氏は言っておりました。私としては、私の債権を何とかしてくださればそれでいいわけで、ですから市川氏と市川氏の語る某社が頑張ってくれることを祈るばかりでした。ただこれは、読者の皆さんはもうご存知だと思いますが、市川氏と市川氏が組んでいる某社が入札で権利を買い取ることは出来ませんでした。権利はサイバーフロントという会社が買い取ることになったのです。しかもKIDの社長であった市川社長(市川和弘氏とは別の方です。市川久祥という方です。血縁関係にはなかったようです)はサイバーフロントに拾われることになります。何があったのかは存じ上げませんが、これは上のほうで話がついていて、理解していないのはFDJの市川和弘氏や、KIDの社員、後に私と衝突するプロデューサーの柴田太郎氏やグラフィックチーフの相澤こたろー氏といった末端社員だけだった、とそういうことだったようです。結局、馬鹿を見るのは現場。もっとも、だからといって、私はサイバーフロントの人たちやKIDの社長を悪く言うつもりはまったくありません。一時、某掲示板などでは、サイバーフロントのことをくさすような文言、書き込みがありましたが、私が見たサイバーフロントの社員さんたちはそんなにおかしな人でもなければ極悪な人々でもありませんでした。一方でKIDの元社員が素晴らしい聖人君子かというとそういうこともありませんでした。むしろ、私の見た限りですが、
 
『彼らがこのように落ちぶれていくのは当然』
 
な人々だったのです。もっとも、当時はそのような事情は分かりませんでしたから、私も心情的には、KIDの社員よりだったのです。
 
 2
  
とにかく、そういった次第でKIDの人々はあるものは独立し、あるものはサイバーフロントに行き、と散っていったようです。そして、メモオフ、メモリーズオフという作品に関わる人々を初め、現場の多くの人が合流したのが市川和弘氏の後ろ盾となった音楽会社、5pb.でした。ちなみに私の金銭的な負債はサイバーフロントが引き受けてくださいました。ですから、私は、その時は深く意識はしていませんでしたが、サイバーフロントという会社に大きな恩ができていました。また、情の部分でもそうなのですが、権利の面でもサイバーフロントのほうが5pb.よりも上。私にしてみればどちらの意向を大切にするかは最初から疑う余地もありませんでした。権利を持っている者のほうが持っていないものよりも強い。下請けの社員に意味がないとは申しませんが、権利には勝ち得ない。私はそう認識していましたし、今でもその認識で正しいと思っています。
 
作品名:製作に関する報告書 作家名:黄支亮