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製作に関する報告書

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とにかくここまでがKID倒産から2007年初めぐらいまでの出来事のあらましです。FDJの市川氏やプロデューサーの柴田氏は、5pb.で立ち上がった5gkという部門で活動をはじめておりました。ちなみに5gkとは、
 
『5 game KID』
 
の略であるとあとで教えてもらいましたが、これは、
 
『俺達こそが本当のKID、本家であるのだ』
 
という宣言だったのでしょうか。実際、メモリーズオフ・アンコールの製作はKIDを解雇された人々の手により5gkで続けられておりました。このあたりの権利関係のこと、私には正確には分かりません。ただ、相当おかしなことではあったと思います。潰れた会社の版権を買い取った会社が別にあり、潰れた会社の社長もそこに拾われている。そことは別の組織で、潰れた会社のスタッフが、
 
『俺達こそが正当唯一の後継者。俺達こそKID』
 
と喚いて潰れた会社の作品を意地になって制作している。私がサイバーフロントの首脳であればおかしな連中であると首をかしげただろうと思うのです(そしてこれは余談ですが、結局のところ5pb.に流れた人々の努力や意地とは無関係に、メモリーズオフアンコールの収益は結局全部サイバーフロントに吸い取られてしまい、5pb.は赤字になってしまったということでした)。いったい誰が、
 
『5gkにしよう』
 
などと言い始めたのかは存じませんが、あまりにも幼稚で常識をわきまえない愚かな判断だったと思うのです。実際、後に、5pb.の上層部とサイバーフロントの間で手打ちがなって業務提携が決まると、5gkという5pb.のゲーム部門名はあっという間に吹き飛んでしまい『5pb. games』に変更させられてしまいました。本当に半年も保たない短命な名前だったのです。いずれにせよ、私はこの変更は、
 
『5pb.の社長は、社員のプライドであるとか意地というものよりは、サイバーフロントの付き合いを大事にする』
 
という宣言と捉えましたが、現場の人はそのようには見ておらなかったのかもしれません。とまれ、この頃は私は、5gkとも、また元FDJ社長市川氏ともそれほど密な付き合いもなかったですから、
 
『まあ、好きにやればよろしい』
 
ぐらいにしか思っていませんでした。私も私で個人でやっていますからいろいろと忙しかったですし。
 
 3
 
さて、そのような状況が動き始めるのは2007年の夏ぐらいからだったと思います。先に動いたのはサイバーフロントのほうだったと思います。市川氏の部下だったW氏がこちらのほうに移っていて、このW氏のほうから、
 
『こちらで携帯サイトでオリジナルのメモオフを作りたい』
 
というような話を戴いたのです。私は、そういうことであればと引き受けました。
 
『今までのメモオフとの互換はなし。タイトルは貰うけれど、キャラなどはオリジナル。ゲームのシステムも従来のメモオフとは違って、シミュレーションゲームに近い』
 
W氏の説明はそのようなもので、ですから、私もそれに従うことになります。一方で、私は元FDJの市川氏からもお話を戴きます。
 
『メモオフ6のシナリオを担当して欲しい』
 
私はこちらも引き受けました。私は市川氏とW氏の間にはある程度のコミュニケーションがあるのだろうと思っていましたし、ですから多少の遊びを入れることにしました。つまり、双方のゲームに出てくるキャラの名前を適当にリンクさせて、携帯のお客を6に流し、あるいは、6のお客を携帯に流して、そうやって、双方のセールスに少しでもプラスになるようにと考えたのです。私の意見はこうでした。
 
『残酷なようだが社内クリエイターにとっては倒産は一発レッドで退場である。若い人であればともかく、年をとっている人たちにとっては、それはもう死刑宣告である』
 
ですから、本当にメモオフという作品を生かしたいと思うのであれば、そこに携わっている人、プロデューサーの柴田太郎氏を初めとしてスタッフは全員を配置転換などにするべきだと思っていました。と、いうか、私は、多分スタッフの皆さんは引け際を知っていて、
 
『作品と会社に多大な混乱を与えてしまった。KIDという会社を支えきれず、作品の権利を入札で買い取ることすらできなかった。挙句に、5gkなどと常識に欠けるいきがった社名を僭称するなど権利を持っているサイバーフロントとの間に大きな混乱を生じさせてしまった。5pb.にも実害を与えてしまった。かくなる上は会社を去りたい』
 
と言うものだとばかり思っていたのです。実際、メモリーズオフ・アンコールは何とか発売までこぎつけたわけで、ですから、そここそが彼らがケジメをつける絶好の機会だったと私などは思うのです。そこで辞めておけば(もちろん慰留はされたでしょう)彼らを受け入れてくれる場所はあったと思うのです。
 
『一度は死に掛けたメモオフをちゃんとやり終えて、製品にすることがかないました』
 
そうやって回れば、きっと彼らを高待遇で受け入れてくれる会社はあったはずです。あるいは、そこまでできないのであれば、
 
『もうメモオフはいい。それは誰かに任せる』
 
と会社内で配転を願うことも出来たと思います。とにかく私は作品というものは私物ではないと思っていますから、
 
『オレのメモオフ、オレのメモオフ』
 
と権利を主張するのは筋違いなことだと思うのです。
キャラを描いている輿水氏、あるいはプロデューサーの柴田氏、グラフィックチーフの相澤氏は、市川氏もそうですが彼らはことあるごとに、
 
『自分のメモオフ』
 
ということを叫ばれておりましたが、私に言わせれば、それは、ずいぶんと頭の中身がズレたことでした。彼らは、自分たちが、
 
『単なる下請け会社の一社員』
 
であるということを完全に失念していました。あるいは、
 
『俺たちが動かなければなんにもできないんだ』
 
というおごりにも聞こえました。確かに彼らには、作品を作ってきたという自負があったのでしょう。自分の人生がメモオフの歴史。そういう錯覚。ただそれは構いませんが、実際問題としてKIDは倒産し、彼らはその権利入札に失敗したわけで、そういう人間が、いまさらになって、
 
『オレのメモオフ』
 
と喚くのはやはり道理がありません。少し、筆が先走ってしまいましたので話を元に戻すとします。
 
とにかく、KIDのスタッフは自分たちの進退についてはまったく頬かむりをして、昨日と同じように高禄を食むつもりで一致していました。私は、当時は会社の内情について存じ上げませんでしたし、そこまで彼らが愚劣な人々とは知りませんでした。
ただ、繰り返しになりますが、メモオフという作品的がきわめて厳しい状況にあるということだけは、私も理解していました。
 
『セールス三万本。それが上からの目標数値』
 
とFDJの市川氏は言っていましたが、私にはその三万本という数字はとても遠く感じられました。
 
『アンコールという外伝的な作品でも二万本は行ったので、6はそれ以上になる』
 
というのが市川氏の予想でしたが、私はいいところ一万五千だろうと思っていました。毎度のことですが市川氏の見立ては、
作品名:製作に関する報告書 作家名:黄支亮