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185gの缶詰

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 私は缶詰をまじまじと見る。製造元が目に入った。今まで製造元の住所を見たことはなかったが、どうやらここから電車で三十分程度行った町にあるようだった。その近くには電話番号も書いてあった。どうしようか、と私は缶詰と金属片を見比べた。
 ふと、金属片を噛んだ時、じわりと滲んだにおいを思い出した。その時何故か私は、随分昔、夏に家族でした花火を思い出していた。色とりどりの火が私の手から噴出すあの時の光景が、赤、青、緑が混ざり合った鮮やかな火の色と、もくもくと辺りを包んだ煙が薄ぼんやりと私の脳裏を漂っている気がした。金属片をしばらく眺め、缶詰をくるくると手の中で回して、花火の想像にしばし意識を取られ、そして最後に何となく私は電話をすることにした。
 一人暮らしというのは、人との会話が少ない。普段の買い物は「いらっしゃいませ」「150円になります」「ありがとうございました」の繰り返しで、自分の気持ちというものを言う機会というものがない。友達とはメールが多く、直接話すことは最近あまりない。仕事においても自分の思っていることを言うよりは、事実だけ、もしくは事実に伴った意見だけを述べるに留まって、感情を出すという機会は驚くほど少ない。
 私の気持ちなど、実際の所誰も興味のないことだ。だけれど、お客様センターの受付の人が相手ならばどうだろう。それが肉の缶詰への苦情であっても、自分の今思っていることを聞いてもらえる、はずだ。彼らの仕事は客の感情を受け止めることだからだ。今まで苦情の電話というのはかけたことがないからわからないけれど。
 私は多分退屈していたのだ。
 日々バリエーションのなくなっていく食卓に。一人暮らしの孤独に。そしてどこか閉塞感のあるこの生活に。そうでなければ、私はそのまま金属片を黙殺してしまっていただろう。
 0120の番号を恐る恐る押しながら、私は脳内で何を言うかをぐるぐると考える。私個人として人と話すのが久しぶりで、私は話し方を覚えているのだろうか、と不安に襲われる。
 簡単なことのはずだ。「お宅の会社の製品に金属片が入っていたんですよ」と言えばいい。それからは? 「とても不快でした」「どうしてくれるんですか」と強い言葉で責め立てるのが、多分慣れたクレーマーのやり方なのだろう。ただ、実際私はそこまで強い気持ちを持っているわけではない。金属片が入っていたことは事実だが、不快を感じたわけではなかった。ただ何故か懐かしい花火の記憶を思い出した程度で、むしろ奇妙な動物を眺めたような、そんな不思議な気分を味わったに過ぎない。
 プルルルル、という呼び出し音が聴こえても、私は何を言おうか、何を私は言えるのだろうか、と頭の中をぐるぐると回ったままだった。正直、このまま受話器を置いてしまおうか、と考えさえした時に、受話器が取られた音がした。
「はい、K株式会社お客様相談センターでございます」
 淀みのない女性の声が受話器から響いた時、私はその女性の爪はきっと綺麗なマニキュアが塗られているに違いないと想像した。口紅は鮮やかに赤く、アイシャドウは華美にならない程度に、しかし目元がくっきりと見えるように計算された濃度で塗られているのだろう。私はそう想像し、咄嗟に声が出せなかった。
「もしもし?」
 女性の声は迷いなく丁寧に言葉の出ない私に語りかけてきて、私をますます混乱させた。
「あ、あの」
「はい」
 私の声は淀み、上ずっているのに女性の声は慣れた風に先を促してくる。何を言うべきなのだろうか、と私はぐるぐると頭の中を空転させ、ようやっと一言だけ言葉を見つける。
「あの、そちらの缶詰に、その、金属片が入っていたんです」
「金属片ですか? それは大変申し訳ありません。商品名と製造番号を……」
「怒っているわけではないんです。そうじゃなくって」
 私はペースをすっかり乱されてしまっていた。私は語るべき言葉を持っていなかった。オペレーターの女性は語るべき言葉を持っている。オペレーターとして正しい言葉を持っているのに、相談者の私は正しい言葉を見つけられないまま、しどろもどろになった。オペレーターの女性は静かな声で「はい」と言って、言葉を持たない私の言葉を待っていた。
「あ、えっと商品名と製造番号ですね、ちょっと待ってください」
 私は結局、缶詰を片手に問われたことを答えていった。商品名、製造番号、金属片の色、形、大きさ。しかし女性はあの不思議なにおいのことには何一つ触れてくれなかった。女性は謝罪と代わりの缶詰の送付について、そしてお詫びの品のことについて、事務的に話を終わらせた。私はにおいのことを考えながら、すみません、お願いします、と小さく呟いて受話器を置いた。そして受話器を置いてはっと気がついた。
 ああ、そうかあれは、あの金属片のにおいは。
 花火のあの煙を嗅いだような、あの感覚だった。火薬のにおい。私はそこで確信した。
 そうか、火薬のにおいだったんだ。
 そして私は肉の缶詰の中身の動物が銃殺か爆殺かはわからないけれど、火薬で殺されていることを知った。

 私が肉の缶詰の中身について本当に知ったのは、それから一年ほどした頃だった。私は勤めていた会社の契約期限が切れて、就職活動中だった。偶然にも缶詰の会社の求人が一人だけあり、ほとんど冗談で受けた。もうその頃にはK株式会社は随分大きな会社になっていたし、私自身あまり主張が強くないせいか、面接受けは悪いと言っていい程だったからだ。さらに求人は工場での仕事のようだったが、私は工場での仕事などしたこともなかった。絶対に受かるわけがないと思っていたのに、しかし、結果は採用だった。
「どうして私を採用してくださったんですか?」
 我ながらスーツは似合っていなかったし、面接の前、待合室に居た女性の中にも男性の中にもきびきびとしていかにも仕事が出来そうな人が沢山いた。採用数が多いならともかく、その中で私を選んだ理由がわからなかった。
 私の上司になる人は、男性だった。にこにこと笑う、柔和そうなその人は、私の質問にも微笑んで答えた。
「性格です」
「性格?」
「熱血な人は駄目ですね。正義感が強すぎるのはこの仕事にはよくない」
「そうなんですか」
「好ましいのが淡々と仕事をする人、主張の強くない人です。ストレスを気合で何とかしようなんていう人は駄目ですね。世界をどこかフィルターをかけたように見る人、が一番向いていると思います。ストレスを一番感じにくい」
「はぁ」
「あとは身辺調査」
「身辺調査」
 男は頷き「ああ、つきました。それについては後ほど」と言い、扉を開けた。
作品名:185gの缶詰 作家名:珈琲