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185gの缶詰

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店頭からは着々と食品が減っていく。
 ここ何年も続く異常気象のせいか、とりわけ牧場や養殖場で生み出すことの出来ない種類の肉や魚の減少は深刻だった。さらにやれ自然を守れ、やれ乱獲を防げ、と主張する団体が多くあるせいで、狩猟や漁の活動を停止した例も少なくない。天候不順の影響もあって、農場の野菜など植物全般も同様に打撃を受けつつあるし、その影響で牧場も餌が不足気味だそうだ。最近では魚の養殖場も、育てたなら海の再生の為に海に帰せ、という団体の活動のせいで流通がストップする例も多いらしい。鹿やイノシシが住む山を保護団体が集団で取り囲んで猟師の侵入を防いだ、なんていうのは序の口で、養殖場で銃を持って立て篭もった挙句、中の魚を全て海まで運搬して流してしまったり、そういった過激な保護団体を取り締まる為に警察が出動したり、機動隊が突入したり、銃撃戦が生じたり、とにかく色々なものが枯渇し始めている今では、そんなニュースは日常茶飯事だ。天気予報ほど毎日あることではないけれど。
 そんなわけで、スーパーの店頭にはもやしや貝割れの様にさほど長期間の栽培を行わない一部の野菜と、ただ一種類の肉の缶詰だけが空いていく商品棚の隙間を侵食するように埋め続けている。
 缶詰はただ肉の缶詰と書いてあるだけである。成分表示上もただ肉と書いてある。「商品名 肉の缶詰 内容量 185g」という驚くほどシンプルな表示だ。以前なら問題になったかもしれない程の情報の少なさは、しかしこの肉がなくなったら、何を食べるのだろう、という皆の不安を反映してか、指摘されることはない。
 その肉は今現在の食糧難を見越して作られた動物の肉だという噂も聞いたし、新種だから名前がないのだろう、と誰かが話しているのも聞いた。その動物にも新しい名前をつければいいのに、とその時私は思った。ただ後から考えると、名前をつけてしまったら、きっと誰かがその名前を連呼して、「残酷だ」「可哀想だ」とその動物を守るようになるだろう。名前にはそういう力がある。だけれど誰も見たことのない名前もない動物の肉は、私達の中では実体が伴わない。それを見越してただ単に肉と表現しているのだとすれば、それは正解なのかもしれない。はっきりとした実体もつかめない何かの肉に対して、「可哀想だ」という主張をするのは中々に骨の折れることだ。どこがどう可哀想なのか、視覚的にもわからないし、そもそもその動物が、足が何本あってどんな声で鳴き、どんな顔をしているのかもわからない。人懐っこいのか人は嫌いなのか雄なのか雌なのか、どの部分の肉なのか。何もかもがわからないのだ。私達が知るのは、その香辛料のよく効いた肉の缶詰の味だけだった。
 そんな曖昧な何かの為に動くことは容易ではない。そして、今日、それ程まで頑張らずとも、もっとわかりやすい対象は数多ある。海を泳ぐ鯛だとか、山の中のイノシシだとか、牧場の牛だとか、そういった特定のものにはそれぞれに一定数「残酷だ」「絶滅危惧だから」「乱獲はいけない」と主張する団体が現れる。そして現実に減ってきた傾向が少しでも見られたら、もうその動物は私達の皿の上に並ぶことはない。
 何かわからないものを食べていることも、もう抵抗はない。肉の缶詰がなくなったら、私達の貴重な蛋白源がなくなることを意味する。だからきっとこの肉にはこれからも名前がつかないのだろう。
 そんな事を思いながら、私はスーパーの棚からもやしと少し値段が上がった卵、そして肉の缶詰を籠に入れてレジを通る。肉の缶詰は他の肉に比べて驚くほど安い。レジを通している間、横で待っているおばさんもまた、肉の缶詰を籠に入れているのが見えた。
 スーパーを出ると、駅前広場の方から大音量のマイクの音声が聞こえてくるのに気がついて、ああ、またか、と思う。多分保護団体の講演会でもしているのだろう。迂回して家に帰ることが決まって、私は溜息をついて片手に持ったビニール袋を軽く握った。
 一人暮らしのマンションで、私はフライパンに缶詰の中にみっしりと詰まった肉の半分を広げる。残りの半分は冷蔵庫に入れた。少しだけ炒めて、もやしを加える。ジュージューという音と、香辛料の匂いが部屋を埋め尽くす。缶詰は味がすでについているので、味付けをしなくて済むことも利点の一つだ。その他にスープにしたり、チーズを乗せて焼いたり、それなりに食べられる。手間がかからないのと、とても美味しいというわけでもないけれど、それなりに美味しく安価であるというのは、生活していく上でありがたい。
 今は何かの命を奪う食品は本当に貴重だ。昔よく食べていた他の肉も魚も、随分値段が上がってしまって、ごくたまにスーパーで見かけてもとても手に入らない。母の誕生日に父と協力しても、母の大好きだった牛肉のステーキは予算の関係で買えず、豚肉で我慢したのだ。私はどうか肉の缶詰がなくなりませんように、と祈りながら炒めたものを皿にのせる。水分の多いもやしと、味の濃い肉はよく溶け合って、舌を慰めた。

 私は今日も肉の缶詰を食べている。今日は米に肉の缶詰を炒めてかけ、その脇に貝割れを置いている。米は備蓄されているものが大量にあるそうだが、それもいつまで続くのかはわからない。そんな中で肉の缶詰はますます私の食卓に欠かせないものになっている。肉の缶詰の値段はますます下がり、それに反比例するように他の食品の値段が上がっていくからだ。缶詰の味付けは、最近種類が増えた。醤油味であるとか、ソース味であるとか、カレー味であるとか、相変らず肉の名前はわからないまま、ただ味の種類だけが増えていく。需要が増えて、商品開発に力を入れているのだろう。とりあえず味は濃い目のものが多いが、飽きが来ない程度には種類がある。
 私は米と肉を混ぜ合わせて、スプーンでゆっくりとそれを掬いながら口に運ぶ。柔らかい食感のそれをゆっくりと歯を動かして潰し、咀嚼する。それを繰り返すのが食事だった。
 ただ今日は少し勝手が違った。奥歯でがりっと妙な感触がしたのだ。私は思わず口の動きを止める。ふっと妙な、懐かしいような、知っているようなにおいがした気がした。
 何のにおいだろう。
 咄嗟に思い出せなかった。口の中では異物が肉とは違う固さを保っている。舌を奥歯の方に寄せ、そっとその固いものを取り出すと、金属だった。私は舌の上のそれをそっと人差し指と親指でつまみあげ、白い皿の上にそっと落とした。
 小さな金属の欠片は鈍い銀色をしている。鉄だろうか。私はそれを指でつんとつついた。微妙にカーブした金属片を見て、元は筒状の何かだったのかもしれない、とふと想像した。異物が混入していた経験はこれが初めてだったので、どうするべきかと私は皿の上の金属片をしばらくつついた。そして缶詰を改めて見直した。
 缶詰の部品が外れて、ということはなさそうだった。開けた蓋と缶詰本体の隙間は、戻せばそのままぴったりと塞がりそうだった。どこにも欠けた部分というものは見当たらなかった。では製造の過程で入ってしまったものだろうか。
作品名:185gの缶詰 作家名:珈琲