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川辺にて

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新幹線の中で、家族のことを思った。崩壊しかかった家庭。妻は、実にいやな顔をするだろう。いくらかかるんですかと尋ねるだろう。病院と家との往復を想像してうんざりし、介護士を雇うことを考えるだろう。生命保険の額と不動産をローン中途で売った場合の損得を考え、自分の老後の心配をするだろう。長野の、兄が継いでいる実家での暮らしを思い描くだろう。大学生の息子は、自閉症気味で、ほとんど大学には行っていない。時々かっとして暴力を振るう。私のことを聞くと、無責任だとか迷惑だとか手前勝手で卑怯だなんぞとわめくだろう。高校生の娘は、完全なヤンキーで、近頃は、話をするどころか会ったこともない。なにそれー、やっていけねーじゃん、などというだろう。みんなが私をもう死んでしまったように扱うだろう。彼らのそのような言葉を実際に聞きたくなかった。現状を伝えてみんなでこれからどうしたらよいか話し合うなどということはとても期待できなかった。家庭をこんなふうにしたのは私のせいだ。自業自得にとどまらず、妻と子供たちを荒ませて不幸にしてしまった。結婚前の妻は、明朗快活元気溌剌のおてんば娘だった。私が自分のことや会社のことにかまけて、日常会話を怠り、彼女と一緒に暮らしを立てて行くという協同精神を持たなかったので、いつの間にか彼女は昔と似てもにつかぬ、愚痴っぽくて皮肉屋で投げやりの中年女になってしまった。子供たちに対して、父親としての威厳を保ちたいがために、理不尽な抑圧をかけてしまった。世間の標準を家庭に持ち込んで、それに合わないからといって叱った。子供たちは、父親が自分らの味方ではなく、世間のまわしものだと感じてしまった。かわいそうなことをした。子供たちを泣かせたことは数しれない。小さな子を泣かせて威張っていた自分を今は愚かだったと反省している。
家庭が崩壊しかかっているどころではなく、すでに完全に崩壊してしまっているのを確かめるのが怖くて、自分が決定的に見捨てられるのを確かめるのが悲しくて、卑怯にも私は逃亡した。

十二月の初めなので、雲には、上昇しようとする勢いはない。横に延びてはいるが、しかし本体に粘度がなく、千切れながら、点々と隣を追っている。何本もの平行な横への点綴が西の空を走っている。個々の雲塊は裏側を夕日に照らされているせいで真っ黒な影のかたまりだ。縁が灰色に薄まって、どうにか陽光となじんでいる。雲と雲の間は濃いオレンジ色の光がひたひたにあふれている。空の上方に見える雲は、近くに位置し、下方のそれは遠くに位置するのだが、上のも下のも随分遠くにあるので、私は錯覚を起こす。地上の遠近法を天界に適用してしまう。ビルの屋上から遠く町並みを見ると、下方、手前に見えるものは近くに位置し、上方、地平線に近いものほど遠くに位置する。天地が、水平面を対称にして、鏡像関係にあるのに、そのまま地の遠近法を天の遠近法にずらして重ねてしまった。その結果見えてくるものは、血の海に浮かぶ黒い島々の影だ。しかも、手前の空にある雲は、ゆっくり向こうからこちらへと漂ってくるので、彼方の黒い島々もゆがみながらこちらへ近づいてくる。溶岩流とその上に突き出た真っ黒な岩床だ。地獄の様相である。私に向かって近づいてくる死が、今、西の空に具体的にその全貌を現しかけていた。
雲がじわじわと近づいてくるのを見ていると、地上にいる自分が逆方向に移動していくように感じる。地面が西に向かって滑っていくように思う。地球が逆回転しているようだ。子供のころ、この土地の海辺に海水浴に行き、海に流れ込む川の真ん中に立って、足元を見つめるのが好きだった。山に向かって川をさかのぼるような錯覚に容易にとらわれたからだ。川が海へながれ込むのではなく、静止している水を自分が上流に向かって切って進んでいくという錯覚。こんな錯覚は子供だから面白がれたのであって、今の私だったらば、仰向けに倒れこんで、水にむせながら怯えるだけだろう。
赤くただれた空に怯えながらも魅せられる。近づいてくる死が誘惑する。
夕焼だけではなく、こんな赤い事態が昔ほかにもあったと思う。もう何十年も前の話だ。私がこの土地に暮らしていた小学生の頃、筑肥線の線路を越えたところで火事があった。線路を挟んで我が家と出火先は十数メートルしか隔たっていなかった。火の粉が天高く舞い上がって闇夜を威嚇した。野次馬が道路をぎっしりと埋めているので、私は、最前列にたどり着くために大人たちの足の間を這って進まねばならなかった。私は業火の前で立ちあがった。顔が熱かった。綿入れを着たおばさんが、こっちくんなー、どけー、道あけろー、と叫んでいる。彼女は自転車を避けそこなった。もんぺを穿いた向こう脛が、跳ね上げてあるスタンドに激突した。にぶい音がした。私は目をそらした。おばさんは、痛みを感じる暇もなかったようで、辺りの人たちにおらび続けた。逆光で黒みがかったおばさんの身体を背後の火炎が包むように近づいてきた。おばさんは、もうすぐ焼かれそうだった。
火の粉が大河となって天に垂直に注いだ一方、天を幅広に横切って流れていった者たちがいた。火事さわぎとほぼ同じ頃、私が遊び場である護国神社から帰ってくる途中、川辺に並んだ柳の木の叢から、枝に邪魔され、擦過音を立てながら、雁が二三羽あわてふためいて飛び立った。私は随分前から、どことはしらない遠くの鳴き声に気づいていた。雁の後を追って見上げると、天の川のように、無数の雁が天を流れていた。そこから鳴き声の合唱が降ってくる。私は、あれだけ高いところを飛んでいるからには、よほど遠くまで行くのだろうと思った。疲れ果てて目的地に着くや否や死んでしまうのだろう、来年にやってくる雁は、見かけは同じ姿をしていても、同じ雁ではないだろう、きっと生まれ変わりなのだろう。
私は川のそばに住んでいた。梅雨と台風の時期には、たびたび洪水に見舞われた。
家のすぐ裏を線路が通っていた。
私は土手道をふらふらと歩いて線路の踏切のところまで行ってみる。踏切の随分手前で、残念ながら、もう線路が通っていないのがわかった。昔この踏み切りで女子高生が轢かれた。その轢死体を私は見た。顔が黄色くなっていて、右腕と右のかかとがなかった。自転車の前輪が機関車に絡まったのだろうと大人たちは噂していた。今考えると、遮断機が降りているのに、そんなに突き出るものだろうか、疑問である。自殺だったのかもしれない。魔が差す、とか、衝動的行動、とか、今の私にもおおいにありうる誘惑なのだ。その誘惑に導かれてここまで来たのかもしれなかった。 自己コントロールする自信などもうない。
線路の跡は、並木道になっていた。ベンチがところどころに置いてあった。鉄橋は跡形もない。しかし目をこらして川面を見てみると、薄暗い水中に、橋桁の残骸らしきものが潜んでいた。
私の家があったあたりには白い三階建てのアパートが建っていた。
昔、汽車が走り過ぎるたびに家がかすかに揺れた。その揺れに私はついに慣れなかった。揺れるたびにびくびくしながら私は成長したのだ。上京してから今日まで、漠然とした不安と焦りに駆られて生きてきたのはその揺れの後遺症だったのかもしれない。
作品名:川辺にて 作家名:安西光彦