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相撲番長

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 手を繋ぎ合って喜ぶ、馬鹿二人。世の中にはとんでもない女が居るもんだ。この前紹介を頼んで来た男にこれから会いに行くって言うのに、次の男の世話を頼むなんて凄すぎる。そもそも俺は錦戸なんて大して知らないし、先輩の集まりで二三度顔を合わせたに過ぎない。電話もメールも分からないから紹介のしようがないし、紹介する気も全くない。大体が二中とうちの中学は、歴史的には長い対立関係があり、奴らと俺達は決して気が抜ける関係じゃ無い。いつまた揉め始めてもおかしくない。まあ昭和のヤンキーじゃあるまいし、今時誰も無駄な喧嘩なんてしないけど。
「じゃあさあ」今度は愛が、目を充血させて聞いて来た。「黒澤先輩も仲良い?」
「え、まあな」
「ほんと? あの人最近クルマ買ったでしょ。なんか黒いビップっぽいの。こないだニコプラの駐車場で見た」
「あ、そうなの?」
「うん見た。いいなぁ。ドライブ行きたい」
 またニコプラかよ。こいつらの行動場所は渋谷のセンター街か地元のニコプラのどっちかだ。極端過ぎる。しかも今度は黒澤。最悪だ。
 黒澤の顔を思い浮かべると、鼻の穴と脳味噌の境い目あたりが嫌な感じになる。黒澤隆光は俺達の二個上で、俺達が中学に入った年に学校を支配していた男だ。親父も兄貴もみんなそっち系。悪のサラブレッドみたいな奴で、手加減を知らない完璧なキ印。行っていれば高二だが、地元の馬鹿高校はとっくに辞めていて、今はヤクザの見習いみたいな事をやっている。多分ニコプラでこいつらが見た車はヤクザの車で、偶々運転手でもやらされていたんだろう。当然免許なんてある訳が無い。確か車の免許は十八からだ。ヤクザ社会にどっぷり漬かってどんどん凶悪になって行く黒澤を想像すると、先が思いやられる。徒でさえ俺や水田は会う度に挨拶代わりに殴られ、金を持って来いだ女を世話しろだと散々いびられているのだ。あんなのが本物のヤクザになって権力を持ったら、もう手が付けられない。さっさと何かでパクられて、年少かどっかに閉じ込められればいいのに。
「紹介してあげてよ」
 明日香が俺の腕に触った。ラインストーンの付いた赤い爪。この手が後で俺のちんちんを握ると思ったら、またちょっと興奮して来た。今まで良く分からなかったと言うより気にもしなかったが、どうやらこの二人の力関係は、若干愛の方が上のようだ。肉が多い分、愛の方が強いのかな。
「まあ、そのうちな」
「ほんと! 愛、やったねハハ」
「うん。やばい超嬉しいんだけど。去年家出し過ぎて親超うるさいから今年は地元攻めようとしてんだよねー、うちら」
「ねーハハ」
「ふーん。そうなんだ」
 脳味噌が溶けそうなくらいくだらない会話をしたり聞いたりしながら駅前の商店街を歩く。ニコプラや駅ビルに押されて廃れた通りでも、両脇に派手な女を引き連れて歩くのは悪くない。たまに擦れ違う中学の後輩が、さり気なく目を逸らせるか憧れの眼差しで会釈をして来る。ちょっと気が大きくなって、俺はキノコ雲みたいな煙草の煙をふーっと吐く。
「やばい超楽しみ。二人共、今彼女いるのかなー」
「ハハ、どうだろ。木島くん知らない?」
「さあ、分かんねえなあ」
 知らねえよ。そんな事。あっ、そうだ。
 偶然本屋を見て思い出した。何かを忘れていると思っていたらあれだった。ヤンマガを買うのを忘れていた。休みに入って益々曜日の感覚がおかしくなっているみたいだ。危うく一週分飛ばす所だった。
「ちょっと本買ってくっからちょっと待ってて」
 俺はカッコ良く雪駄を引き摺って、本屋に向かった。週間漫画誌のある場所は、軒下と相場が決まっている。雨の日は、そこにぺろんとビニールが掛かる。日本中何処の本屋に行っても、きっと同じだ。
 例えそれがたったの二三分でも、明日香と愛は待たされると分かってすぐに携帯を弄り始める。しらけないようにチャッチャと買おうと歩を進めると、ちょうどヤンマガの積んである棚の前に、ヤンマガを立ち読みしているデブが居た。それもあり得ないくらいの巨デブ。汗掻きな俺の五千倍くらい、大汗を掻いている。暑苦しいったらありゃしない。お前が読むべき本は、店の中にあるダイエット本だ。
「どけよ」
 ドスを効かせた声で威嚇し、目玉をかっ、と開いて睨み付けた。これでビビらなかった奴はいない。何回も鏡を見て練習した、俺のスペシャル。
 何だ、こいつ。
 反応が無い。
 首まわりの伸びきった鼠色のTシャツ。腋の下だけ汗で色が変わっている。ウエストは樽のように太く、女だったら二人で入れそうな特大のスウェットパンツを穿いている。パッと見グレーに見えるが、多分元々は黒だったんじゃないかと思えるそのパンツは、膝下で雑にカットされていて、左右の長さがバラバラだ。足下には便所で履くようなサンダル。俺は一度足元まで下げた目線を、またゆっくりと上げて行った。臍に汗が溜まる体質なのか、臍の周りも汗で濡れてシャツの色が違っている。二重顎。顎の中に大福餅を二十個くらい隠していてもおかしくないくらいの物凄い二重顎。全てのパーツを真ん中に寄せたような顔。シューッ シューッ とダースベーダーみたいな息を吐く鼻と口。感情の無い細い目。極端に狭い額。坊主刈りを一ヶ月放ったらかしにした感じの髪は、普通の人間の倍くらい毛が多く、その一本一本は黒々と太くて固そうだ。頭の高さは、身長百七十五センチの俺よりも十センチくらいでかい。年は俺と同じくらいに見えるが、こんな悲惨なデブは地元では見た事が無い。
「邪魔だっつってんだろ豚っ」
「シューッ」
 デブがこっちを振り向いた。頭皮に溜まっていた汗が一斉に垂れて来て、二重顎の先からボタボタと落ちた。落ちた汗は手にしたマンガ本の上で跳ね、デブのシャツに新しい染みを作って行く。
 俺は無性にイラついて来た。明日香と愛はきっと俺を見ている。乱交前の貴重な時間を無駄にした罪で、ぶっ飛ばす事に、決定。
「どけよっオラッ」
 デブの弛んだ腹に思いっきりアッパーをぶち込んだ。軟らかく湿った肉に、拳が埋まって行く。我ながら見事な腰の回転。
 決まった。
 どうだ。
 見てた? 俺のパンチ。って感じで明日香と愛を横目で見ようと眼球を動かした瞬間、顎に物凄い衝撃を受けた。
 ?
 !
 ?
 何が起こったのか、何をされたのか。分からない。パニックを起こしている俺の顔面から、ぐちゃっ ぐちゃっ という音が直接脳に響いて来る。ピントのボケた視界の中で、ジャンケンのパーの形になった大きな手が、何個も何個も現れては消えて行く。パーの像がふうっと消えて、目の前が真っ黒になった俺は、何故かちょっと気持ち良くなり、倒れて眠ってしまった。




 ゴキブリの足音がすると思って我に返ると、スーパーのビニール袋が耳にくっ付いてカサカサと揺れていた。
「だいじょうぶ?」女の声。おばさんの声。スーパー帰りのおばさんが、俺を起こしている。
「救急車呼ぶ?」
「大丈夫っす」
作品名:相撲番長 作家名:新宿鮭