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七変化遁走曲

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 *
 ――さて、遡ること本日の昼前。

 常葉にとって数日ぶりのその屋敷は、相変わらず白い闇と雨に覆われていた。
 季節を終えた桜の大木の下を潜り、右手に池を眺めながら飛び石を行く。庭には水仙の花が増えているように見えた。

「あら、今日は貴方だけなの?」
 たった一人で――もとい、たった一匹で顔を見せた狐に対し、陽花の第一声はつれないものだった。あからさまに不服そうな溜息を吐き、その横か後ろに居るはずのセーラー服の少女を探した。これにはさすがの常葉も苦笑する。
「ご不満ですか。私もれっきとした薊堂の人間ですよ」
「だって、男の人は薄情だから」
 冗談なのか本気なのか、彼女は澄ました顔を背けるとそのまま廊下を渡って行ってしまった。
 通されるでもなく通されたのは、先日と同じ庭の見渡せる部屋。そこに今日は二人分だけのジャスミンティーが並んで、促されるままに常葉が答えた。

「まずは、貴女から頂いたのは雨夜と盃。そして白。つまり李白と、月、酒。彼の作品、烏夜啼。そこからとある骨董屋に向かい、この酒壷に行き当たりました」

「そうね。少し、簡単だったかしら」

 きっとその場所に翠仙がいたのなら、『何が簡単なものか』と口中で呟いたに違いない。けれどその場所には狐しかいなかったので、彼はそのまま女主人の言葉を黙って聞いていた。

「懐かしいわ」

 嬉しげに、それでいてどこか切なげに陽花が目を細める。彼女が取り上げたのは白磁の酒壷。一点の曇りもないその表面を静かに撫で付けてから、彼女は何を思ったか靴脱ぎ石から庭へ降りた。
 裸足のまま、池の直ぐ側に膝を折る。そして手にしていた壷で、並々と池の水を掬い上げた。

 忽ちに、常葉の目には信じられない光景が映る。

 先刻まで純白だったその陶器。その表面に、藍色の筆で描かれる模様が浮き出したのだった。
 みるみるうちに広がっていく青の線。そして水墨画にも似た淡い情景がその壷を包む。
 しかしそれを見ても、陽花の顔は相反して曇っていく。

「……ごめんなさい。これは、違うわね」
 再び声がするまでに幾許かの間があった。ひどく押し殺した声で彼女は呟いた。
「確かにこれもそうだけれど、此処にはいない。……こう言って通じるかしら」
 緩慢と振り向いた女性へと、常葉はじっと頷き返す。
「はい。大丈夫です」
 なんとなく予感はしていた。この屋敷に踏み入れた瞬間から、彼女の顔を見た瞬間から。
 けれど、彼女自身それを信じたくはないようだったから。だからそれが確固たるものになってしまった瞬間を待って、大人しく頷いたのである。

「季節は、移り変わるものだから」
 いつしか板張りの床に腰を下ろして、背を向けたまま陽花は言った。

「同じようにして逃げてしまうのね。自身が望む望まないかに関わらず」
 ふう、と風にもならない程度の溜息。僅かに安堵の気配が混じっていたのは気のせいだろうか。
 やがて振り仰いだ表情は、元通り憂えた微笑に戻っている。

「ここに花弁が浮いているのが見える?」
 常葉は彼女のすぐ傍らに肩膝をつき、言われるままに白磁の表面を覗き込んだ。彼が頷くと、そのままその手へと酒壷を押し遣った。
 改めて検分する。藍色のみで描かれたその壷の絵は、水辺を模したもののようだった。小高い丘陵とその上に浮かぶ満つ月。広く描かれた湖には雲の陰に紛れて点々と薄い白いものが浮かべられている。おそらくこれが花弁だろう。何の花弁かは見当がつかない。

「君来池(きみこいのいけ)というの。その畔に、まだ咲いているのなら、見つかるはずだわ」
 何が、とは訊ねなかった。前と同じように、彼女が答えるとは思わなかったからだ。
 その代わりに、『それを探せばいいのですね』と念を押す。女性はこう答えることで肯定を示した。

「流れてゆくもの。歌のように雲のように。それよりも儚く、それよりも確かで」

 そうして常葉の腕から壷を取ると、そのまま地面へ向かって注ぎ口を向けた。すっかり引っ繰り返したはずの壷からは、何故か一滴も水が落ちてこない。中はいつの間にか空になっていた。
 そのまま、板の上に伏せる。無論、天地の摩り替わった絵の中、その湖面から水が零れ落ちることはなかった。

 *
作品名:七変化遁走曲 作家名:篠宮あさと