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そこにあいつはいた。

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「いや、ずっと聞こう聞こうと思ってたんだけど、何でそんなに親切な訳?」
 飯田は意外そうに落ちくぼんで血走った目をまん丸くした。
「親切って?」
「いや、……親切だったろ。十万の腕輪貸してくれたり、仕事中にうちに駆けつけてくれたりとか、いろいろ、さ」
「別に大したことはしていないと思うけど」
 呟いた飯田の顔は、窓から差し込むオレンジ色の夕日に照らされて健康的な色に染まっているにも拘わらず、いつもながらのホラーな趣をたたえている。
「草薙さんには恩があったから」
「……恩?」
「僕、草薙さんのお陰で公務員試験受かったからさ」
 飯田がホラー顔を僅かに歪めて笑うと、こけた頬にほうれい線が深々と刻まれ、目の下にはくっきりとした隈が際だった。優しい語り口からは想像もつかないほど恐ろしげな笑みなのだが、どういう訳だか最近は、あまり怖さを感じなくなっている気がする。
「覚えてる? 僕と集団面接の時一緒のグループだったの」
「そういえばそうだったな」
「草薙さん、順番待ってる間しょっちゅう話しかけたでしょ、僕に」
「……そうだったっけか?」
「その時、草薙さん僕のこと褒めてくれたでしょ」
「へ?」
 全然覚えてないが。
「敬語使うの上手くて羨ましいだの、落ち着いた雰囲気が公務員向きだの、背中にハンガー入れっぱなしかと思うほど姿勢がいいだの、あることないこと」
「はあ……」
 言ったんだっけか? あることないこと。
「それで結構落ち着いたって言うか、同じグループに草薙さんがいてくれたお陰で緘黙出なくて済んで、四年目にして初めて面接クリヤーできたんだ」
「……緘黙?」
「僕、中学の時いじめに遭って場面緘黙になっちゃってさ、その後遺症で、自分がちょっとでも苦手だなと思ったり、全く見ず知らずの人の前で緊張したりすると、緘黙……喋れなくなっちゃうんだ。試験落ちた三回とも、面接で失敗しててね。これ以上親に迷惑かけたくなかったし、結構思い詰めてたから、あの時試験ダメだったら、もしかしたら今頃この世にいなかったかも知れない」
 かけるべき言葉が見つからない俺に、飯田はそう言ってホラーに笑いかけた。 
「そうなったら奥さんと知り合うこともなかったし、子どもに恵まれることもなかったし。今僕がこんなに幸せなのは、草薙さんのお陰と言って過言じゃないんだ。だから、今度は僕が恩を返す番だと思ってさ。でもまあ、あんまり役にはたてなかったけど」
「そんなことねえよ。お前のお陰でほんと助かったから」
「……そう? よかった」
 窓から差し込む夕刻の斜光を背後から受けて、そう言って笑った飯田の顔は黒ずみ、何とも不気味な陰影を纏っていた。だが、やはり何故だかこの時も、あまり恐ろしい感じはしなかった。

☆☆☆

『自分が他人から必要とされてるかどうかなんて、本人は分からないもんなんだよ』
 
 秋晴れの空の下、紙袋片手に病院の正面玄関前を歩きながら、あの時飯田が俺に言った台詞を反芻する。
 はっきり言ってあの時は、こいつ何顔に似合わねえこと言ってんだくらいにしか思わなかったが。
 結局飯田から借りた金で入院費の支払いを済ませ、飯田が手配してくれたホテルに今日明日宿泊し、飯田が揃えてくれた書類で保険証その他の身分証を再発行してもらい、何から何まで飯田の世話になってしまった俺としては、そこに幾ばくかの真理は含まれているのだろうと、今は素直に認めざるを得ない。
 駅に続くアプローチから、それなりに賑やかなコンコースに入ると、頭上にぶら下げられた時計の針は一時二十分を指していた。
 現在の所持金から考えると駅そばが一番適した昼食と判断できたので、立ち食いそば屋でかけそばを食べ、再びコンコースに出て、宿泊するホテルがある駅まで切符を買ってホームに下りると、階段の途中でタイミング良く電車が入線してきた。
 慌てて残りの階段を駆け下りたものの、見るとそれは急行電車で、あいにくホテルのある駅は各駅しか停車しない。
 いったん歩くスピードを落としかけて、ふと考える。
 ホテルのある駅は、各駅停車で二駅先。
 燃えてしまった俺の家は、そこから更に一駅先の、急行の停車駅。
『扉が閉まります、ご注意下さい』
 ドアの開閉に注意を呼びかけるアナウンスが耳に届いた瞬間、俺は反射的に扉の閉まりかけた急行電車に飛び乗っていた。

☆☆☆

 角を曲がると、路地の突き当たりに見えてくる、残骸と化した俺の家。
 秋の透き通るような日差しと抜けるような青空をバックに、焼けこげて骨組みだけになった俺の家は、通りの一角に視覚的な抜けを作っていて、そこだけやけにすっきりと潔く見えた。
 本当に、何もかも無くなったんだなあとつくづく思う。
 オヤジが作ってくれた小さな砂場も、洗い場と浴槽合わせて一畳というあり得ない狭さのフロも、埃にまみれたアールデコ調シャンデリアも、年季ものの丸テーブルも、俺と家族になろうとしてくれたあいつも、何もかも。
 入院中、あいつが病院に姿を見せることは一度もなかった。
 でも、それも当然だと思う。
 家を失って無一文になったことは言うに及ばず、もともと俺には決定的に足りないところがあったから。
 それは、家の仕事を手伝わないとか、相談もせずに預金を株につぎ込んだとか、母親であるあの人との折り合いが悪いとか、もちろんそういうことも間接的な引き金にはなったんだろうけど、俺に決定的に足りなかったのはあのことで、きっとあいつはそのことに潜在的な不満を抱えていて、そのせいで、それまで気にならなかった細々したことにまで、引っかかりを覚えるようになってしまったんだと思う。
 神無に気づかせてもらわなければ、多分分からなかった。
 今更気づいても、もう遅いんだけど。
 胸苦しいような心地がしてきたので酸素を取り込もうと足を止め、肩を揺らして大きく息をついた時、手にしていた某洋菓子チェーン店の紙袋が視界に映り込んだ。
 取り敢えず今の俺に残されたのは、この紙袋一つだけ。 

 でも、

 開きかけた袋の口から、飯田を始め、課のみんなが持ち寄ってくれた下着や寝間着、タオルや歯ブラシがぎっしり詰め込まれているのが見える。
    
 俺は一人じゃない。 

 喉の奥に感じる強ばりを飲み下し、二,三度瞬きをくりかえしてから大きく息を吸って吐く。

 だから、生きる。

 ゆっくりと顔を上げ、もう一度目線をスカスカした路地の突き当たりに向けた、その時。
 ぼやけた視界に突然予想だにしていなかった光景が映り込み、俺は拍動を除く全ての身体機能を急停止してそれを凝視した。
 動きを止めて息を殺し、乾いていく眼球の表面もそのままに、瞬ぎもせず見つめる瓦礫と化した家の、焼けこげたブロック塀の前。

 そこに、あいつはいた。