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そこにあいつはいた。

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其の十四.一体何がヤバいんだ?


 頭痛が収まらない。
 あれから頭がクラクラするような症状が続き、食欲も全く出ない。目眩もなくならないし、やる気もいつにも増して出ない。一昨日は確かに飲み過ぎたのだが、こんなに後を引くことはついぞなかった。やっぱ年とって体力落ちてるんだな、きっと。
 重い体を引きずりつつ解凍ご飯にお茶漬けの素をふりかけてお湯を注いでいる俺の手元を、例によって神無が張り付くようにして見入っている。
「ほらほら、お湯が顔面に飛ぶぞ。あんま接近すんな」
 声をかけたが一向に離れようとしないので、仕方なくポットとどんぶりを神無の顔から離した。
 
――それにしても、クリアな存在感だな。

 お湯を注ぎつつ、テーブルの端から顔を覗かせている神無を改めて見てみる。
 初めて日の光に晒された昨日よりさらに、神無は実体感を増していた。ほんのりと紅色に染まる頬も、好奇心に満ちあふれて輝く瞳も、花の蕾のような唇も、絹糸のようにサラサラの髪も、白いドレスに包まれた丸みのある体も、まるっきり、生きている人間のそれと変わりない。 
 ただ一つ不思議だったのは、草むらに倒れ込んだ筈のワンピースに、一片の泥汚れも付着していなかったことだった。神無同様倒れ込んだ自分は草だらけの土だらけ、おまけに草の葉であちこち切り傷ができて未だにピリピリ痛い。神無に傷でもあったらと、あの後あちこちひっくり返して調べてみたのだが、結局腕にも足にも、傷一つ見あたらなかった。これだけ存在感のある神無だが、やはり妖怪であり、現実に存在している訳ではないと言うことなのだろうか。だがその割に、食べた物はきれいさっぱり姿を消している。出来上がった茶漬けを神無に取り分けてやりながら、俺は何とも不可解な話だと思った。

☆☆☆

「じゃあ、行ってくるからな」
 玄関で靴を履き、そう言って振り返った途端、太股に神無が飛びついてきて驚いた。
「ど、どうしたってんだ、神無……」 
 相変わらずヒンヤリとして、しかし確かな重みのある体が、ぴったりと足に絡みついて離れない。声をかけると、神無は俺の足を両手で抱え込んだまま顔を上げた。予想通り、涙目。

――これじゃ、まるっきり普通の幼児じゃねえか。

 ため息をつきつつも、引きつった笑みを浮かべてみせる。
「か、神無、俺は今から仕事に行くんだ。でも、夕方にはまた帰ってくるから……」
 ズボンを握る手の力が、実体のない物の怪とは思えないほど強い。
「仕事だから、お前を連れて行く訳にはいかないんだ。今までだって一人でいたんだから……平気だろ?」
 黒い瞳いっぱいに溜まった涙が瞬く間に警戒水位を超え、桜色の頬をころころと転がり落ちる。
 途方に暮れて天井を見上げた俺の頭に、助けの神と言うにはあまりにも恐ろしすぎる一人の男の姿が過ぎった。
「……俺の仕事場には、怖ーいおじちゃんがいるよ? それでもいいなら連れてくけど」
 泣き濡れた目でじっと俺を見上げる神無の表情が、固まった。
「ほら、お前も一度会っただろ。そのおじちゃんは、お化けとか妖怪に慣れてて、腕には魔除けの怖ーい腕輪をしているんだ。自分についてくる悪霊を、祓って、祓って、祓いまくってるらしいよ。神無なんか、一発で祓われちゃうんじゃないかなあ……」
 俺を見上げる神無の白い喉が、ゴクリと震える。
「それよりは素直に留守番してた方がいいと思うけどな」
 足にしっかりと絡みついていた腕が、ゆるゆると離れた。
「よしよし。いい子だ」
 ほっとして、硬い表情で俯く神無の顔を覗き込む。
「六時には帰ってくるから。腹が減ったら、戸棚とか冷蔵庫とか、勝手に開けて食っていいからな」
 俯いたまま、神無は暫く何のリアクションも起こさなかったが、やがて小さく頷いたようだった。 
 俺はほっと息をついて体を起こすと、玄関扉を開ける。
「じゃ、行ってくるよ」
 じっと俯いている神無の姿を見ないようにしながら、俺は後ろ手で玄関扉を閉めた。

☆☆☆

 薄曇りの空の下、駅への道を急ぎながら、ちらりと後ろを振り返った。
 路地の向こうにまだ辛うじて見える、安っぽいサイディングの壁。
 扉の隙間から物言いたげに俺を見ていた、神無の顔が頭を過ぎる。

――全く、何気にしてんだか。

 今までだって、留守にしたことは数限りなくある。第一、あれは物の怪。いざというときには姿を消せばいいんだから、怪我の心配もない。食事だって、生存に必須とはとても思えない。一人にしたって何の心配もないんだ。
 そう思って納得しようとする度に、去り際の神無の顔が浮かんできてしまい、何だか胸の辺りが重苦しくなってくる。

――参ったな。ただでさえ頭痛と目眩でフラフラだってのに。

 とにかく今日は早く仕事を終わらせて帰ろうと心に定めつつ、俺は定期をかざして自動改札を抜けた。
 
☆☆☆

「おはようございまーす……」
 いつにも増して覇気のない俺の挨拶に、書類から顔を上げたブルドック室長は心配そうな表情を浮かべてくれた。
「おはよう、草薙くん。どうした? 具合でも悪いのか?」
「え? ああ、実は一昨日、少々飲み過ぎちゃって……二日酔いならぬ三日酔いですか? 頭痛が抜けないんすよ」
「そうなのか? 何だか顔色も悪いし、新型インフルエンザかもしれないぞ。無理しないで休めばよかったのに」
「いえいえ。二日酔いで休んだりしたら首切られちゃいますよ」
 垂れ落ちた頬を引き下げて眉をひそめる室長に取り敢えず笑顔を返して、机上のパソコンを立ち上げた時、「お、おはようござ……」というどもり気味の挨拶が入口方向から響いてきたが、何故か語尾の「います」が曖昧に立ち消えて聞こえなかった。
 ゆっくりと首を巡らせ戸口に目を向けると、こけた頬を引きつらせ、表情を凍らせて立ち尽くしている飯田と目が合った。
 
――先週末のこと、まだ気にしてんのか。

「おはよ、飯田」
 声をかけると、ようやく飯田は停止していた身体機能をぎこちなく再稼働させて歩み寄ってきた。
「木曜は悪かったな。寝不足とか心労とかで、かなりイライラしてたんだ」
 凍った表情のまま瞬ぎもせず俺を見つめ続けている飯田に、取り敢えず謝っておく。てか、その表情で見つめられ続けんのは怖いんだって。
 すると飯田は、ようやく固まった頬を引きつらせながら掠れた声を絞り出した。
「く、草薙さん……大丈夫なの?」
「ああ、もう大丈夫だよ。俺も随分あいつの存在に慣れたし。仲良くやってっから」
「仲良く……? っていうか、体は平気なの?」
「体? ああ、二日酔いなんだ」
 飯田は硬い表情で俺を見つめたまま、隣の席にゆるゆると腰を下ろした。
「仲良くって、草薙さん……座敷童子と何かやってるの?」
「いや、何かってほどでもないけどさ、……」
 朝の打ち合わせまで十五分。俺は取り敢えずここ数日の神無との出来事を、かいつまんで飯田に話して聞かせた。ただ、あいつに「神無」という名前をつけたことだけは、さすがに気恥ずかしくて言えなかったが。
「で、まあ何となく飯食わせたり何だりしてやってるって感じかな」