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そこにあいつはいた。

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其の十三.名前決めようぜ、名前。


 翌朝目覚めた時にはもう日は高く昇っていて、見上げた時計の針は九時を指していた。

――うー、頭痛え。

 一定間隔でガンガン殴りつけられるが如き痛みに耐えつつ、窓際によろよろと歩み寄りカーテンを開けると、空一面に厚ぼったくたれこめた雲の下を、カラスが一羽横切っていくのが見えた。
 踵を返した俺の目に、古くさい唐紙の貼られた襖が映る。

――そういえばあいつ、大丈夫だったかな。

 頭を打って内部でじわじわ出血していたりすると、直後は何ともなくても幾日か後に突然頭痛を訴えたり、倒れたりすることがあるという。しつこく痛がる様子もなかったし、意識がもうろうとしている風もなかったし、何より相手は物の怪なのだから恐らく大丈夫だとは思ったが、何となく心配だった俺は、ちゃんといつもどおり姿が消えているかどうかだけでも確認することにした。中で白目剥いて冷たくなってたら怖い。てか、最初っから冷たいけど。
 襖に手をかけて、恐る恐る左に引いてみる。
 隙間から光が入り、右隅が見え、次に皺一つない掛け布団が見え、それから突き当たりののっぺりした壁が見えて、掛け布団が誰かの存在を示すかのように膨れあがり……。
 襖を開ききった俺は、目を見はった。
 薄明かりの中、上下運動を繰り返す掛け布団の下で、勿論白目を剥くでもなく、すやすやと穏やかな寝息を立てているのは、紛れもなくあいつ……座敷童子だったのだ。
 明るい光の下で初めて見るあいつの顔は、生きている人間のそれと何ら変わりなかった。ほんのり薔薇色に染まった艶やかな頬も、僅かに開いている小さな唇も、閉じられた目の縁を彩る長い睫毛も、薄明るい光を受けて確かな存在感を示している。
 俺は数刻、その妖怪と言うよりは妖精のような寝顔を見つめたまま立ち尽くしていた。
 と、瞼の裏側に光を感じたのだろうか、座敷童子が目を閉じたまま眉根を寄せ、僅かに頬を引きつらせ、ゆっくりと両の眼を見開いた。
「……お、おはよう」
 取り敢えず引きつった笑顔を浮かべて朝の挨拶なんぞしてみせると、座敷童子は数刻俺の歪んだ笑みをぼうっと眺めていたが、やがてむっくりと上半身を起こした。
「お前さ、昨夜打ったところ、痛まないか?」
 顔を近寄せてまじまじと見てみたが、朝の光に浮かび上がる額の左端は、傷一つなくつるりとして昨夜のことが嘘のようだった。体温がない分、治りが早いのかも知れない。ほっとしたせいか、思わず頬が緩む。
「見た感じ何ともないな、よかった。……それにしてもお前、光の当たるところでも、姿を見せられるようになったのか?」
 座敷童子はきょとんとした表情で少し首を右に傾けたが、無言のまま俺に両手を差し伸べてきた。
「あ、下ろせって? はいはい」
 脇下に手を入れて床に下ろしてやると、座敷童子は当然のような顔ですたすたと階段の方に歩き始めた。
 座敷童子の姿が何故突然はっきりと見えるようになったのか、それが一体何を意味するのかさっぱり分からなかったが、まあそんなこともあるのかもしれないと適当に納得すると、俺はケツをボリボリかきつつ欠伸なんぞ一つして、その後ろから階下に向かった。

☆☆☆

 マグカップに注がれたコーヒーから、白い湯気がユラユラと立ち上る。
 座敷童子は半分口を開けたまま、ゆっくりと上昇しては中空に消えてゆく湯気の行方を、上昇のスピードに合わせて首を何度も上下させながら、さっきから飽きもせず見つめている。
 こんがり焼けたトーストにバターを塗りながら、テーブルの向かい側で上下運動を繰り返す小さな首に、試しにこんなことを聞いてみた。
「これ、食ってみるか?」
 座敷童子は、バターが塗られていくトーストを不思議そうに眺めてから、俺の顔を見てちょこんと小首を傾げてみせた。
「ほれ」
 その小さな顔の前に、半分にちぎったトーストを差しだしてやる。
 座敷童子は差し出されたトーストをじっと見つめてから、恐る恐る両手を出して捧げ持つように受け取ると、裏返したり、匂いを嗅いだり、ちょこっと舐めたりしてみてから端を一口かぷっと口に入れ、驚いたように目を丸くして、今度は猛然とかぶりついて食べ始めた。
「うまいだろ? 一応、安くてうまいって近所では評判のパン屋だからな」
 そのあまりのがっつきぶりに半分呆れつつ言うと、座敷童子は最後のひとかけらを口に放り込んで顔を上げた。
 目で「おかわり」と訴えかけているのが分かる。
 頭も痛いし気持ち悪くて何も食う気がしなかったので、まあいいかと手にしていた自分の分を渡すと、座敷童子は目をキラキラさせながらそれを受け取り、嬉しそうにぱくぱく食べ始める。
 ちびちびコーヒーを飲みながらそんな様子をぼんやり眺めていた俺は、突然あることを思いついてコーヒーカップから勢いよく唇を離した。
「そうだ、お前、名前なんにする?」
 座敷童子は口いっぱいにトーストを頬張ったまま、怪訝そうに目線を上げた。
「名前つけねえと、昨日みたいな時何て呼べばいいのか分かんないからな……って、昨日みたいなことがまたあったら困るんだけど。とにかく、名前決めようぜ、名前」
 きょとんとした表情のままひたすら咀嚼し続ける座敷童子を横目に、早速命名モードに思考を切り替える。
「何がいいかなあ……女の子の名前だろ。夏希、美晴、優、帆香、優花……」
 取り敢えず、同級生だった女の子で覚えている名前を片っ端から挙げてみる。が、どの名も音を聞いた途端その同級生の顔が浮かんできてしまい、目の前に座るこいつに相応しい名とは言えない気がした。かといって、一から考えるには語彙が貧困すぎて思い浮かばない。考え倦ねつつ部屋をぐるぐる見回していると、ふと壁に掛かっていたカレンダーの一番上に、書道風のタッチででかでかと書かれている、こんな文字が目に入った。
『十月 神無月』
「神無……カンナ」
 口に出してみて、響きを確認して、目の前の座敷童子と見比べる。うん、悪くない。
「なあ、神無ってのは、どうだ?」
 座敷童子はきょとんとして首をひねってから、指についたバターをペロリとなめた。
「神無だよ、カンナ……お前の名前」
 直向きに俺の目を見つめ返しているものの、イエスなのかノーなのかさっぱり分からない。
「……ま、いいか。要するに、俺が呼びやすければいい訳だからな。分かった。じゃあ、俺はこれからお前のことを一方的に神無と呼ぶ。呼ばせてもらう。いいな」
 何らかの反応を期待して断定調で言ってみるも、相変わらず座敷童子は首を微妙に右に傾げ、黙ってこちらを見つめているだけだった。

☆☆☆

 『神無月の語源は、神を祭る月であることから「神の月」とする説が有力とされ、神無月の「無」は、水無月と同じく「の」を意味する格助詞「な」である』
「何だ、大丈夫じゃん」
 パソコン画面に表示されたその言葉を読んで、思わず小声で呟いた。