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そこにあいつはいた。

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 十月末の気候に加え、すきま風だらけのこの家で、いかに妖怪とはいえ全裸はさすがにきついのだろう。恐らく今までは座敷童ということで、どこに行っても下にも置かれぬ待遇を受け続けてきたんだろうが、うちに来た途端この冷遇で、こいつも少々戸惑っているのかも知れない。よくよく考えれば、こいつはここに存在しているだけで別に何か悪さをしている訳でもない。そこまできつくあたることもないのかもしれない。
 何だか知らないが俺の心には、座敷童子に対する同情的な感情が芽生えてきていた。
 確かにこんな夢うつつの現象より、俺にとってはリアルの方が数倍きつい。それを唐突に再確認して、恐怖心が一気に薄らいだんだろう。見てくれもこんなんだし。ただの、丸まったキューピー。
 だからといってこんなひんやりした化け物と同衾するほど俺も酔狂じゃない。この布団から追い出しても、こいつが温かく過ごせる方法は……。
「そうだ!」
 ポンと手を叩くと早足で部屋を出たが、一歩出たところで踵を返し、掛け布団をエビキューピーの上に被せてから再び部屋を出て、超速で階段を降りた。
 一階の三畳間に押し込まれている整理ダンスの引き出しを片っ端から開け、中身をひっくり返すこと数分。程なく、セーターの下で平べったくなっている小さな包みを発見すると、それを片手に再度階段を超速で駆け上がる。
「ほら、これ!」
 部屋に入るやいなや大声で呼びかけ、掛け布団をはぎ取ると、エビキューピーは先ほど同様敷き布団の真ん中で丸くなっていたが、その勢いに些かギョッとしたように顔を上げた。
 そんなことにはお構いなしに、戸口で仁王立ちになったまま、急いで手にしていた包みを開ける。
 包みの中から現れた白いフリルに、座敷童子は大きくその目を見開いて、小さな唇を僅かに開いたままエビスタイルを解除すると、布団の上に起き上がった。明らかに興味を示している反応だな。よしよし。
「これ、サイズ……ええと、百センチだってから、お前多分着られるぞ。多少小さくても我慢しろ。何せこれは……」
 言いかけた言葉が、音声という形態をとる前に口の中に消えていく。

 何せこれは、あの子のために買った洋服だからな。

 妊娠が判明し、あいつがやって来てから初めて迎えるクリスマス。あいつのプレゼントを買った後、何となく時間が余ってデパートをフラフラしていた俺の目に留まったのが、バーゲンの値札が下げられたこの白いワンピースだった。
 初秋用の製品らしく冬真っ盛りは少々寒々しいが、繊細な白いレースが子どもの可憐な愛らしさうまく引き立ててくれそうな一品だった。腹の中の子は、まだ男なのか女なのか判明していなかったが、俺は何となく女の子のような気がしていた。というか、女の子だったらいいな、と思っていた。安くなっていたこともあり、俺は迷うことなくそのワンピースを購入した。
 クリスマスにそれを見せられたあいつは、案の定苦笑した。
『健一ってば、気が早すぎるよ。まだ女か男か分かんないじゃん』
『どっちでもいいんだって。今回男の子でも、次があるし。その時までとっといたって大丈夫だって』
 苦笑しつつもどこか嬉しそうに眼を細めながら、包みをじっと見つめていた、あいつ。

 でも、もうこれは必要ない。

 そう思ってはたと気づく。俺はもう諦めきってるんじゃないのか。
 あいつはもう復縁を求めてくることはないと完全に諦めていて、それなのに未練がましく期限ギリギリまで最後の時を延ばそうとしているだけなんじゃないのか。
 あまりの情けなさに鼻がつんとして、慌ててそいつから顔を背けて目元を腕でゴシゴシ擦っていると、ワンピースを持っている右手が何かにくいっと引っ張られた。
 見ると、いつの間に側まで来たのだろう、座敷童子が俺を見上げながら、ワンピースの裾をその小さな手でそっと握っている。
「……そうだったな、悪い悪い」
 そいつから顔を幾分背けたままポンと手渡してやったワンピースは、小さな手から溢れるようにこぼれ落ち、床に大輪の白い花を咲かせた。
 薄暗がりに仄白く浮かび上がるレースの連なりを、そいつは幾分困ったような表情で見て、それから助けを求めるように俺を見上げた。
「あーあ、しょうがねえなあ」
 苦笑混じりにワンピースを拾い上げ、背中に並んでいるボタンを外し、頭からそれを被せてやる。
 ありありとした実在感と、冷蔵の肉さながらのひんやり感に戸惑いつつも、レースの間から顔を出したそいつの腕に袖を通し、背中のボタンを丁寧にはめ、インナーパンツを手渡したが何のことやら分からない様子だったので、それも履かせてやる。
 立ち上がって一歩下がり、着替え終わったその姿を眺めてみた。
 ワンピースは驚くほどそいつにピッタリだった。
 袖丈も、裾の長さも、胴回りの加減も。色白の肌とサラサラの茶色っぽい髪に白いレースとふんわりしたスカートのフリルがとてもよく似合っていて、仄暗い室内に白く浮かび上がるその姿は、妖怪と言うよりはおとぎ話に出てくる妖精かお姫様のようだった。
「見違えたなあ、おい。お姫様みたいだぞ」
 感嘆のため息とともに思わず呟いた俺を、そいつは心なしか潤んだ目でじっと見つめているようだったが、ふいに何とも嬉しそうににっこり笑うと、だんだんとくすんだ壁に同化して、徐々に見えなくなっていった。
 あいつの姿が完全に消えると同時に、どういう訳だかよく分からないが、いきなり怒濤の如き……脱力感、というか、無力感、というか、何とも形容のし難い感覚に襲われて動けなくなった俺は、仕方が無いからあいつが消えた後もしばらくの間、煤けた壁に浮かび上がる白い残像を、口を開けてぼんやりと眺めていた。