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My Goddess

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 夕方ごろ空腹で目が覚め、珍しく彼女の作ってくれた雑炊を食べて、また明け方まで寝た。
 しかし一夜明けたところで状況が劇的に変化する訳はなく、学校は運の悪いことに一時間目からだった。サボろうかとも思ったが、必修の言語の授業で出席を取られることを思い出す。教師の嫌みな顔までもを思い出してげっそりした。
 教室はそろそろ欠席者が目立ち始める頃合いで、サボり方を銘々が覚え始め、ギリギリまで教室にこない奴が増える。始業十五分前にはまだ定員の三割くらいしか人がいない。
 彼女の家から大学が徒歩十五分強なので、天気がいい時はいつも自転車で通っていたが、この日は都合が違った。バスに乗るにも距離が微妙だし、自転車に乗れるコンディションではない。仕方なく歩いたが、外は嫌みなほどの晴れようだった。
 始業十五分前に教室に着いて、倒れたいほどだるかったが情けないので我慢した。いつも座る、中ほどの通路側の席を陣取り、テキストを開く。予習は少し前にまとめてやっておいた分で間に合ったが、頭からはすっかり抜けていて、またうんざりした。
 基本的に無理ができない体質だった。そんなことすら、忙しさと環境の変化からすっかり忘れていたのかもしれない。
 ぼんやりと教科書を眺める俺の手元に一つの手が伸び、人差し指が机をノックした。顔を上げると、一人の男がそこに立っている。背が俺より少し高そうだった。
「ここ、空いとる?」
 微妙な訛り。指さす先には、俺の一つ開けて先の席。頷くと、奴は持っていた薄いディパックを下ろして座った。髪が少し長い。襟足で首筋の三分の二が隠れていた。わずかに緑がかった、茶色い髪だ。むらなく染められている。
「気分悪いん?」
 内容よりまず、イントネーションが気になった。関西のものだ、と気づくのに数秒、どこかで聞いたことがあるような、なつかしい感じを覚える。俺が関西人の知り合いはいないのに、と首をひねる間も、奴は勝手に解釈したのか、片手を俺の目の前で広げた。
「愚問ですまんな。さっきから顔色悪いから気になってん。……あ、おれの言葉、変?」
「いや、そんなことないと思うけど」
 ようやっとそれだけ答えて、俺は少しばかり背筋を延ばした。パフォーマンスなのか、オーバーに安堵の吐息を漏らして、奴は笑う。また、デジャ・ヴのような違和感が脳裏に閃く。思考回路まで鈍ってきたのかもしれない。
「おれな、小学校まではこっちでな、中高は京都にいたんよ。だから変なイントネーションと関西弁が身についてもうて」
 適当に相槌を付きながら、こいつの名前を知らないことを今更ながら思う。しかし、それを聞いてはいけないことのように感じて、言うのは躊躇った。多分、一緒のクラスなのだろう。
「気分は平気なん?」
「ああ、多分環境の変化じゃないかって」
「お医者さん?」
「いや、今インターンやってる兄貴が……。保険証を実家に置いてきちゃったから医者には行けなくてな」
 言ってすぐ、言い過ぎたことに気づいたが、もう遅かった。ふうん、という相槌を聞きながら、次にくる質問を想定し、防御を固める。
「一人暮らししとるん?」
「違うけど」
「あー、もしかして年上の彼女と同棲中って自分やったん?」
 さらっと、何でもないことのように奴は言った。想像どおりではあったが、事実には尾ひれが生え、一人歩きしていたことを嫌が応にも突き付けられる。すぐに返そうと思ったが、喉がうまく動かない。
「いや……同棲も彼女も間違い。彼女は昔世話になった人で、ここから近いから単に居候させて貰ってるだけ」
「へぇ、そうなん」
 自分も鞄から教科書を取り出して開きながら、奴は言った。好奇心から出た言葉でなかったことが、態度から分かる。
「せやなぁ、出来過ぎや思ったわ」
 言葉が――というよりその意味が――通じたことに拍子抜けして、俺は背もたれにもたれた。不思議そうにこっちを見てくるのを無視して、できるだけ自然にテキストへ視線を戻す。
 しばらく、予習だとか授業のことだとか、どうでもいい会話が続いた。京都に行ったことがあるか、と問われ、兄貴のことを俺は話した。
 そして授業開始の直前、奴は授業用らしい眼鏡を鞄から取り出しながら、しばらくぶりにこっちを見た。
「さっきの話、自分はその人のこと好きやねんな」
 それはとうに過ぎ去ったはずの話題で、俺は不意打ちのパンチをくらったような気分になって呆然と奴を見返した。眼鏡の奥で控えめににやり、と奴が笑う。
「勘やけど、その顔は図星やろ?」
 反応を返せない俺に奴は開いたノートをよこすと、取り出したシャーペンで何かを書いた。名前だと、すぐに気づく。
「おれ、渡井(わたらい)修(おさむ)。宜しくな」
 返事を返す前に始業を告げるチャイムがなって、俺は自分の名前を言い損ねた。おかげというかそのせいと言うべきか、その日は奴と一緒に昼食をとることになり、そして、それがすぐに習慣になった。



 修と知り合ってから一週間ほど経って男二人の昼食に慣れ切った頃、頭痛が再来した。目が覚めて気づいてすぐに、彼女が以前買ってきてくれていた薬を飲む。授業は三時限目からだが、昼には修との約束があった。
 この間と同じように自分のベッドで寝転んでいると、じわじわ薬が効いて痛みがひいていく。目覚まし時計を昼休みに間に合うようにかけ、俺は布団の中へ潜り込んだ。
 次に気づいたのは、その目覚ましが止まった瞬間だった。俺の手は片方が布団の中に入っていて、もう片方は顔の目の前で中途半端に開いている。
 まだわずかに痛みの残っている頭を近い方の手で押さえて視線をずらしていくと、濃灰色のジャケットに包まれた細い腕が見えた。手首から控えめな、しかし高価そうなアクセサリィがのぞき、目覚まし時計を、片手で押さえている。
 その違和感に、俺は跳ね起きた。驚いた表情で、目を見開いて彼女が俺を見る。ベッドの上に座り直すと、同色のパンツを軽く叩いてから彼女がベッドの端へ腰掛けた。
「おはよう。目覚まし、ずっと鳴っていたわよ」
「ごめん。今、何時?」
 すぐに彼女がちらり、とブランドものらしい、華奢な腕時計へ目を落とした。
「十二時十五分」
 聞いた途端、しまった、という感情が表に出たのか、不思議そうな顔を彼女がした。小首をかしげ、髪を揺らす。
「三限の授業なら間に合うでしょう?」
「いや、友達と約束があって……」
 ため息を、軽く漏らした。彼女の体の横を、サイドボードへ手を伸ばす。置いておいた携帯を手に取った。修のメモリを呼び出し、電話をかけようとする。それを、また時計に視線をやった彼女が押し止どめた。
「約束は何時?」
「十二時半だけど」
「じゃあ、昼休みは?」
「一時半まで」
 ふぅん、と小さく呟き立ち上がると、彼女は小さく笑って俺の方を見た。
「お友達にちょっと待っててもらえるかしら? 私も出かけなきゃいけないから学校まで送ってあげるわ。もし彼か彼女かさえいいなら、昼ごはんも御馳走するけど」
 突然の展開に混乱して、俺は彼女を呆然と見上げたまま、彼女の真意を測ろうとした。
「どうする?」
 視線を受けて、にっこりと彼女が問う。答えを保留にして、俺は修に電話をかけた。

作品名:My Goddess 作家名:名村圭