小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

コーンスープのお返し

INDEX|2ページ/9ページ|

次のページ前のページ
 

二杯目




 それは一昨年のバレンタインデーのことだった。
 公立とはいえ、ふたりが通っていた中学校は比較的校則がゆるく、その日ばかりは教師たちも一年に一度だけなのだから、という名目で校内に漂う甘ったるい匂いを黙認していた。その「一年に一度」はすぐ一か月後に続くホワイトデーをはじめとして年に何度もあったのだが。
 思えば小学校の頃はホワイトデーのお返し目当てに「義理チョコ」と称して既製品の菓子類をばら撒く娘のほうが多数を占めていたが、いつの間にやら、あゆむの周りの女子たちはみな手作りチョコレートのレシピを広げるようになり、男子たちもまた、そのような女子を眺めては下心丸出しでそわそわするのだった。
「あゆむ、ほらぼうっとしてないで。折角ひとがあんたのためにおつかいしてきたんだから」
「ん」
 片手で哉子から紙パック入りのミックスフルーツジュースを受け取る。冬中は通常ならば敬遠されるはずの寒々しい屋上も、今日の昼休み、給食が終わったあとの時間ばかりは「避難者」で大入り満員、といったところだ。あゆむの方は特に教室から逃げ出す必要性を感じていなかったものの、哉子にとってこのイベントはどうも我慢ならないものらしい。柵によりかかるなり貧乏揺すりがはじまって、ときどき思い出したように、「女の子同士イコール友チョコってばっかじゃないの」だの「製菓業界の陰謀もここまでくると常識になっちゃうものなのね」だの、妙な方向に捻くれた文句を吐いている。
 妙な方向、とあゆむが思うのは、反目しているわりに哉子がバレンタインを真面目に考えているらしいからだ。世の中では男女間のイベントのように思われているかもしれないが、あゆむにとってはあくまで家族にチョコレートを感謝も込めて贈る日である。要はただのきっかけなのだった。無論、あゆむとて恋愛と関係したチョコレートに興味がないわけではないけれど。
(上げる相手なんていない、のに)
 「作りすぎてしまった」もう一つのチョコレートが、通学鞄の中に収まっている。あくまでも何かがあった場合に備えて、誰にあげるともなく鞄の中に入れられた、それ。
 友達とまで行かなくとも話が出来る男子の顔を数え上げようとしてみて止めた。どうせ片手で足りるくらいの人数しかいない。そもそもあゆむは普段、女子に自分から話しかけるのにだって少しばかり戸惑ってしまう。気軽に接せる相手は、それこそ哉子くらいのもの。
 なのにチョコレートを誰かに渡そう、なんて。
「あゆむはさ」
「……うん」
「チョコあげる相手とか、いないわけ?」
「いっ、いないって」
「何焦ってんの」
 思わず腰を浮かせかけたあゆむに哉子が首をかしげた。只の世間話だったつもりらしいその台詞に驚いたのは、どちらかといえばバレンタイン嫌いがありがちな話題を振ってきたことよりも、心の中を言い当てられたからだ。その驚きのまま、口から飛び出してしまいそうになった言葉を咳払いで抑える。こころなしか、哉子の視線に怪訝さが混じったような気がした。
「う……ん。私、家族には、あげたから」
「ああ、そのことじゃなくて。ていうかこの流れで家族の話にはならないでしょ」
 わざとらしく真面目な表情を作りながら、器用にも顔とは真逆のからかうような笑いを含んだ声で哉子は先を続けていく。ほら、「好きな人」のこと。別に話したくないんなら、あたしは無理に、とは言わないわよ。でもねあゆむ。可愛い幼馴染みのためなら、あたし一肌脱いじゃうかもよ?息がかかるくらい思いっきり近付いて、ほれほれ、と第二ボタンまで外したシャツの襟を揺らして言うのには、あゆむも思わず吹き出した。
「哉子、すっごい知りたそう」
「では、真実を探求する者にはそれが与えられるべきだと思わないかね、あゆむくん」
「本当に、いないから」
「ふぅん」
「いないから」
「いや、繰り返さなくていい」
「そっちから言い出したくせに……」
「あゆむ、ぺったんこだからなあ。それじゃあたしかにちょっとなあ」
「なにをー!!」
「うわ、あゆむタンマ今のはただの言葉のあやで、うわっ?!」
 一瞬でスイッチが入った。背中にチョップを入れると見せかけて哉子の手元からカフェオレを奪い取るまで約3秒。飲み終わったフルーツジュースのパックはポケットに突っ込んで、哉子の前に仁王立ちになる。
「本音が漏れてた気がするんだけど」
「いや、だからって何故飲み物を奪いますか……」
「問答無用っ。正義は勝つっっ」
「確かにあたしも悪かったけどさ、何もそこまで」
「何コレ、不味い」
「だったら取るなっ!!」
「返す」
「う、うん?」
「けど悪いのは哉子」
「うん、だからごめんて」
「教室戻る」
「え、あれ、あゆむさん?!」
(中学2年のくせにブレザー着てても目立つ哉子から見たら、みんなほっとんどぺったんこだよ)
 背中に視線は突き刺さるけれども、追いかけてくる気配はない。そのことにすこしがっかりして振り向きたくなる衝動を堪えるためにあゆむは屋上のドアにたどり着くまで走った。あゆむの身長は平均よりすこし高いほうで、痩せ型でもない。なのにいまだスポーツブラどころか、実はブラなしでも過ごしていけるものだから、すこしばかり――いやかなりのコンプレックスを持っていた。哉子も承知していて、ときどきからかうような言葉を口にする。つまり、必要以上に妙になってしまった反応は最早慣れきっているはずの哉子のストレートな物言いのためではない。
 踊り場をみっつ通り過ぎると2年生の教室にたどり着く。自分の席に腰かける前に後から声をかけられた。
「あ、矢野っち、鞄のファスナー閉めといたよ」
「はい?」
「ほら、チョコ入れてたでしょ。いくら黙認されてるからって、うるさいのもいるからさ。気をつけなよー??」
「あ、ありがとう……」
 そんなに目立つ場所に入れていたんだろうか。ひらひらと手を振る彼女に会釈をして、座った膝の上に鞄を乗せファスナーを開いた。ルーズリーフのバインダーとクリアファイルと数学の問題集と文庫本。
と、桃色の包装紙に包まれ、茶色いりぼんがかけられたチョコレート。
(哉子は、ばかだ)
 どうせ渡す相手のいないチョコレートだ。あとで自然な顔をして(実際嘘もなにも吐いていない)、作りすぎたから一緒に食べよう、と誘ってもよかった。なのにあんな、バレンタインにありがちなからかい方をしてくるものだから、自然に、なんて、もう出来るはずもないじゃないか。だからあいつは、折角あゆむが作ったそれなりに美味しいチョコレートを食べる機会を一回逃したことになる。まったくばかだとしか言いようがないじゃないか。
「そこまであゆむに信頼されてないのか、あたしは」
 ため息が前髪を揺らす。座りもしないで、あゆむの机の前に立ちはだかった哉子。
「話したくないのなら、それでもいいけど、それならそうと言ってよ。あたしにだって、デリカシーくらいはあるんだから」
「………………」
「まあ、悪かったのはあたし、か。ごめん、あゆむ」
 そのまま頭を下げられた。
作品名:コーンスープのお返し 作家名:しもてぃ