小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

掌の小説

INDEX|17ページ/21ページ|

次のページ前のページ
 

歩行



 桜の葉の色が気温の低下とともに深みを増した。小さい羽虫がたくさん群れを作って、ところどころの空気を霞ませた。彼はスーツ姿で駅へ向かう。今日は県庁で面接試験があるのだった。
「だんだん面接のコツがわかってきたよ。」
「やっぱり何件も受けなきゃねえ。」
「前向きに、向こうの求める人材になるんだ。」
「でもあんたの性格もあるからねえ。」
「俺は変わらなきゃならないんだよ。」
「まあそうだろう。」
 彼は今朝方母親とそのような会話をしてきたのだった。
「いつまでも親がいると思うなよ。」
「わかってるよ。」
「とにかくもう自立しろ。」
「もう何度も聞いたよ。」
「お前は学歴があるんだからちゃんとしろ。」
「はいはい。」
 彼は昨晩父親とそのような会話をしたのだった。
 駅へと向かう小道を歩きながら、彼は小指に感覚の痕跡を感じていた。履歴書に貼る写真を、機械によって複数枚並べて写された紙から切り出すために、金属の板で押し切るタイプの大きなカッターを使ったのだが、その板が写真を押さえる彼の小指に軽く触れた、その感覚がまだ残っていたのだ。
 棚づくりの梨畑にかけられた網に、カラスが絡まっていた。首を回転させながら、くちばしを動かしていた。彼は、カラスをここまで身近に見たことがなかったので、その大きさに驚いた。下から抱えてみるとぐっと重くて、羽の手触りが柔らかかった。畑には知り合いのおじさんがいて、彼にあいさつしながらカラスを解き放った。
 刈られた稲穂には多数の雀が群がっていて、かれが田圃の脇を通ると、一斉にバタバタ羽ばたき飛び去り始めた。その羽の動きが、映像がぶれたかのようで、彼はスクリーンをのぞいているような錯覚を感じた。
 小学校の脇を通ると、体育館の中で、教師と生徒たちがボールを持ってバスケットをやっていた。体育館の中は外よりも暗くて、暗い空間が高く広く広がっていることに、そしてそこで生徒たちが活発に動いていることに、彼は多少の不思議さを感じた。
 そして彼は踏切を超えて駅の階段を上がる。窓口で切符を買って、ベンチに腰を下ろして、駅の屋根からつりさげられた電車が近づいていることを示すランプの点灯を待った。彼に緊張はなかった。それよりも、駅に来るまでの風景を心地よく反芻しながら、社会と接することの喜びをうっすらと感じていた。
 電車が到達する時間が近づいたと見えて、目の前を何人もの人が通り過ぎて行った。忙しそうだが少し傲慢さを顔に湛えた初老の会社員。地味とも派手ともつかない複雑な模様の服を着た、背の曲がった白髪の老婆。身なりを清潔に整えて、顔かたちも美しい若い女性。彼は眺めるとも目をそらすともなく、ちらちらと前を通っていく人たちを観察した。その、無関係だけれどもこれからたくさん関係していくだろう人々。こういう多様な人たちが社会を作っている。その社会と面接するのだ。
 電車が到達し、彼は乗車して手前の席に座ると、ひたすら電車の揺れや響きに身を任せた。この、電車の揺れや響きを作り出し、それを制御しているのも社会である。彼はそんなことを考えた。社会は遍在している。俺自身も社会だ。今日は俺という人間の中に結集した社会と、県庁という機関に結集した社会、この二つの社会が面接する日だ。そんなことを思った。
 電車の外には、晴れた日の明快な空気がどこまでも続いていた。空気の少しの動きがその冷たさで秋の到来を示す日だった。冷たさはどこまでも空高くまで続いていき、空高くには無限の明るさが無限の硬さとともに季節をしたたらせていた。

作品名:掌の小説 作家名:Beamte