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早稲田文芸会
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嵐の環・台風の虹彩(酒井貴裕)

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『カフェ・ルー・ルイス』はとある悪人達の侵略を受けて『バー・リー・アーメイ』になった。悪人達の首領である坂上は素晴らしい聴力の持ち主である――全盛期にはドライバーが唾を飲む音を首都高の縁で聞き分けたほどであった――現在、彼はあらゆる道路に近寄ろうとしない。自らバーテンを務め一年を通じて定休日も設けず『バー・リー・アーメイ』のカウンターに立つ。坂上はもう一度戦争が起こればいいと思う。雑居ビルの地下にあるこのバーはスイッチ一つで艦隊にも負けない。
 負けない――
 坂上は昼下がりはもっぱら回想で過ごす。そうだ、あれはオクラホマの『ホテル・マッケンロー』三階の廊下で一九四X年に半裸のウエイトレスとすれ違ったときのことだ。彼女は業務用でないスマイルで「いいわね、そのサングラス」と言った。スーツ姿の坂上はウエイトレスの首を絞め「くれてやるよ」と笑った。彼女の下腹部をまさぐりそこにサングラスを生けてエレベーターで上がったり下がったりを一晩中繰り返した。ベルボーイが入ってくるたびにルームサービスを奪っては顎を殴り気を失わせた。定員がまずくなるとウエイトレスの階で全員を吐き捨てた。サンドイッチはトマトとタンドリーチキンとシーフードにマヨネーズとお酢だった。彼は鼻先まで汚しながら豪快にそれを頬張ってはリキュールを飲んだ。明け方には選別にとウエイトレスの耳元に胃が空になるまで吐いた。幸せだった、と彼は思う。あのときの卓絶は忘れ難い。出窓に掛かった月も格別だった。
 明け方の西――
 原爆の制作にかかわった彼の友達は変な色の涎を口から流しては「最高の人生だぜ」と言うのが口癖だったが戦後ラスベガスで事故死した。八万ドルの勝ちをオープンカーの助手席で振り落とし「オー・ベイビー」、マスターベーションをし損ねてオアシスの水辺にダイブ、死体全体が溜め込んでいた精液で繭のようにコーティングされていてラクダでさえもが憐れみ長い舌で舐めた。彼の告別式で坂上はライフルの空砲を放ち「最高だぜ、俺もお前もミートソースみたいにドロドロになればいいのによぉヘヘヘへへ行こうぜぇ天国にみんなして俺たちみんなして・・・・・・最高」、そして故人と同じ型のスポーツカーで参列者を未亡人以外全員轢き殺した、未亡人とは助手席で三発分の和姦を行った、「戦争反対って叫ぼうぜ、戦争反対! 反対! 反対! イヤアアアアアアアオッ!」、それはワシントンまで届くニュースになったが結局彼はルイジアナまで未亡人を連れ逃げおおせた。彼女との最後の夜は接吻とイワシのフライだけだった。
「ねえあたしは所詮うろこよ、ころもにはなれないの」
 オープンカーは急発進で助手席から女を振り落とした、「お前ヒロシマよりはためいてるぜ、ヒァーッ!」。
 そのとき地平線の端が白くなった。胸に収めたはずの名残がやかましい――黙らせようと殴れば殴るほど泣きたくなるのはなぜだろう。何かが俺を待っている、何かが俺を待っている……から? エンストとともに彼はモーニング・ムーンと対峙した。
 見上げたら――
 ピュアなハートの娼婦の森に住んでも坂上はにこりともしなかった、騎乗位で全員の腰を砕くのに十日を要したことが彼の生涯の心残りだった。戦後赤線が消えてなくなるまで彼は東京の永世王者だった。その頃の栄光はあまねくアジア全土に知り渡り彼がフィリピンを訪ねたときなど聖職者でさえサインを願った。
「シャッチョサーンソレハナシヨ、ナシ」、掘りたくても一度も掘れなかった。
 ロックンロールのない時代には彼はいつだってメンデルスゾーンだった、ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品六四を彼は終生愛すことになるがそのきっかけとなったのがマレーシアで虎を飼う村長の娘との逢瀬だった。彼女のコレクションには一枚のバッハもシューベルトもなく、代りにバルトークやグラナドスがあった。
「車泥棒とかほんと趣味があうわね」
 そして流れたのが例のメンデルスゾーンだった。どんなフィルインよりハード・バップより彼を勇気づける。それは彼女にとっても同じだった。紫陽花の花が村中に咲いていた。紫陽花を食べると神経麻痺になり死んでしまうので彼も彼女も虎もそれを食べようとはしなかった、代わりに虎はヴェート―ヴェンの楽譜を食いちぎってはいつも擦りむいたような顔をしていた。村では自転車がブームらしかった。カラカラいう車輪がルーレットに聞こえて、彼はそこから銀河を連想した。
 遠すぎて――
 明け方の河川敷を野球仲間と自転車で並走していた旧制中学二年の坂上は輪姦の帰り道だった。相手は昔で言う悪代官の令嬢、信じがたいほどの醜悪な顔つき、名古屋城の生垣のような頬、誰かがライターで彼女を炙った。
「俺の妹は三歳の奇形児さ、俺の母親がテメエのとこで買った大根を食って左手薬指裏にしびれが残ったまま出産してこの有様だってのをテメエの親父が知ってねえたあ言わせねえぜ舐めんなよ」と言ったのは坂上ではなくその級友のヴェイゼンだった。彼はドイツ人の母を持つハーフであり、父親は『或るネイチャア・ボオイとその三姉妹』という小説を同人誌『赤い鳥』に投稿し作家として名を成し、後年飯田晋平が『血に飢えた霧』を発表した際に一部で「モチイフがJ・ヴェイゼンの作品と酷似してゐる」と騒がれたことでも有名である。
 早朝の風を切りながらヴェイゼンは坂上に笑いかけた。「やったよ、俺、やったよ」、眉と目頭が近い。歯は下顎の最深部まで真っ白だ。
「いい夢を見たんだ」
「どんな?」
「虹が冬中架かりっぱでさ」
「へえ」坂上は明るく染まった平屋の屋根の連なりを目で追っていた。「そりゃあ、羨ましいや」
 架かりっぱ――
 ヴェイゼンは江華島で爆死する四日前に坂上に手紙を送ってよこした。青いキリンさんの描かれた便箋だった。その日坂上はコルシカ島で酒屋を襲うつもりだったので読むのは後回しにしていた。途方もない数のムール貝を食し白ワインは噴水ほど飲んだ。なお、坂上がこの島の東海岸のとあるラグーンの縁の宿で若き日のクリスチャン・ディオールに出会い、「君は将来間違いなく大成する」と言いムニエルを奢ってやったことを知る者は少ない。また、このとき彼はディオールのコレクションのひとつであったマックス・ジャコブの木炭による猫の素描で鼻をかむ暴挙に出ているが、ディオールはそれを笑って許している。
 坂上はのちに高名なハーモニカ奏者トゥーツ・シールマンス御用達として知られるようになるアラバマのバーガーショップ『ネガティヴ・プレロガティヴ』のテラスで朱の木漏れ日のなかパインと羊肉とマッシュルームの挟まったものを食べながら便箋を開いた。そこには流麗な筆文字でただ一言、