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さよなら、赤川先生

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赤川先生の終わらない旅2



 上等な絨毯のように足首の高さまで積もった落ち葉を蹴散らして進む。盛大にがっさがっさと音をさせて公園の遊歩道を歩いていると、椚並木の枯れ枝をめじろやしじゅうからが澄んだ声で歌いながら飛び回る。見上げてぴゅう、と口笛を吹いてみると小鳥たちは一瞬静まり、すぐまた慌ただしく動き出す。
 木々の緑はすっかり消え失せて、街は寒々しい景色を湛えていた。早いもので、先生が出発してからもう三月半余りが経つのだ。そんな事を珍しくしんみりと考えた。先生がいなくて寂しいと思うことはほとんどないけれど、僕の長くて孤独な季節はただ静かだ。その静けさが、秋が深まり冬の張りつめた予感が空気を満たし始めるといよいよ際立ってくるのだった。
 公園を抜けると、古くからある商店の並びにふとん屋がある。二階建ての一階が作業場兼店舗になっていて、「タイヨーふとん」と書かれたガラス戸の奥、一段高くなっている畳敷きの作業場でミラクルじいさんが背を丸くして布団に針を入れている。電灯をつけていないので店内は暗い。
「こんちわ」
 ガラガラと戸を開けるとミラクルじいさんはいったん作業を中断して、無精髭で汚い顔をクシャッと歪ませて「ふぉう」と笑った。
「あれ、先生んとこの坊っちゃんじゃないの」
「ふぉう、じゃないですよ、おじいちゃん」
 僕はため息をつく。店に入って後ろ手に戸を閉めると、途端にふとん屋特有の埃っぽいにおいが鼻の奥をくすぐる。くしゃみがしたくなるのを何とか堪え、作業場の端に腰掛けてショルダーバッグをおろす。
「あのね、おじいちゃん、また先生に羽毛布団売りつけたでしょう。今朝運ばれてきましたよ、トラックで。何度も言ってますけど、もう布団は間に合ってるんですよ。うちの布団部屋がどうなってるか知ってます? 襖開けると布団の壁ですよ」
 強い口調でまくし立てると、ミラクルじいさんは少しふて腐れたように反論してくる。
「だけども、先生が買って下さると……」
 まったくあの人は、と僕は頭を抱えた。先生はどこまでも人がいい。というか、脳内に頼まれた事を断るという回路が存在しない。批判力が皆無なのだ。
「とにかく、」と僕は気を取り直して口を開いた。「あれは返品します。今日は契約を解除してもらいに来たんです」
「そりゃあ、できないよ」
「どうしてです。おじいちゃんの若い頃はどうだったか知りませんけど、今はクーリング・オフって制度で国がそういう権利を保障してるんですよ」
「そんな事は知っとる」
 とミラクルじいさんはムッとして答える。
「じゃあ何故です?」
「何故って先生が契約して下さったのは七月だよ? 坊っちゃん、クーリングオフって知っとるかい?」勝ち誇ったようなミラクルじいさん。
 知らないはずはない。訪問販売の場合、クーリングオフが有効なのは法定の契約書面が交付された日から八日間に限られる。
「姑息な手を使いますね。先生が出て行ってから商品を送りつけるなんて。……でも」
 と僕はショルダーバッグから紙切れを取り出し、畳にたたきつける。
「これじゃあ『法定の契約書面』には該当しませんよ」
 僕がばしばしと叩く紙切れには、契約書に本来あるべき文章ではなく、ローマ字と凡字の融合したような、出鱈目な文字が並んでいる。
「なんですか、この失語症の子供が書いたようなのは」
「ムウ大陸の文字だよ」
「はい?」
「む、う、た、い、り、く。去年の春頃だったかな、急に思い出したんだがわしはムウ大陸の生き残りでねえ」
「はあ」
 ……また始まった。僕は言葉を失ってミラクルじいさんを見た。暗い部屋に浮かび上がる、この猫背の小さな老人は、十年ほど前にUFOにさらわれて内蔵を全て入れ替えられてからと言うもの(本人談)、時々こういう事を言い出す。それによれば、ピサの斜塔を傾けたのも、ノストラダムスの預言書が書かれる事を預言したのも、ポケベルを発明したのもミラクルじいさんなのだった。それを地域の子供達が面白がってつけたのが、ミラクルじいさんというあだ名だった。
「ムウでもパンゲアでもいいんですけどね、とにかくこれじゃ日本の法律の定める領域外ですから、契約は無効です。商品は差出人へ送り返しますから、しめて十万と八百四十円、きっちり返してもら」
「ふぉおおおぉぉぉ!」
 突然大声で喚きだしたじいさんに驚いて僕は飛び退く。
「な、なんです?」
「津波だあ! 津波がくるぞ」
「またそうやって大声出してごまかそうとする。ちゃんとお金返してくださいよ」
「うるさい! 津波がくるぞ! 祟りだあ! UFOの祟りだあ! あっちいけ、ぺっぺっぺっ!」
「ああもう、汚いなぁ」
 くさい唾を吐き出したじいさんから逃げるように、席を立ってガラス戸を出る。
「また来ますからね!」
 僕は苛立ちに任せてぴしゃりと戸を閉めタイヨーふとんを後にした。まったく、どうして僕の周りにはろくな大人がいないんだ。少し離れてから、そうぼやいて振り返ると、暗い作業場で布団を縫う小さなミラクルじいさんが見えた。じいさんに家族はいない。僕はなんだかやりきれない気持ちになって、お屋敷までの帰り道をいつもよりもゆっくりと歩いた。

 お屋敷に帰ると、なんと郵便受けに先生から手紙が届いていた。これはすごい事だ。僕は先ほどまでの暗い気分が嘘のように胸をときめかせて、小躍りするように駆け足で庭を横切って縁側から居間へ上がった。
 先生から手紙!
 戸締まりもせずに荷物をその辺に放りなげる。はやる気持ちを抑えて、封筒を握ったまま、冷たい「コ」の字の廊下を通って洋間へ急ぐ。
 先生から手紙!
 先生から手紙!
 どんぐりを巣にしまい込む齧歯類のようにそそくさと自室である洋間へ潜り込むと、早速机の引き出しからペーパーナイフを取り出し、お気に入りの柔らかいソファに腰掛けた。そこでようやく一呼吸おく。昭和の匂いのするアンティークな調度に飾られた僕の部屋には、二面の壁にまたがる大窓から透明な陽光が穏やかに射していた。窓の外では色づいて日の浅い楓の木がひどく緩慢に揺れ、葉が擦れあい天の川に星が流れるような音を淡く醸し出している。豊満で余所余所しい晩秋の光に満ちた部屋にあって、手の中の封筒だけはどこか異質な雰囲気を漂わせていた。光り輝いているようでもあったし、あらゆる音を吸い込んでしまう穴のようにも感じた。それはまるで、そこに先生がいるかのようだった。僕はようやく落ち着いてきた胸に手を当て深呼吸をし、それから厳かな気持ちで先生の手紙にナイフを入れた。


『久しぶりです、如月くん。元気ですか? 驚いたでしょ、私は手紙なんてほとんど書かないから。
 さて、今私は「ある場所」にいます。こんな書き方をするのは、勿体ぶっているのでは決してなくて、実のところ私にもここがどこなのかよく分からないからです。どこだか分かりませんが、ここが如月くんや、かつての私、そして世界中のほとんど誰にとっても知る由もない場所である事は確かです。正しい名前がないのだから、正しい呼び方などありません。……とはいえ、このままではあまりに不親切ですね。ですから「ここ」について、そして私がどうやって「ここ」へ来たか、少しだけ書くつもりです。
作品名:さよなら、赤川先生 作家名:めろ