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セカンドラブ・シンドローム

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 東京の自宅アパートへ帰ると、カーテンの閉め切られた部屋で『留守電メッセージ有り』のランプは飽きもせずまだ点滅していた。
 僕はどんな痛みでも受け入れるべきだ。それは僕のためでも、夏菜子のためでも優子のためでもある。リュックを床に降ろし、流しに行き安物のビアグラスで一杯水を飲み、カーテンと窓を開けて換気扇を回し、僕はもう躊躇することなく、赤く点滅するボタンを押した。そして聞いた。
 『メッセージは・二件・です』
 あくまで機械的な前置きの後で、そのメッセージは冷酷に、確かな質量を持って僕の頭を麻痺させた。鉛のような金属でいきなり後頭部を殴られた気がした。その最悪なメッセージとは、こうだ。

『もしもし、小沢です……』
 その声は夏菜子のものではなかった。中年男性の声だ。
『えー、小沢夏菜子の父です。私も混乱しておりまして、なんと申し上げていいか分かり兼ねますが、えー、と。夏菜子は今日の昼、交通事故に遭いました。現在は集中治療室でオペを受けています。私の運伝する自動車に乗っていてでの事故でした。私さえ注意を怠っていなければ……いや、急にこんな事を言われても相沢さんはお困りになるでしょう』
 その通りだった。交通事故? 集中治療室? 落ち着いて話してくれ、と言いたかったが、落ち着いていないのはたぶん僕の方だった。
『これは夏菜子からの伝言なんです。意識が途絶える前に、夏菜子はあなたへ連絡してくれるように、と私に頼みました。あなたが夏菜子にとってどんな存在であるか私には分かり兼ねます。しかし、し……死にかけている時に脳裏を掠めるのは、きっとよほど大切な人なのでしょう。ですから正直にお伝えしますが、医師からはまだ、あのお決まりの『命に別状はありません』との台詞を聞いておりません。もちろん、だからといって命に別状があるというわけではないのかも知れません。実際の医療現場ではそんな言葉は使わないのかも知れませんから。なにぶん私も初めての経験でして、とにかく……ああ……』
 そこで夏菜子の父親は深く長いため息を吐いた。
『意味不明瞭な伝言になってしまいました。どちらにしても、後日夏菜子から改めて相沢さんに連絡がされる事を祈るばかりです。失礼します』
 そうしてメッセージは切れた。
 内蔵という内蔵が凍り付いた感じだった。僕は激しく混乱した。夏菜子が交通事故? どういうことだ?
 落ち着け、考えろ、と自らを叱咤した。しかし文明の利器は非情だった。僕にその暇を与えない。二件目のメッセージが、ピーという電子音の後に再生された。

『ええと、夏菜子です。突然ですが、私、交通事故に遭っちゃいました。昨日の昼のことです。衝突の相手はガードレールでしたが、だいぶ盛大に折ったり切ったり擦り剥いたりしました。ええと、もう血まみれで。救急車に乗ったのは生まれて初めてだったんだけど、全然記憶が無くてもったいないーって感じです。あ、顔に傷が付かなかったのが不幸中の幸いかな。まあそれで、今は手術が終わって麻酔も切れてきて、特別に電話させてもらってるんですけど、ホントならまだ動いたりとかもしちゃいけないことになってて、なので、これからしばらくこちらからは連絡が取れないと思うんです。でもこれは別に当てつけとかではないので悪しからず。……ああ、それと。やっぱりお酒の勢いでああいう話は良くないと思うんです。お互い酔ってて冷静ではなかったし。タクシー代の借りも返したいので、退院したら一緒に食事でもどうですか?……と言っても、二ヶ月先のことですけどね。あいたたた。体中ギブスなんですよ今。私のことあんなに泣かせたんだから、お詫びにお見舞いにでも来て下さい。順風堂病院に宿泊中ですので。それではまた今度』

 僕はテープを三回繰り返して聞いた。
 そして檻の中のサルみたいに部屋をうろうろと歩き回って、最後にベッドの縁に腰掛けた。
 夏菜子の怪我は深刻そうだったが、なぜだか笑いがこみ上げた。『やっぱりお酒の勢いでああいう話は良くないと思うんです』だって? そのとぼけた機転がまさに夏菜子のものだった。ちゃんと自分の逃げ道を用意している。
 まずは花だな、と僕は思った。駅前のフラワーショップで適当に見繕ってもらえばいい。あとはあれだな。キャラメルだ。入院中食べ過ぎて虫歯になるくらいのキャラメルを用意しよう。フルーツ詰め合わせなんて持っていったら先輩センスない、と一蹴されるだろうから。そうと決まればすぐにでも出掛けなければならない。僕は立ち上がってポケットの『努力』と『忍耐』を確認した。実は中島に貰ったときから決めていたのだ。僕が『努力』で夏菜子には『忍耐』だ。


 僕は自転車で駅まで飛ばしながら、にやけ顔を抑えきれずにいた。想像の中の、大量のキャラメルと巨大な花束を抱えて夏菜子の病室に現れる自分は、滑稽なほど幸せそうだったのだ。
 待ってろ、夏菜子。
 ペダルを強く踏み込むと、シャツを膨らます風から強く夏が匂った。東京の霞んだ空にも、入道雲が立ち上りはじめていた。