セカンドラブ・シンドローム
後編
翌日、僕は北へ向かう一番早い新幹線の中にいた。
故郷の街までは二時間掛かる。朝早くに飛び出してきて慌てて電車に乗り込んだが、座席に腰を落ち着けてしまうと何もできないだけに焦りが募った。何の準備もなく出てきてしまったのだ。考えれば考えるほど、優子と会うなんて現実離れしているように感じた。
僕は何度も純ネエのアドバイスが、果たして効果的で現実的かどうか検討してみた。
効果的かどうかと言うことに関して、僕は何も結論づけることはできなかった。それがどういった影響を僕の精神に与えるのか、想像もつかない。
現実的か、と言う問いには、そこそこ正確な解答が出せたはずだ。僕は高校卒業以来、優子には一切関わっていない。連絡先も知らない。しかし望みがないわけではなかった。僕らの担任はあの高校にまだ勤めているはずだ。
でもまずはその前に、と僕は思った。
中島の手紙をポケットから取りだし、もう一度広げてみた。
『前略』
という、彼らしくもないあいさつでその手紙は始まっていた。
前略、相沢へ。
もう随分と長い間連絡を取っていないが、元気でやってるか? 電話でもすればすぐに話はできるんだが、用事でもなければなかなかそういう気も起こらないのが人の常だな。だからこうやってこの手紙を書くのも、用があるからだ。
俺は相変わらずステンドグラスの真似事みたいな事をやっている。何かを作って生きるというのは、本当に健康な事だと自覚してるよ。自分のやったことがしっかりと形になって行くのが分かるからな。で、その結果がまたひとつ、まとまった形になったんだ。具体的にいうと、個展を開かせてもらうことになった。是非お前にも来てもらいたいところだが、今は夏休みでもなんでもないし、その為にこっちへ帰ってこいとは言わない。言わないが、チケットと地図は同封させてもらう。いいか、これは警告だ。俺は着実に足跡を残している。お前は物書きになると言って出ていったな。お前がまだ「こっち側」に踏みとどまっているのか、諦観の壁の「向こう側」に行ってしまったのか知らない。でも東京ボケしてるんじゃないかと俺は危惧している。都会のアスファルトの上じゃ、足跡も残らないだろう。この機会に思い出せ、色々と。
草々。中島卓
世間知らずな田舎者の独り善がりの、来てもらいたいオーラむんむんの、それでも嬉しい手紙だった。中島は少なくともジョークでこう言うことを言える人間ではない。
中島は警告、と言ったが、封筒からチケットを取りだしてみるとその意味が何となくわかる気がした。立派なものじゃない。色画用紙に自宅のプリンタで印刷したような、粗末なチケットだ。それでもそこには『中島卓』の文字が入っていた。確かに背筋の伸びる感じだった。負けてられないな、と拳を握った。
まあ、それはそれとして、僕は別の意味で『この機会』を利用させてもらうことにした。親友の個展、というのは、故郷に帰る格好の口実になる。
僕は窓の外をみた。懐かしい色をたたえて、初夏の太平洋が流れていく。うまれ育った街までもう少しだった。
駅を出ると、こぢんまりとしたロータリーが見えた。
久しぶりに帰ってくるといつも、この山と海に囲まれた東北の小さな街はミニチュアみたいに見える。海の方へ行く路線バスに乗って数分も走ると、背の高い建物は無くなり、広い空と遠く低い山並みが取って代わった。
海岸公園というバス停で降車した。
太平洋に突き出た岬を丸ごと公園にしたのがこの海岸公園で、灯台を改築したマリンタワーが名所となっている。その辺りには観光客目当ての土産品売場や飲食店、ギャラリーなどが集まるブロックがあって、中島が個展をやっているというのもそこだった。
子供の頃は、よくこの公園につれてきてもらったものだった。広いだけの公園だったが、凧揚げやソリ滑りが思いきりできるのが嬉しかったのを覚えている。
懐かしく歩きながら、地図にあるギャラリーに辿り着いた。
ガラス張りのギャラリーは50坪ほどの広さで、外に受付の机が出されていた。
「いらっしゃいませ」
スーツを着た女がお辞儀をしてきたので目礼を返すと、彼女はおかしな顔で僕を見た。
「……もしかして相沢君じゃない?」
僕は彼女の顔から厚化粧を差し引いた所を想像して、ぽんと手を打った。
「ああ、楢崎!」
「やっぱりそうよね、相沢君久しぶり!」
そういって楢崎は化粧できつく見える顔を思いきりほころばせた。
楢崎は高校時代、中島の恋人だった人物だ。個展の手伝いをしているところをみると、その関係はまだ続いているらしい。そんなことを考えていると、楢崎はちょっと聞き取りにくい言葉を発した。
「ちょっと待ってね、いまうちの人呼んでくるから」
楢崎はギャラリーの奥へ入っていって、ジーンズにTシャツという姿の男を引っぱってきた。……うちの人?
「相沢っ! マジかぁ!」
白目の部分を三倍くらいにして中島が驚いた。
「来てやったよ」
「どうした。こっちに何か用事でも?」
「まあそれなりにね。それよりも今、楢崎がおかしな事を言ったような気がしたんだが……」
そう申し立てると、中島と楢崎はまるで夫婦のように顔を見合わせて笑った。
「ああ、そういや言ってなかったっけ? こいつもう、『楢崎』じゃねーんだ」
そう言って楢崎の肩に手を置く中島。僕は混乱した。楢崎が楢崎じゃない?
「一緒に暮らしてるのよ」
と楢崎が……いや、楢崎じゃなくなった楢崎が言った。
個展より先にそれを報告だろう、と僕は思ったが言わなかった。あまりにも二人が自然で、何か異議を唱えるのが馬鹿らしくなったのだ。
中島の作るステンドグラスはどれも手のひらほどの大きさで、目が痛くなるほど詳細に、繊細に作られていた。モチーフの大半は抽象的な図形で、ひとつまみは裸婦だった。
ギャラリーの壁にはそんな彼の作品が百枚ほど掲げられていて、すべて見て回るのに小一時間掛かった。足跡。中島の手紙を思い出した。本人も自覚するとおり、中島は確実に足跡を残している、と思った。それに所帯も持っている。
一通りのあいさつを済ませて僕はギャラリーを出た。元・楢崎は夕方から一緒に食事でも、と誘ったが、丁重に断った。中島たちともゆっくり話したかったが、本来の目的を忘れてはいけない。
「相沢、これ」
別れ際、中島が僕の手に何か握らせた。
「これは?」
「餞別だ」
取り上げてみると、それは二本のペンダントだった。ヘッドはマッチ箱ほどのステンドグラスになっていて、美しい色使いで片方には『努力』、もうひとつには『忍耐』と筆文字が描かれていた。陽にかざすと虹色に透けて光った。
「次にうちの工房で売り出すやつのプロトタイプなんだ」
これまで着実に足跡を残し続けてきた中島はついに道を踏み外してしまったかも知れなかったが、彼のことだから努力と精進でなんとかするに違いなかった。
「ありがとう」
と僕は努めて冷静に礼を述べた。
「これも警告?」
と訊いたら、
「助言だよ」
と中島は答えた。
それからバスで駅まで戻り、高校の最寄り駅まで電車で行くことにした。
作品名:セカンドラブ・シンドローム 作家名:めろ