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せき あゆみ
せき あゆみ
novelistID. 105
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バニラエッセンスの魔法

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満開の桜の下、お墓参りのあとでパパが言った。
「新しいママに来てもらっていいかい?」
「新しいママ? わたしのママ?」
 妹のまいは喜んだ。わたしはすぐに返事ができなかった。
 ママが事故で死んだのは、わたしの小学校入学の日。
 まいの生まれる予定日が近かったので、入学式にはパパが出てくれて、ママはうちで、お祝いのケーキを作って、待っていてくれるはずだった。
 式が終わって、教室で先生の話を聞いているときに、パパの携帯電話が鳴った。
 病院に駆けつけた時には、ママは冷たくなっていて、まいが生まれていた。
「赤ちゃんが助かったのは奇跡です」
 お医者さんは言ったけど、わたしはママが助からなきゃ奇跡じゃないと思った。
 ママはバニラエッセンスをきらしていたのを思い出して、急いで買いに出て交通事故にあった。
 だから、わたしはケーキをきらいになろうと、このとき決めた。
 まいの世話をするため、近くに住んでいるパパの妹の知恵おばさんが来てくれたけど、わたしもがんばって、おそうじや食事の支度を手伝った。
 パパが再婚する気になったのは、きっと知恵おばさんが結婚したからだ。
 先月、おばさんは世界一幸せそうな笑顔で、「もう、いかず後家とはおさらばよ」
と、新婚旅行に出かけて行った。

 なんにも答えないわたしに、パパは聞いた。
「みゆきはどう思う?」
「パパが結婚したいなら、すれば」
 わたしはそう言って、家にかけこんだ。
 知恵おばさんがこなくなって一ヶ月。わたし、ちゃんとやってきた。もう、六年生だし、新しいママなんていなくたって、だいじょうぶなのに。

 葉桜の緑が鮮やかになった頃、その人は家に来た。五月の風みたいな人だ。
「今日からママになる、いくみさんだよ」
「よろしくね。みゆきちゃん、まいちゃん」
 パパが喜んでるし、あいさつくらいはちゃんとしなきゃ、と思ったとき、まいが急に飛び出して、
「ママ!」
と、その人に抱きついた。
 出遅れたわたしは、ぺこっと頭を下げるのが精一杯だった。
 次の朝、お味噌汁のにおいで目が覚めた。台所に降りていくと、ご飯の支度をするママの後ろ姿があった。
「おはよう。ママ」
 声をかけようとしたら、
「おはよう。早いのね」
 振り向いた顔は、ママじゃなかった。
「おはよう……ございます」
 わたしはぎこちなくあいさつをした。
 あじの干物にわかめのお味噌汁。納豆とキュウリの漬け物……ママが死んでから、食べたことのないメニューだ。
 時間がなくて、朝食はずっとトーストだったし、知恵おばさんは洋食のほうが得意だった。
「いやあ、パパのリクエストなんだ」
 パパは上機嫌で新聞を広げていた。
「わたし、パンがいい」
 わたしはひとりで目玉焼きを作り、トーストにバターを塗った。
 その人が困った顔をしたので、パパはちょっと怒った。
「みゆき、わがままはいけないよ」
「だって、昨日まではパンだったじゃない」
 わたしはムキになった。朝のお味噌汁のにおいはなつかしすぎて、涙が出そうだったから。
 その日、おやつはケーキだった。
「わたし、ケーキなんてきらい」
 部屋に閉じこもった。本当は今でもケーキは好きだけど、わたしのためにケーキを作ろうとして、死んでしまったママを思い出すのがつらいから。
 まいには、ママとの思い出がないから、とってもよくなついて、お友だちにもママが来たと自慢している。それもわたしのかんにさわった。
 わたしはわざとその人の前で、アルバムを開いて、まいに見せたり、部屋中にママの写真を貼り付けた。
 その人は、悲しそうな顔をしたけど、
「すてきなママだったのね」
と、平気なふりをして、いっしょにアルバムを見ていた。
 でも、夜中にこっそりリビングで泣いていたのを、わたしは知ってる。

 桜の葉を散らす冷たい風は、わたしの心にも吹き込んだ。
 わたしはその人が買ってくれたセーターを、友だちのと交換した。
「お姉ちゃんはいけないんだよ」
 まいがパパに告げ口したけど、その人は絶対わたしのことを悪く言わなかった。それがまた、しゃくにさわった。
 わたしはどんどんいやな子になっていく。
 
 灰色の枝が北風にゆれる日。
 学校から帰ったら、台所からバニラエッセンスのにおいがしてきた。
 わたしはママがいるような気がして、わくわくしながら台所に飛び込んだ。
「ママ!」
 ところが、小麦粉や割れた卵が散らかって、台所はひどいありさまだった。ビンが割れて、バニラエッセンスが飛び散っている。
「みゆきちゃんのママみたいに、おいしいケーキを焼こうと思ったの……」
 はでにころんだらしく、その人は粉だらけになって半べそをかいている。テーブルの上には、お菓子のレシピ本が何冊も広げられていた。
「わたし。ケーキなんかきらいだもん」
 一度は部屋に入ったけど、二階にまでバニラの香りがしてくる。そのとき、ふと思った。
 どうして、ママがケーキを焼いていたことを知っているんだろう。
 わたしは台所へ行った。声をかけづらかったので、黙って片付けを手伝った。
 すると、その人は話し始めた。
「パパが会社に持ってきてくれたの。みんなのおやつにって」
 そういえば、この人は、会社でパパの部下だったっけ。
「お菓子の本があったから、作ってみようと思ったんだけど……」
 ビンのかけらを集めながら、涙ぐんでいる。
 わたしはぼそっとつぶやいた。
「知ってるんだ。ママの味……」
「ええ、お会いしたことはなかったけど、ケーキは何度もいただいたの。アップルパイやシュークリーム……。とっても心が温かくなるような味だったわ」
 ふんわりと家中にただようバニラの香りは、ママがやさしく抱きしめてくれているような、暖かな気持ちをわたしに思い出させてくれた。
 泣きたくなったわたしは、指についたエッセンスをなめた。

 ずっと前、ママがケーキを作っているとき、エッセンスが甘くておいしいと思いこんだわたしは、ビンからごくんと飲んでしまい、泣きわめいて大騒ぎしたことがあった。
 甘い香りとはうらはらに、辛くて苦くて舌がしびれて、思わず身震いするほどだ。

 それで涙をひっこめたわたしは、床に正座すると、きどって言った。
「いいですか。いくみさん。ママの味をマスターするまで、このうちの嫁とは認めませんからね」
 ほんとうにわたしって素直じゃない。
 いくみさんは涙ぐんだ目を大きくして、きょとんとしていたけど、床に座り直すと、
「はい。お姑さん」
と、返事をした。
 わたしたちは同時にぷっと吹き出した。
 それからさんざん笑った。笑うたびに涙がぽろぽろこぼれた。心の氷が溶けていくみたいに。
 あのとき、泣いているわたしに、ママがいったっけ。
『これはね、魔法のエッセンスなのよ』
 
 きれいに片付けた台所で、わたしたちは一緒にスポンジケーキを焼いた。
 もちろん、二人で作ったケーキは、形も悪いし、まだまだママの味にはほど遠い。
 それでも、まいは初めての手作りケーキにご機嫌で、顔中に生クリームをくっつけてほおばった。
「よかったね。ママとお姉ちゃんが仲良くなって」