ゼロ
卵
私は卵について語りたい。だが卵について語ろうとするとき、私は古傷をえぐられるような心の痛みを感じ、私の心の流れは、卵という言葉から割れ落ちた無数の破片によって堰き止められる。私はこの透明で広々とした妨害を乗り越えてこの文章を書いている。だから、そのような過剰に潤った痛みがこの文章の背後に持続し、文章の意味の細部にまで滲み込んでいることを忘れないでほしい。
私は自分の部屋に卵をいくつも飾っている。棚の上、テレビの上、食器棚の中、などなど。様々な角度で飾るために、様々な台を用いている。朝食を食べるときでも、卵は自然と視界の中に入ってくる。
卵は言葉のようなものを空中に流していて、その響きは私の感情の表皮をはがしてゆき、その意味は私の肉体の角度を埋めてゆく。卵の言葉は私を一つの卵に変えてしまい、新しい卵の中で私は快楽の滴りを受け止めきれないでいる。卵はどんなに産みたてでも極めて古い。この世界を流れる時間とは別のもう一つの時間が、卵の中には腸のように極めて長く折り畳まれているのだ。卵の中の時間はたぶん物質だ。恐ろしく光を吸い取る動物的な物質だ。
私は気が向いたときに卵を割って調理する。だが、殻は捨てないで、特殊な接着剤を用いて再び元の形態に戻す。修復された卵に残る、その時々の割れ方を鑑賞して、印象を語る:「一周するひびは狂った赤道であり、卵の内外を切り合わせて流れている。今回の被衝撃部は比較的小さく、卵からにじみ出る決意の網の萌芽として、情報の交通をはね返している。殻の摩擦の強さは、老人のあせりぐらいである。球体からのずれの程度は、「コイン」と「硬貨」の距離ぐらいである。滑らかなすぼまりは見る者の視線をたぎらせ、視線は愛欲の尖端へと永遠に継ぎ足される。」
私は卵を見ながら様々な期待をして楽しむ。次の瞬間、卵は飛び始めるのではないか、卵は真っ赤に染まるのではないか、卵は2倍の大きさに膨れ上がるのではないか。だがこの期待はいつまでも卵のままで、この卵も飛び立ちはしない。
前に一度、執行官がやってきて、私の卵をすべて割ってしまったことがある。卵の中身は割られた衝撃を吸収した力ですばやく響いていた。中身はなにかの意識のようで、私が意識を注ぐと響きが中和された。私は掃除をしながら、膨大な意識と接触した興奮で卒倒しそうだった。
今日、私は新たに一個の卵を買ってきた。この卵は早速、私の意識の一部に置き換わった。この卵を割るのは私が右手に傷を負ったときにしよう。そのとき、私の中身は卵の中身とどこまで混ざることができるだろうか。