Tiptoe
次の日の朝、飛野の身振り手振りは復活していたけど、なんとなくその手の向きはわたしを追い払っているようにも感じられて、落ち着かなかった。魚住はカメラ係の腕章をつけてすぐに教室から出て行き、湯河原くんは山科くんと話していた。今週はずっとこんな感じなんだろう。わたしは自分が生み出した『何か』を意識しながら、朝礼が始まるのに合わせて頭を切り替えた。
お昼休みになり、いつものように三人が揃った。平常運転のようでぎくしゃくしているトビウオと、ここ一週間で突然にょきにょき伸び始めた竹こと、わたし。ここに集まる理由は少しずつ失われていて、もしトビウオの仲が元に戻るきっかけになれるなら、わたしはいち早く退散してひとりに戻りたい。でも今は、飛野がショッピングモール内にできたケーキ屋さんの話をしていて、魚住はおかずをひとつずつお箸で掴みながら、相槌を打っている。わたしは飛野の話に合わせてちゃんとリアクションをしているし、今のところ早押しクイズに成功しつづけている芸能人のように、出遅れてはいない。三人ともご飯を食べ終わりかけたとき、魚住がわたしの目線を追いかけて言った。
「竹井さん、もっとくっきりと見たくない?」
湯河原くんの方を見ていることがバレた。そう思ってわたしが目を逸らせると、魚住は眼鏡を差し出した。
「これをかけたら、目を細めなくても見えるよ」
「え?」
飛野の声が音階を数段飛ばして高くなった。
「え? は? えっ? ゆかり、眼鏡。外してんじゃん。は?」
わたしは、眼鏡を外した魚住の顔をまじまじと見つめた。眼鏡越しじゃないその目は大きくて、本当に相手を飲み込みそうなぐらいにくっきりとしていた。
「私は、よく従兄弟に怖がられてて。ゆかりお姉ちゃんはすぐ睨んでくるからって。そんなつもりはないんだけど、眼鏡をかけたら顔が柔らかく見えるから、そういうクレームは入らなくなった」
飛野は頬が少し赤く染まっていて、魚住の目力から逃げ回るように手を振り回しながら言った。
「それで、ずっと眼鏡外さなかったんだ。怖いって言われると思った? 怖くないってか、むしろその目はマジで羨ましいんだけど」
「わたしも、羨ましい」
小声でわたしが乗っかると、魚住は眼鏡のつるを持ってぶらぶらと振りながら、言った。
「じゃあ、二人にひとつずつ、あげるよ」
「それは怖いって」
飛野が笑い、なんとなく空気がぽかんと破れた感じがした。魚住は一度目を伏せると、遠慮がちな目線を飛野に向けて、言った。
「ペアって、もう見つけちゃった? 私は、単独プレーにこだわるのはもうやめにする」
「絶望してたよ。いいの?」
飛野が言い、魚住は手を差し出した。お嬢様らしい、ぴんと伸ばした握手のフォーム。飛野はその手を握り返して契約を交わすと、わたしの方を向いて言った。
「真凛、ありがと」
「わたしは、何もしてないよ。むしろ、抜け駆けしちゃってごめん」
そう言ってわたしが手を横に振ると、魚住が眼鏡をかけながら言った。
「竹井さんといると、なんか色々とこだわらなくていいような気がしてくる」
飛野はうんうんとうなずいて、身振り手振りのときに必ず最初に動く右手を持ち上げた。
「分かる。ゆかりが眼鏡を外したのも、絶対それだよね。私だって、真凛なら何でも分かってくれるから、楽なんだよね。自分で気づいてないなら、それはマジで才能だよ」
飛野の身振り手振りで魚住の水筒が弾き飛ばされて、わたしはそれを受け止めながら思わず笑った。こんな風に、歯車が再び動き出すなんて。自分の力なのかは半信半疑だけど、トビウオの両方がそう思ってくれているのなら、あとは山のアイテムであるわたしが賛成票を投じるだけで、全会一致だ。
放課後になって、風紀委員の見回りに出た後、わたしは教室に戻った。湯河原くんの姿はなかったけど、ノートから切り離された用紙が机の上に置いてあって、そこには生真面目な字で『図書室にいます。借りたら、すぐ戻ります』と書かれていた。
勢いに任せて渡したペン。言いたいことは色々あったけど、説明できる気がしなくて、実際にうまく言えたかも分かっていない。
自分の物が、少なくともひとつは手の中にある。そう確信してほしかった。
でも、すぐにそんな風に変わるなんて、難しいだろうな。そう思って用紙を持ち上げたとき、風が起きて机の上に置いてあったペンがころころと転がった。早速、学校でも使ってくれている。わたしはふと思った。湯河原くんは、図書室から何冊ぐらい借りてくるつもりなんだろう。ここでは、時間が足りないかもしれない。話すと昔からの知り合いのようで、百円均一の話ができて。頭まで沈むソファで同じ目に遭って、わたしがあげたペンを使ってくれていて。その側面には、買ったときにはなかったシールが貼られている。
そこには丁寧な字で、『一年二組 湯河原治樹』と書かれていた。
今は、わたしと一緒に、持ち主の帰りを待っている。
まだ生まれたての夕日に照らされながら、どこか誇らしげに。



