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先月、高校で同じクラスだった奴が、駅に隣接する噴水広場で四人を刺した。三人が死んで、ひとりは重症。警察の聞き込みは親兄弟や会社の知り合いが中心で、全国ニュースで報道された。その残飯を漁るのが週刊誌で、卒業写真や同級生からエピソードを掘り起こそうと躍起になっている。
犯人の名前は、矢野政人。
死んだ三人は飲み会帰りの会社員で、男が二人と、女がひとり。酔っていて、刺身包丁を構える矢野に気づくのが遅れた。止めようとした男二人は搬送先で死んだが、進路を塞ぐ形になっていた女は最初のひと刺しで即死だった。それが、警察を伝ってニュース番組で流れた情報。
逮捕された矢野の顔写真は、卒業アルバムには載っていない。二学期の途中に高校を辞めたからだ。矢野だけが欠落したアルバムに載る自分の名前と顔写真をじっと見つめて、おれはコーヒーをひと口飲んだ。三十三歳になって振り返る十五年前の自分は、さほど若くも見えない。
出席番号一番の、浅尾陸人。勉強も運動もそこそこで、AO入試で早々と受験戦争から離脱した、外見にすら特徴のない生徒。今思えば、この特徴の無さが自分の身を助けたのかもしれない。高校生活でよく話したのは三人で、早瀬は三年のクラス替えでばらばらになったが、成績で学年トップを独走してきた小泉と太鼓持ちの江藤は、同じクラスのままだった。早瀬以外の二人を友人と呼んでいいのかは、今でもよく分かっていない。
そうやって、隙あらば生きている人間から距離を置きたくなるぐらいに、明風高校の三年二組は最悪のクラスだった。ピラミッド型の序列は初めから作り上げられていて、トップに君臨していたのは剣道部のエースだった木下好美。文武両道を地で行くタイプで、成績も常に学年で三番以内に入るような秀才だったが、交遊関係も派手だった。とにかく、全ての注目を浴びていないと気が済まないタイプだった。記憶力が良くて、自分が注目した相手から同じだけ注目が返ってこないと、体の骨を捻じ曲げてでも自分の方を向かせる。おれは、皆から一目置かれる小泉の『友達』だったからか、元から消している気配との相乗効果で標的にならずに済んだ。実際、三年二組の出席番号は二番の飯山から始まっていたようなもので、おれには存在感というものが全くなかった。ひやりとしたイベントと言えば、一学期の途中に木下から突然呼び出されて、『クラス活動の役を決める』という名目でくじ引きをさせられたことぐらい。どうして自分が決めないといけないのかとは思ったが、人気のない美術室でクラスのことを大方仕切っている木下と取り巻き三人に囲まれたら、身動きは取れなかった。
木下がどうして『くじ』という古風なやり方にこだわったのか、それは知らない。とにかく、早く解放してほしかったのはよく覚えている。くじに書かれた名前は三人セットらしく、おれが引いた『くじ』には、佐田、津川、矢野の名前があった。木下は、そこからひとりの名前を選んでと言った。佐田と津川はアニメオタクの女子で、おれと同じように気配を消して生き延びていた。おれは、佐田を選んだ。すると、明らかな失望の声が取り巻きから上がり、違うのだということだけが分かった。結局、直近のイベントだった課外活動の発表役に選ばれたのは津川で、周りからは同情の目で見られていたから、もごもごと早口で発表を終えただけで、笑われたりということはなかった。
それにしても、休日の喫茶店というのは、ひとりでいるにはどうも気おくれする。おれは、妻の麻美と三歳になる娘の優海の顔を思い浮かべた。今ごろは、家で昼寝をしているだろう。
こっちは、週刊誌の取材に対応するべくして、卒業アルバムをひっくり返して自分の過去を『予習』している。薄謝を出すと言っていたが、その額がいくらなのか具体的な話も聞き出せなかった。こういうとき、浅尾陸人の押しの弱さが邪魔をするというか、結局おれは、何も変わっていないのだろう。麻美にすら『いくら貰えるのか、聞いたらよかったのに』と言われたぐらいだ。
とにかく、断るだけの強い意志があるわけでもなく、かといって自分の発言が注目されて『元同級生のAさん』などと大きく取り上げられるのも面倒だ。矢野とは一学期の最初のころにグループ学習で一緒になったことがあり、例の『くじ引き』があるまでは立ち話をするぐらいの仲だった。だからある意味、これから訪れる記者は勘がいいと言える。
矢野は一年の途中で転校してきて、その前の学校では問題を起こして退学になったとか、色々な噂があった。どんなヤンキーが転校してくるのかと、興味本位で隣のクラスに顔を出したが、粗暴なタイプには見えないどころかむしろ真逆で、大人しく教室の片隅で突っ伏していた。一緒に見に行った早瀬は拍子抜けして、どちらかというと被害者になるタイプなんじゃないかと言っていた。早瀬は矢野と中学校が同じで、大人しい雰囲気だった矢野がどんな風に豹変したのか、興味津々だったらしい。早瀬の地元はかなり治安が悪い地域で、数人で釣りをしているのかと思ったら下級生を水責めにしていたり、絶対に近寄っていはいけない高架下のスペースがあったり、そのエピソードは現実離れしたものばかりだった。そんなところで矢野がどうやって生き延びてきたのかは、分からない。早瀬曰く、矢野は小学校を卒業してからも学童で下級生に色々と世話を焼いていたから、悪い奴だという印象はなかったらしい。
今回の連絡が来たのは、唯一接点が残っている早瀬経由だった。早瀬が取材を受けたのは、二日前。その前は小泉で、一週間前。卒業アルバムの写真では、小泉は無理をして笑顔を作っている。しかし、実際には勉強だけが得意な根暗なタイプで、かなり無理をしてキャラを作っていたらしい。その左眉の上には、まだ傷痕が微かに残っている。矢野は、十五年後に事件を起こす素質を充分に兼ね備えていた。
矢野が退学するきっかけになったのは、小泉だ。
木下の提案で文化祭の出し物を決める際に、小泉は執拗に矢野を指名した。それまでに矢野の神経を逆なでするようなことはよく起きていて、矢野は最も嫌う『目立つイベント』によく指名されていた。それをやっていたのは実質的なクラスのリーダーだった小泉で、木下一派による嘲笑もついて回った。実際矢野は、何をさせても中途半端で、目立つのを嫌がっているから余計に恥をかく羽目になるという悪循環から、出られなくなっていた。立候補が一番集まらなかった司会進行をやってくれと小泉が言ったとき、矢野が当たり前のように首を横に振った。担任の勝浦は、矢野がキレてくれることで厄介払いの理由ができるのを待っているように、小泉に好き勝手させていた。そして、矢野は一旦は了承した。一度引き受けた以上は練習も真面目にやっていて、そこだけを切り取ってみれば、問題のないクラスに見えただろう。しかし、木下が全体を見渡している以上、ハッピーエンドなんてものはあり得ない。



