キリマンジャロへ愛を届けて
突然バッグの隙間から青く激しい光が滑り込み、僕は目が覚めた。感じた事もない冷たい風が僕を包む。どうやら眩しく冷たいだけの場所らしい。僕は透の姿を早く見たかった。心配だった。
覚えのある手の感触が、僕を優しく抱えた。分厚い手袋に遮られているけど、透の手だ。彼は僕を自分の顔まで持ってきた。
嬉しそうに笑う透。その顔は黄色い防風着に半分包まれている。そんなに寒いのか。よく見ると、黒いフリースのパーカーフードも内側で引き絞られている。
「シロ。着いたよ。ほら、ごらん!」
何もかもを見下ろせる雲の上からの景色を見せ、透は更に僕を上へ差し上げて、陽に浴びせた。僕は怖かったけど、溶ける気配はなかった。
しばらく待ってみたけど、陽の光は明るくてもここは僕が溶けたりしない。そう気付いた時、不思議な感覚に襲われた。初めてここで、僕の命が産まれたような気がしたのだ。
「透、ありがとう」
そう言いたくて言いたくて、何度もは言えなくて。
安心して下へ降ろしてくれた透は、本当に嬉しそうだ。両手をいっぱいに広げ、然程距離も離れていない空と僕に一緒に叫んだ。
「シロ!君はもう心配なんか要らないんだ!ここで自由になれる!僕は…」
透は元気がなくなりかけて、言葉を止めた。彼は脇を向いて顔を隠すと、すぐに後ろを向いて蹲る。
〝泣かないで〟
僕にはそう声を掛ける事も出来なかった。僕だって寂しい。透と会えなくなってしまうのだから。ああ、自由の喜びが萎んでしまいそうだ。
でも僕は青い天井を見た。どこから見たって空は青い。それなら透と同じだろう。
そこは、神の山だった。地図の中に小さく収まっていたとは思えない、氷河の群れ。どんなに長い時間でここが出来たのだろう。肩に空が乗っているように青色が近い。
いつまで見ていてもこの景色を理解するなんて無理だ。そう感じてただ嬉しく、飽かずに空気を飲んだ。
そこへ透が戻ってきて、僕の隣に何かを並べた。見てみると、それは僕より小さな雪だるまだ。僕は思わず透の名前を呼ぶ。透は笑っていた。
「山頂には氷しかないかもしれないと思ったけど、雪もあって良かった」
隣で目を覚ました雪だるまは、事態が飲み込めず、僕達二人が泣いているので話せずに居た。透は雪だるまの頭に触れる。
「やあお嫁さん。僕のシロをよろしく」
「シロさんというの?よろしく。お嫁さんとして生まれるなんて嬉しいわ」
「いつも冷凍庫の中から僕に恋バナしてた癖にな」
僕は一瞬忘れていた小さな箱を思い出した。彼がそこを忘れていないのにもほっとした。
「まあ!冷凍庫から来たの!?それは大変だったでしょう!?」
素直に驚いてくれるお嫁さんに僕は嬉しくなり、なんという名前で呼びたいか考える。胸が苦しい。叫びたい。ありがとうと叫びたい。みんなを愛していると叫びたい。
透と僕は笑っていた。夢を叶えて。高い山の上で。彼と僕は生きている。広大な世界が僕にそう教えた。
「じゃあ僕はこれで。また会いに来るよ」
彼が僕に少し屈み込む。
「君も元気で。ここは任せたまえ」
僕は小さい胸を張ってみせた。
「雪だるまなら、一番任せられるね」
「そうとも」
「ねえあなた。お話しをしない?」
「ああ。ここは時間が長そうだ。長話に付き合ってくれ」
「ええ。もちろんですとも。私だって、ずうっとここに居た雪なの。やっと生まれられたから、たくさん話したいことがあるわ」
「そうだな…」
おわり
作品名:キリマンジャロへ愛を届けて 作家名:桐生甘太郎



