人生でひとつだけ大切な運動
― 屈伸運動説 ―
人は、前に進むことばかりを教えられてきた。
走れ、伸びろ、高く跳べ、負けるな。
人生は上へ上へと向かうものだと、疑いもなく刷り込まれてきた。
だが、長く生きてみて思う。
人生で本当に大切な運動は、
走ることでも、鍛えることでもない。
屈伸である。
屈むこと。
そして、また立つこと。
屈むという動作は、意外に難しい。
膝だけでなく、腰も、背中も、そして心も柔らかくなければできない。
無理に突っ張った身体は、屈めない。
突っ張った心も、同じだ。
人生にも、屈む瞬間がある。
失敗したとき。
思うように評価されなかったとき。
老いを突きつけられたとき。
誰かの手を借りなければ立てなくなったとき。
そのとき人は、二つに分かれる。
屈める人と、屈めない人だ。
屈めない人は、転ぶ。
あるいは、固まる。
「こんなはずじゃなかった」と言いながら、
心を伸ばしたまま動けなくなる。
一方、屈める人は違う。
いったん下がる。
視線が低くなり、世界が変わる。
これまで見下ろしていたものが、急に近くに見えてくる。
子ども。
弱っている人。
かつての自分。
そして、ゆっくり立ち上がる。
以前より少し時間はかかるかもしれない。
だが、その立ち上がりは、無理がない。
地面を踏みしめている。
高齢になり、施設に入ってからの人生も同じだ。
屈伸ができる人は、尊厳を失わない。
介助を「敗北」と思わない。
助けられる自分を受け入れながら、
できることは自分でやる。
それは諦めではない。
成熟である。
人生は一直線ではない。
上がったり、下がったりを繰り返す。
その上下動を受け止める運動が、屈伸なのだ。
思えば、精神も屈伸している。
自信に満ちた日もあれば、
自信を失う夜もある。
希望に立ち上がる日もあれば、
絶望にしゃがみ込む日もある。
だが、屈伸できる心は折れない。
下がっても、また戻れると知っているからだ。
人生でひとつだけ大切な運動。
それは、前に進むための運動ではない。
生き続けるための運動だ。
屈んで、
また立つ。
それができる限り、
人生はまだ続いていく。
・・・
屈伸ができる人は、
人生で転ばない。
何度でも、立ち直るだけだ。
作品名:人生でひとつだけ大切な運動 作家名:タカーシャン



