誰が彼女を生かしたか
2話「七星と響子」
春子は取り乱し、時に涙を流して「もうやめて」と叫んだ。だが七星は彼女と差し向かいで座り込み、話を続けた。春子の悲惨な人生について。
春子は顔が涙でべしゃべしゃで、女性なりの振る舞いももう忘れている。
「なんだか分からないけど、私はここから出られないの。だから、小さい頃別れた母親とも会えない。誰とも会えずに暮らしてきた。どうしてなのかは分からない。だから、なぜ貴方がここに来たのか…」
小さな子のように、春子は両手両腕で涙を拭う。それを七星は小さく頷くだけで聞いていた。それから彼はちょっとだけ笑う。
「ここに僕が訪ねて来てこられたのは、どういう訳だと思う?」
初めて春子は七星の顔をしっかり見ただろう。
四角く骨ばった黒縁眼鏡の向こうから覗く、しっかりと開いた瞼の中に、大きな黒目がある。
少し目を下げれば、華奢で骨の突き出た肩、肉付きの薄い太腿。もう一度顔を見れば、明るいブラウンに染めつけた硬そうな髪が、彼を心持ち明るそうに見せていると分かった。
でも、それが自分の涙を見て笑っている。春子は少し気味が悪かった。
「どうして…?」
七星は、胡座のポケットから落ち着いて何かを取り出す。金属の擦れ合う音に春子は少し怯えた。
でも、ただのキーホルダーだった。革製らしい。
「君がこれをくれた」
春子は分からなかった。そんな事、見知らぬ他人にするはずがない。
でも、七星は正しい事を言っていた。彼は話の締めくくりにこう言った。
〝君は母から愛されず、結果として捨てられた。それを今でも、君は捨ててない〟
それだけは事実の通りだった。でも春子は、七星の事が何も分からなかった。
七星はその内に眠ってしまった。
押し入れから出した真新しい布団を七星に勧めた時も、彼は「有難う、嬉しいよ」と晴れやかに微笑んだ。それを見て春子は、ますます七星が油断ならないように感じた。
〝なんだか…良い人そうだけど、目の前で女の子が泣いてるっていうのに、ちょっとデリカシーがなさすぎるんじゃないかな…〟
春子は七星の目覚めを待ち、眠らなかった。そうしてまた思い返す。
いつもこの部屋で誰かを待っているのに、誰にも会えない自分。カーテンを開けてもそこには人が居ない。だから開けなくなった。
〝疲れたなぁ…〟
春子の意識はそろりそろりと肩ごと壁をずり落ち、彼女の頭が七星の枕元へ墜落する頃には、彼女は眠っていた。
コンコンコン!と、春子の部屋へまた来客があった。それは、あまりに急いている。
七星はするりと目を開けると、ノブのないドアを開け、「来たの」と来客へ対応をした。
そこへ立っていたのは、セーラー服姿の少女だった。
潤んだ大きな目。紅を乗せたような頬。烏の羽根のようなしなやかさを持つ、長い髪。
半袖のセーラー服から、折れそうな二の腕が見えている。少女は今にも喚き散らしそうだ。七星は頬をかいてから、こう言う。
「早かったね、響子」
それで少女は髪を逆立て目を剥いた。
「なんでアンタが先なのよ!馬鹿!」
七星は「しょうがないじゃん」と嬉しそうに笑う。
響子というらしい少女は、七星をわざと押しのけ春子へ駆けていった。ドアは七星が閉めた。
つづく
作品名:誰が彼女を生かしたか 作家名:桐生甘太郎



