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桐生甘太郎
桐生甘太郎
novelistID. 68250
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誰が彼女を生かしたか

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1話「青い部屋」





そこは、言ってしまえば青いだけの部屋。壁も床も薄青で、溶かした油彩絵の具に一瞬浸して取り出した木材で出来ていそうな、透き通った薄い青。

部屋の住人は私だけ。だってここには誰も来ない。あの日から。私はもう長いこと切っていない髪をなんとなく脇へ流して、また落ちてくるのをもう一度掻き上げている。何度やっても終わらない。

涙だって止まらない。丁度落ち込んでいるし。

思い返してみる。あの日の事を。

〝忘れかけてる。どんな日で、何が悲しかったのか。でも、こんなに泣いてるなら、思い出せない方がいいのかも…〟

それでも口から零れる残片。

「お母さん…お母さん…」

呼んでも誰も居ない。誰も居ないなら聴く人も居ないもの。恥ずかしくなんてない。ここでは、泣いていてもお母さんも怒らない。

〝なんで私、こんな所に閉じ込められたんだろう…もういつだったのか覚えてない…〟

〝それに、自分が誰だったのか…〟

〝だって、名前を呼んでくれる人も居ないんだもの…〟

〝それなら、「私」でいい…〟

〝この世に独りなら、きっと傷付きもしないし…〟

そこへ、コンコンコンと、有り得ない音が聴こえてきた。丁寧なノックの音。

この部屋には、窓とドアがある。私にはなぜか分からないけど、どちらも開かない。だって、ドアにはノブさえないもの。

それに、誰も来た事がないし、青いカーテンを開けても外には元通りの街があるだけで、人が通ったのを見た事はない。

〝泣くのに夢中で変だとも思ってなかったけど…とにかく返事をしなくちゃ…でも、怖い!〟

立てない。誰が来たのか分からないなら、殺されてしまうかも。誰も来なかったんだもの。

カーテンの方を窺っても、人影は青い布に映らない。ドアの向こうなのね。

〝入ってくる…!?〟

しばらくすると、ドアの向こうからこう聴こえた。それは、穏やかな若い男性の声だった。

「おはよう、春子。中に入れて」

私は一気にその人に不信感を持った。聴き覚えのない声が、正しい私の名前を呼んで、「おはよう」なんて言っている。

そんな砕けた態度を取る人がやってきた事もない。何もかもの前提を無視された気分。

立ち上がりもせず、私はなんとか「誰ですか?」とだけ答えた。彼が何を企んでいても、それを刺激しないトーンで。

「今更聞かれても。積もる話もある。開けてよ」

くぐもった声が聴こえているドアから早く目を逸らしたい。あんなドア、見たくない。

だって、そのドアは真っ赤なの。私がここで目覚めてからずーっと。塗り替えられないんだから赤いのは仕方ないけど、血のように真っ赤で、本当に血を塗りたくったように、ところどころ歪に飛び出ている。

〝あんな量の血を使う訳もないけど、不気味で仕方ない…早く帰ってくれないかな…〟

「ですから、名乗ってください。あの、申し訳ないけど、私はあなたを存じ上げないので…」

私はなるべく刺激しないようにと思っていたから、ちょっと言い方が仰々しくなっちゃった。でも仕方ないよね。ほんとに知らないんだもん。

「言っても分からないと思うけど、|七星《しちせい》」

七星。なんかかっこいい名前ね。声も朗らか。でもそれは、知らない人。

〝知らない人が朗らかに突然家に訪ねてきたら、普通帰って頂く…わよね?〟

「すみません。本当に知らないです。申し訳ございませんが、お帰り下さいませんか?」

そう言ったのに、ドアの前から後ろへと足を振り返らせる足音は聴こえなかった。

「お母さんには、もう会えないよ」

その声は、傷付くほど冷たく、私の歴史を引き裂いた。

気が付いた時には私の目の前には、黒縁眼鏡をかけた茶髪の若い男性が居て、「ごめん、ごめん」と私をなだめていた。