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タカーシャン
タカーシャン
novelistID. 70952
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令和の心の取扱説明書

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人はなぜ、適当になったのか

人は、もともと適当だ。
計画通りにいかず、
途中で飽き、
細かいことを忘れる。

それを
「だらしない」
「甘え」
「努力不足」
と呼ぶ社会があるが、
それは後付けの評価にすぎない。

人類は、
きちんと生きてきたわけではない。
雑に、生き延びてきただけだ。



原始の世界で、
すべてを把握し、
完璧に判断し、
丁寧に行動する者は、
先に疲れた。

迷っている間に
獣に襲われ、
考えている間に
食料を奪われた。

生き残ったのは、
「まあ、こんなもんだろう」と
一歩踏み出せる個体だった。

適当とは、
諦めではない。
信頼の形だ。



現代は、
適当であることを許さない。

説明を求め、
理由を求め、
正しさを証明させる。

だが、
人の心は
そこまで精密に作られていない。

適当であることを
否定し続けると、
心は行き場を失う。



疲れている人の多くは、
能力が低いのではない。
人間らしさを封印させられているだけだ。

適当とは、
心の呼吸である。

吸いすぎても、
吐きすぎても、
苦しくなる。



まずは、
少し雑に生きてみる。

全部わからなくていい。
全部決めなくていい。

人は
その程度で
ちゃんと生きられるように
できている。


めんどくさがりは、文明をつくった

「めんどくさい」

この言葉ほど
誤解されている感情はない。

多くの人は
めんどくさい=怠け
だと思っている。

だが実際は、
脳が賢く働いているサインだ。



人は、
同じことを何度も繰り返すのが
苦手な生き物だ。

毎回、
一から考え、
一から動き、
一から説明する。

それを続けるほど、
心は摩耗する。

そこで生まれるのが
「めんどくさい」という感覚だ。



原始時代、
毎回素手で獲物を追いかけるのは
めんどくさかった。

毎晩、
暗闇で震えるのは
めんどくさかった。

だから人は、
棒を持ち、
火を使い、
住処を作った。

文明の出発点は、
理想でも志でもない。

「このままじゃ、しんどい」
という感覚だった。



めんどくさがりは、
手を抜こうとする。

だが、
それは投げやりではない。

「同じ成果を、
 もっと楽に出せないか」

この問いを
無意識に立てている。

つまり、
めんどくさがりとは
効率化の専門家なのだ。



現代社会は、
めんどくさがりを嫌う。
• 手順を守れ
• 例外を作るな
• これまで通りにやれ

そう言いながら、
裏では
「もっと効率よく」
「もっと早く」
と要求する。

これは
矛盾ではない。

混乱である。



めんどくさいと感じる心は、
「ここ、無駄が多いよ」
という内部通報だ。

それを
根性で押さえ込むと、
人は考えなくなる。

考えなくなった組織は、
動いているようで
止まっている。



子どもが
「めんどくさい」と言ったとき、
叱る必要はない。

それは
「仕組みが合っていない」
というサインだ。

大人がやるべきなのは、
根性を教えることではなく、
仕組みを見直すことだ。



めんどくさがりは、
サボりたいのではない。

ラクに、長く、生きたいだけだ。

それは
怠惰ではなく、
持続の知恵である。



本当に危険なのは、
めんどくさくても
我慢して続けられる人だ。

その人は
壊れるまで止まらない。



めんどくさがりは、
早めに立ち止まる。

だからこそ、
文明は更新されてきた。



「めんどくさい」と思ったら、
自分を責めなくていい。

それは
未来を良くしようとする
心の初動である。



せっかちは、命を守る速度である

「せっかちだね」

この言葉は、
たいてい
マイナスの意味で使われる。

落ち着きがない。
待てない。
余裕がない。

だが、
人類の歴史を振り返ると、
せっかちは欠点ではなかった。



原始の世界で、
ゆっくり考えることは
贅沢だった。

音がした。
影が動いた。
空気が変わった。

その瞬間に
判断できない者は、
生き残れなかった。

正解かどうかより、
速いかどうか。

それが
生死を分けた。



せっかちとは、
短気ではない。

反応が早いということだ。

危険を察知し、
違和感を拾い、
即座に動く。

これは
高度な生存本能である。



現代は、
せっかちを嫌う。
• もう少し様子を見よう
• ちゃんと検討しよう
• 周囲と足並みを揃えよう

それ自体は
間違いではない。

だが、
考える時間が長すぎると、
人は自分の感覚を
信じられなくなる。



せっかちな人は、
答えを出すのが早い。

それは
浅いからではない。

脳が
瞬時に
過去の経験を総動員して
結論を出しているだけだ。

無意識は、
意外と賢い。



「もう決めたの?」
と言われる人ほど、
実は
ずっと前から
心の中で
何度もシミュレーションしている。

ただ、
表に出すのが
早いだけだ。



せっかちを抑え続けると、
どうなるか。

人は
自分の判断を
外に預けるようになる。
• 誰かが決めてくれるまで待つ
• 空気が変わるまで動かない
• 正解が出るまで保留する

これは
安心ではない。

麻痺である。



決断しない時間が長いほど、
心は重くなる。

選ばないことで
責任を避けているようで、
実は
不安を溜め込んでいる。



せっかちとは、
不安を長く持たない力だ。

決めて、
動いて、
修正する。

それでいい。

人間は
一発で正解を出すようには
作られていない。



間違えたら
戻ればいい。

やり直せばいい。

せっかちは、
その切り替えも早い。



現代に必要なのは、
慎重さだけではない。

速度の復権だ。

考えすぎて
動けなくなるより、
動いてから考えるほうが
心は生きている。



せっかちは、
雑音の多い時代を
生き抜くための
感覚器官だ。



自分が
せっかちだと感じたら、
それを恥じなくていい。

あなたの心は、
今も
命を守る速度で
動いている。




真面目すぎる社会が、人を壊す

真面目であることは、
美徳だと教えられてきた。

約束を守る。
我慢する。
最後までやり抜く。
空気を読む。

確かに、
それらは社会を支えてきた。

だが、
真面目すぎる社会は、
人を守らない。



人は、
もともと
不完全な生き物だ。

集中は続かず、
感情は揺れ、
判断はぶれる。

それを前提に
進化してきた。

ところが現代は、
人に対して
機械のような安定性を求める。



• いつも同じ質
• いつも同じ態度
• いつも同じ成果

揺れないことが
評価される。

だが、
揺れない心など
存在しない。



真面目な人ほど、
自分を責める。

できなかった理由を
環境ではなく
性格に求める。

「自分が弱いからだ」
「努力が足りないからだ」

こうして、
社会の歪みを
一人で引き受けてしまう。



真面目さとは、
耐久力ではない。

本来は、
信頼されやすい
柔らかさのことだった。

だが、
評価制度が
それを