飴色のナイフ
駅前を離れようとして、一度駅を振り向いた時に、薄い薄い、上弦の月と目が合った。
薄青いスクリーンを僅かに切り抜き、後ろから白い壁が見えているような新月。そんな普段と違う様子に不審がる事もなく、私はするりと〝朝だなあ〟と思った。
新月に近い月は、もう白み出した薄青の空に浮かんで、「綺麗でしょう?」とこちらを見つめ返していた。私は、「綺麗だなあ」と言った。
帰り道は、ボーカロイドから好きな曲を歌っていた。相変わらず歌うのに手こずるなあと苦笑しながら、そして、自分の記憶と重なる、悲しい悲しい曲も歌った。
空は少しずつ明るくなり、薄闇から白んでいく。これ以上明るくなりようがないという頃には、金のキャンバスへ画家がくまなく目を光らせて白い光を落とした後だ。上等の一枚絵である。
夜という衣を脱ぎ、次は朝を着る。私達はそうして「おはようございます」と頭を下げたり、子供を起こしたりする。
〝花や動物には、衣はないだろう。彼らは初めから裸だ〟
ずいぶんと彼らが遠い存在になってしまった。寂しく思ったが、所詮別の生き物なのだから仕方ない。朝だからと風は冷たくならないらしいが。
〝花や動物は、幸福への道が決まっている。日が当たり雨が降り、大風が吹かなければいい。幸福に迷っているのは、我々だけか…〟
なんとも寂しい気持ちで家に着き、この世と別れる辛さを込めてノブを捻った。
明るい朝日をドアで封じ、私は自分の世界へ帰ろうとしていた。だが、その時何気なく、恐らく希望を込めて私は振り返った。
目に飛び込んだのは、飴色のナイフだった。
朝の空を遮るのに、自家用車や向かいの家の屋根が突っ立っている景色の向こうに、それはあった。
遠い雲間からちらりと見えている強い日光が、金色に光り私の目を焼く。
あるいは神が居るとするなら、こんな現れ方もしてみせるだろう。
私は力を込めてそれをひと睨みし、苦しいながらも微笑んでみせてから、家の中へ入った。
End.



