令和の心の取扱説明書
何もしたくない日がある。
心は重く、体はだるい。
理由ははっきりしないのに、何かに追われている感覚だけが残る。
人はこの状態を「不調」と呼び、
モヤモヤを消そうとする。
予定を入れ、意味を探し、前向きな言葉で塗りつぶす。
だが、もしかすると――
それは壊れているのではない。
元に戻っているだけなのかもしれない。
人間社会は、余白を嫌う。
空いている時間を埋め、
決めなくていいことを決め、
安心するために忙しくなる。
だが、心には本来、
「何も決まっていない状態」がある。
目的も結論もない、ただの余白。
その余白が開いたとき、
心は静かにならない。
モヤモヤという音を立てる。
余白を埋めるものこそ、モヤモヤなのだ。
体がだるくなるのも同じだ。
ずっと緊張し、役割を演じ、
正しくあろうと力を入れてきた体が、
ふっと力を抜いたときに現れる反応。
だるさは怠けではない。
解除された証拠だ。
動物は、理由もなく横になる。
人間だけが、それを悪いことだと思い込む。
モヤモヤとは、
決めていない状態。
意味が未定義の状態。
方向が固定されていない状態。
つまり、
自由度が最大の状態である。
自由は不安を伴う。
だから人は、すぐに埋めたくなる。
しかし、埋めた瞬間に、
楽しみも喜びも生まれる余地は消える。
令和の心は、
安定するために存在していない。
効率よく成果を出すためだけの装置でもない。
迷い、止まり、
何も生まない時間を持つためにある。
モヤモヤを消さなくていい。
だるさを治そうとしなくていい。
何もしたくない自分を、
役に立たせなくていい。
それは故障ではない。
再起動でもない。
ただ、初期画面に戻っているだけだ。
余白は静かではない。
余白はモヤモヤという感覚を伴って現れる。
その居心地の悪さの奥に、
本当の楽しみと喜びの芽が、まだ形を持たずに待っている。
心は今日も、
正しすぎる世界から一歩引いて、
人間に戻ろうとしている。
それだけのことなのだ。
作品名:令和の心の取扱説明書 作家名:タカーシャン



