組織におけるエンゲージメントとは――心の矢印が重なる場所
組織におけるエンゲージメントという概念は、しばしば“従業員のやる気”や“職場満足度”と混同される。しかし、実態はそれよりもはるかに深い。もっと静かで、もっと内側の、もっと人間的な感情の層に属している。エンゲージメントとは、言い換えれば「心の矢印の向き」であり、さらに言えば「その矢印が重なり合う瞬間」のことだ。
人は本来、自分の心を向ける方向を自分で選ぶ。仕事に向けるときもあれば、家族に向けるときもある。あるいは、逃げ場としての趣味に向くこともあるし、何もかも嫌になり、どこにも向けられず惰性で生きるときだってある。つまり、心の矢印は常にゆらぎ、変わり続けている。エンゲージメントとは、その揺れる矢印が「組織」と「自分」という二つの方向へ、同時に静かに収束していく状態を指す。強制でも同調でもなく、自分が選び、自分で納得して結ぶ“内なる関係性の契約”である。
この感覚は、報酬や待遇といった外側の条件だけでは生まれない。なぜなら、外から与えられる刺激は一時的な高揚を与えるだけで、心の根までは染み込まないからだ。報酬が上がれば一瞬は嬉しい。だが、それは長続きしない。豪華な福利厚生もすぐに“当たり前化”する。それらは「心の矢印」を動かす力にはなりにくい。矢印は、もっと深い層――人と人の関係性、自分の存在意義の感受性、そして仕事の意味づけによってゆっくりと向きを変える。
では、何がエンゲージメントを生むのか。
第一に、人は「自分の価値が認められている」と感じることで、初めて腹の底から動き出す。役職や点数ではなく、「あなたがいて助かった」という一言。その一言が、どんな説明よりも心を動かす。それは存在への承認であり、人間同士の最も根源的なつながりである。人は自分の存在が“交換可能な記号ではなく、一点ものの力”として扱われたとき、心の矢印を組織に向け始める。
第二に、安心して意見を述べられる“空気”が必要だ。反論したら嫌われる、相談したら弱点扱いされる、ミスしたら人格否定される――そんな環境では、心の矢印は凍ってしまう。人は、恐怖のある場所に心を向けられない。心理的安全性こそ、エンゲージメントの「土壌」である。土壌が痩せていれば、どんなに肥料(報酬)を与えても根は育たない。
第三に、自分の仕事が社会のどこへつながっているのか。その“意味の地図”が、エンゲージメントを大きく左右する。単なる作業としての仕事は空虚だが、誰かの暮らしを支えるための仕事には魂が宿る。「この業務が、誰の何を変えているのか」を理解した瞬間、人は仕事に物語を感じ始める。物語を持った人は折れにくく、迷いにくい。
そして最後に、エンゲージメントを決定づけるのは“人”である。尊敬できる上司がいる、背中を預けられる仲間がいる、支えてくれる理解者がいる。組織への愛着は、結局のところ“人への愛着”から生まれる。人とのつながりこそ、心の矢印を定める磁力である。
エンゲージメントは、忠誠心でも、我慢強さでもない。会社が社員を縛るための言葉でもなく、社員が会社に依存するための概念でもない。それは、組織と個人が互いに“選び合う”という成熟した関係性のことである。組織が個人を信じ、個人が組織の未来に参加したいと思う。その矢印が双方向に結ばれたとき、エンゲージメントという見えない絆が生まれる。
今日、多くの組織が「人材不足」と叫ぶ。だが、実際に不足しているのは人材ではない。エンゲージメントを生み出す土壌のほうだ。愛着も誇りも持てない職場に、若い人が残りたいと思うはずがない。逆に、愛着と尊厳と意味を感じられる組織は、自然と人が集まり、定着し、力を生む。
エンゲージメントとは、組織の根っこである。見えないが、倒れない理由になるもの。
人は、魂を置ける場所に力を出す。
組織の未来は、その“魂の置き場所”の質で決まるのだ。
作品名:組織におけるエンゲージメントとは――心の矢印が重なる場所 作家名:タカーシャン



