心の奥底の願い
セイはにっこりと笑うとエスナの手を離した。
「え?」
戸惑うエスナの背をゆっくりと支えながら、会議室の出口へと向かう。
「気に入ってくれると良いんだけどな。さ、支度して。無事に戻ってきてくれ」
セイは廊下までエスナを送り出すと、今度は軽くエスナの背を押した。エスナは箱の中身に見当がつき、きゅっと箱を握るとセイに振り返る。
「ありがとうセイ・・・行って来ます!」
満面の笑みを浮かべエスナは急ぎ足で出撃の準備へと向かった。
***
応援に出たセレスは惨状だった。先程の大きな攻撃で村は壊滅状態。第3聖騎士団の女性達はまず怪我人の治療にとりかかった。そこへ男性達が怪我人をどんどん運んでくる。連続して回復魔法を唱えるエスナの額には玉の汗が浮かんでいた。
どれだけの怪我人が居るか分からない。辺りは一面怪我人で埋め尽くされている。そして…ここではないどこかに命を落としてしまった者達の亡骸が運ばれている事であろう。戦場に出向く度に悲しく胸が苦しくなる。
「どうか・・・助かって・・・!」
治療をしながら考える事はその一言だけであった。
「エスナ」
一心不乱に治療を続けるエスナを呼ぶ声に、汗を拭いながら顔を上げた。そこには、豪奢な金色の髪を綺麗に巻いて整えた青い瞳の美しい女性が立っていた。
「フィーア団長?」
エスナの所属する聖騎士団の団長であった。エスナは立ち上がり姿勢を正した。律儀なその様子にフィーアは一瞬口元を綻ばせる。が、すぐに真剣な表情へと変わり、エスナへと指示を与えた。
「今、フォードから連絡がありましたの。四天王のうちNO.4のリブラが出ているとの事ですわ。第4聖騎士団と見習いは応戦しています。で、エスナには部下を二人連れて森に水を汲みに行ってほしいのですけれど・・・お願い出来ますかしら?」
フォードとはフィーアのパートナーであり夫でもある人物で、第3聖騎士団のもう一人の団長である。どうやら団長自ら戦況を伝える役割を担っているらしい。その報告を受け取る為に、フィーアはここを離れる訳にはいかないのだ。
怪我人に必要な水は泉まで汲みに行かねばならない。場所はそんなに離れてはおらず、戦場とも逆方向で森の木々に紛れて行けばまず見つかることは無い。ただでさえ戦いは上空で行われており、地上の森など目の端にも映らないだろう。エスナは快諾した。
エスナは丁度手の空いた部下二人を連れ、森の中を月明かりだけを頼りに歩いていた。魔法で光球を出して歩いていては、敵に居場所を教えているようなものなので避けた。
幸い十分な月明かりで歩くには困らなかった。
ふと、木々の間から一筋の月光が差し込んでいる場所を見つけた。エスナはその光に左手をかざした。きらり、と、光を反射する薬指。数時間前にセイから贈られた細身の銀色の指輪だった。
出陣を前にして贈られた指輪。嬉しさのあまりつけてきてしまったのである。
「とても綺麗ですね〜・・・」
うっとりとするように二人の部下がエスナの手を眺める。
「ありがとう。プレゼントされたばかりだけれど、もう気に入っているの」
ふふっ。と、エスナは笑って見せた。
「セイ様からのですよね?ご結婚前でとても幸せそうで羨ましいです」
その部下の言葉に、エスナは自分でも思いもよらず一瞬言葉を詰まらせた。
私は何を心に詰めてしまったの?と、自問自答したが何だか深く考えてはいけないようで、エスナは答えた。
「・・・ええ。幸せよ・・・」
精一杯の笑顔で部下達に一瞬の詰まりを悟られない様に取り繕った。少年だったセイ。いつのまにか青年になり恋をしていた。
すっきりとしない、もやもやした想いを振り切る様にエスナは頭を振った。セイの事は好きであるし、婚約者になれてもちろん嬉しいし幸せで幸せでたまらない。幸せ過ぎて感覚がおかしくなってしまったのだろうか?
「エスナ様?泉が見つかりましたけれども?」
「あ、ごめんなさい。すぐ行くわ」
エスナは顔を上げると部下の下へと走った。
泉の水を汲むと、自分の空間へと仕舞った。魔法を扱う素質が少しでもあれば空間というものは作れる。重い物も何もかも空間へ仕舞えるが、特に水等は零す心配がないから便利な事この上ない。
「そろそろ戻りま・・・」
帰ろうかと立ち上がったエスナは,嫌な気配を感じ鋭い目付きで上空を見上げた。地を蹴り森の上へと飛び上がる。短く呪文を唱えると空間から剣が現れる。
「何処!?魔族は・・・」
嫌な気配が辺りに充満している。追いついた部下達も剣を構え辺りの様子を窺っていた。
シュッ!っと微かな音と共に月明かりに煌く何かが、エスナの右側から数本飛んできた。エスナはそれを難なくキンッ!と音をさせながら剣で叩き落とす。どうやら投げナイフのようだった。
「ちぇ〜。外されちゃったよ」
何とも間の抜けた声で金髪に緑色の瞳の少年が現れる。まるでこの状況を楽しんでいるかのように、楽しげに笑っている。
「だから手を出すなと言っただろうが・・・。マシアス、お前は殺気と気配を消すのが下手すぎる」
低く冷たい声音。マシアスと呼んだ少年の頭をこつんと軽く叩いた。少年の背後に現れたその人物は、肩より下まで伸ばした黒い癖のある髪を、微かな風に揺れるまま腕を組んで浮いていた。月光を浴びて美しく輝く紫水晶の瞳。癖のある髪が風に揺れる度に見え隠れする耳は、魔族の特徴そのままに先端が尖っている。とても美しい魔族だった。だが、同時にエスナの第六感が警鐘を鳴らす。―強い!―。エスナの背筋を冷たい汗が流れた。
エスナの視線に気付いた人物は、微笑むと優雅に紳士的なお辞儀をしてみせた。
「初めまして。私は四天王NO、3のフォレスト・ハーワードと申します。今日はセイ王子はご一緒でないようですね・・・」
ゆっくりと礼から上げられる顔からは笑みが消えていた。冷たい光を放つ瞳を細め、左耳へと手を伸ばしぶら下がっていたピアスを外した。ピアスを軽く宙へと放ると、手に戻る頃には身の丈程もあろうかという大剣へと姿を変えていた。
「未来の妃殿下なのですから、もっとましなお供をおつけなさい。アクラス国、第3聖騎士団副団長エスナ・クローゼン殿?」
フォレストの口元が残虐そうな笑みを浮かべた瞬間、エスナは反射的に部下達を背に庇っていた。
「二人とも離れて!!」
エスナがそう叫んだ時だった。フォレストが大剣を軽々と操り、エスナへと切りかかってくる。エスナは剣を構え態勢を整えた。
振り下ろされる剣にエスナは動じる事無くフォレストを見据えていた。キィン!澄んだ音が辺りに響く。
「ほう、呪文の詠唱も無しにこれ程の結界を張れるとはな。第3聖騎士団副団長の名は伊達ではないようだな」
フォレストの剣はエスナの剣にすら当たる事無く、途中で見えない壁のような物に当たり弾かれた。エスナは剣を構えた時に自分達の周りに呪文も無しに結界を張っていたのである。
幾度も幾度も切り付けて来るフォレスト。エスナに直にフォレストの剣を受ける筋力は無い。どうしたものかと考えていると、フォレストがにやりと笑みを浮かべた。
「いくら強い結界を張れても、こういった所を突かれてはどうしようもあるまい」