ナポレオンのボディーガード、ルスタム・ラザの生涯
ナポレオンはパリを離れて、ロッシュフォール港に向かったらしい。そのことを知ったルスタムは乗合馬車を乗り継いで一行の後を追いかけた。しかし港に着いた時には船は出航した後だった。置き去りにされたルスタムは波止場で泣き崩れた。アリはセントヘレナ島にも同行を許され、1821年のナポレオン死去にも立ち会った。
1840年12月15日、セーヌ川の水面は、冬の薄曇りの空を映して静かに揺れていた。パリは沈黙と期待に包まれていた。空から舞い降りる小雪が、コートに身を包んだ群衆の肩に積もる。寒さに震えながらも、人々の目は下流の方向に注がれていた。
遠くから、蒸気船の汽笛が低く響く。白い蒸気が空に立ち昇り、セーヌをゆっくりと遡ってくるその船は、まるで時を超えて過去から現れた幻だった。船の甲板には、深紅のビロードに包まれた棺。その中には、かつてヨーロッパを震撼させた男、ナポレオン・ボナパルトの遺体が眠っている。
群衆の中から、誰かが帽子を取り、静かに胸に手を当てた。次第にその動きは広がり、老若男女が一斉に沈黙の敬意を表す。
やがて、船はポンヌフ橋に近づく。そこには黒い熊毛帽をかぶった元親衛隊の生き残りが十数人ほど並んでいた。
元親衛隊長カンブロンヌ将軍が野太い声で叫ぶ。
「ヴ・ゼット・キ!(君たちは何者だ!)」
かつて「鋼鉄の拳」と呼ばれ、敵軍を恐怖のどん底に突き落とした老人たちが声を合わせて叫ぶ。
「ル・ヴィエイユ・ギャルド! プ・ランブルール!(古参親衛隊! 皇帝のために!)」
「おいおい、ここはワーテルローかよ?」歓声が湧き上がる。
涙を流す者、万歳を叫ぶ者、ただ黙って見つめる者——それぞれの心に、ナポレオンという存在が刻んだ記憶がよみがえる。
小雪は止むことなく降り続け、まるで空が白いヴェールでこの歴史的瞬間を包み込もうとしているかのようだった。セーヌの両岸には、フランスの旗が風に揺れ、ノートルダム寺院の鐘の音が遠くから響く。祖国に帰ってきた皇帝を迎えるその光景は、栄光と悲哀、誇りと赦しが交錯する、フランス史に刻まれた壮麗な一幕だった。
この瞬間、パリは記憶と感情の器となった。皇帝ナポレオン一世はまだ人々の心を動かす力を持っていた。
後日、廃兵院で行われた葬儀の式典にルスタムは正式に招かれた。用意された衣装を目にしたルスタムは首相に対してその着用を固辞した。
「私はもう奴隷ではなくて市民です。大元帥スールト閣下といえども軍令は受けません。一人の市民として末席に加わりたいのです。私は今でも皇帝を敬愛していますが、陛下に嫌われてしまいましたから、棺に近づくのは無礼ですよ」
首相のニコラ・スールトは笑いながら言った。
「アウステルリッツ会戦を象徴する皇帝以外の人間と言えばルスタム・ラザだ。君は人々の記憶に残るという点ではこのスールトにすら勝ったのだ。胸を張って当時の衣装を着て棺の横に立って欲しい。今更軍人が帝政時代の軍装を着ることはできないからその代わりだ。世の中が変わってあの時代の軍人はみんな寂しいのだ。心が空っぽになるまで皇帝に尽くした軍人たちを慰めてやってほしい。陛下は過去のことにこだわらないから昔の怒りをあっさり忘れて喜ぶと思う。よくやった! ルスタム! 私の兵の士気を高めてくれた! とね。わかるだろ?」
「わかりました! では、出演料を少しばかりいただけますでしょうか?」
「君の笑った顔を初めて見た。いい商人になったようだな。商人には商人の大変さがあるだろうが、お金の奴隷に成るんじゃないぞ」
「さすがは大元帥閣下です。ご助言肝に銘じます。金貨をありがとうございます」
赤いマホガニー製の荘厳な棺に寄り添うフルコスチュームのルスタムには昔を懐かしむ世代からの絶賛、そして若い世代からの失笑が渦巻いた。写真機の発明は数年後で映像が残っていないのが残念である。
ルスタム・ラザは妻子とともに雑貨店を繁盛させて幸せに暮らした。晩年の1845年には回顧録を出版した。ナポレオンの自殺未遂のことは書かなかったため、このことが知られたのは二十世紀に入ってからである。
<注>
1.一部フィクションを加えています。ど派手なファッションで元帥や皇帝のそばに控えるのが当時のフランス軍の副官に流行していてルスタムだけがそうしていたわけではない。
2.ルスタムはファーストネームではないが、ルスタムあるいはルスタンと呼ばれていたようだ。ラザはレザと日本語表記されることが多いが、スペルに従い、ラザとした。
3.過去の怒りをあっさり忘れるのはナポレオンにはよくある話だった。
4.マムルーク・アリはなぜフランス軍に入らなかったのか? こてこての貴族系だから革命軍では苛められると思ったからだろうか? 混血で貴族系のアレクサンドル・デュマ将軍(あの大作家の父)は入隊日早々、強そうな奴に決闘をしかけて三人叩きのめしたらしい。その中には武術教官もいたそうだ。苛められる前に復讐を始めるというすごい話だ。
5.生没は、1783 – 7 December 1845
6.ライフル銃が発明されてからミニエー銃が発明されるまで、精度は人によってばらばらだった。
7.アルメニア人は15世紀にはすでに世界各地で商人として活躍していて、フランス人がインドの港でフランス語を話せるアルメニア人商人に出会って驚いたことを記している。
8.1815年に皇帝の元に戻るときには手紙を書いたけど無視されて、いろいろ運動したらしい。
9.ナポレオンの棺は後でマホガニー製から赤い大理石に替えられた。私も廃兵院で見て荘厳さに驚いた。
10.幸せとは心の内側から生まれるものだから自発的な心の動きがすべてだという考えはフランスの哲学者アランから。幸せは外部的作用によってもたらされるとしたベンサムやミルの哲学とは正反対でしかも説得力があるのが面白い。
11.参考文献
https://en.wikipedia.org/wiki/Roustam_Raza
幸福論(アラン) (岩波文庫 青 656-2)
作品名:ナポレオンのボディーガード、ルスタム・ラザの生涯 作家名:花序C夢



