ナポレオンのボディーガード、ルスタム・ラザの生涯
1805年12月、オーストリアのアウステルリッツの山並みは雪に覆われて獣たちは姿を消し、その代わりに列強三国の大軍が山麓に野営していた。
フランス軍の兵士たちはプラッツェン高地の麓に陣を構えていた。今、彼らが待ち望んでいるのは皇帝陛下だ。そして兵士たちの前に現れたのは、金と緋色に包まれた影。オリエントの絢爛を纏った男。
アラビア風の巨大なターバンに、大粒のルビーが光り、孔雀の羽根が揺れる。腰の曲刀には鶏卵大のダイヤモンドの柄頭が光っていた。だぶだぶの白いシャツに金糸の刺繍をふんだんに散らした赤いチョッキ。黄色いサーシュと青色のズボン。その煌びやかさに兵士たちは瞠目する。
「こ、これが皇帝か?」と囁く者もいた。
違う! 肌の色が浅黒い!
その後ろに、静かに現れた影こそ真の皇帝。
ナポレオン・ボナパルト。
トレードマークの灰色コートを認めた兵士たちは、
「ヴーヴ・ランブルール:皇帝万歳!」と連呼し、熱狂が広がっていった。
地味なコートの下には緑色の騎兵大佐服。三角帽。
普通の将校のような姿だが、その眼差しは、ただモノではない。
熱狂する兵士たちの前を、じらすようにゆっくりと歩く。
立ち止まると、兵士たちに正対し、大きく腕を上げ、指差して言った。
「ヴ・ゼット・キ!(君たちは何者だ!)」
兵士たちは声を合わせて叫ぶ!
「ラ・グラン・ダルメ! ル・プリュ・フォー!(偉大なる陸軍! 世界最強!)」
十万人の絶叫が地鳴りのように隅々まで全体に広がり、興奮と熱狂がいつまでも残響した。
ルスタムは一歩後ろに下がり、まるで舞台の幕を開ける道化のように立つ。
その絢爛な衣装と所作は、皇帝の威厳を際立たせるための計算された演出。
兵士たちは深く理解する。皇帝ナポレオンこそフランスの運命を握る者。
ナポレオンは一人ひとりの顔を見ていく。
若き兵士、老いた軍曹、負傷兵。
誰にも目を逸らさない。
その眼差しに、兵士たち全部が誓う。
「皇帝のために死ねる」と。
ルスタムは権威の外側にすぎず、この戦いを導くのはあの灰色の男の頭脳。
ナポレオンは最後に振り返り、軍旗を見上げる。
「フランス万歳!」
閲兵式は終わり、兵士たちは動き出す。
明日は三帝会戦。この世で皇帝を名乗る三人が相まみえ、決戦を行う。
歴史を変える大激戦になる。ルスタムの金色も、やがて戦場の塵にまみれる。
だが、あの瞬間の対比は、永遠に記憶された。
<幼少期から少年期>
トビシリは石畳の路地とバルコニー付きの木造家屋が並び、オリエンタルな雰囲気とヨーロッパ的な優雅さが融合した美しい内陸の町である。黒海とカスピ海をつなぐ交通の要衝であり、雪を戴いたコーカサス山脈を横目に多くの行商人が行き交っていた。その裕福な商家で一人の子供が生まれた。黒い髪、大きな目、整った顔立ち、だれからも愛される明るい性格。家族と友人から愛されて健康に育ち、彼が十三歳になったときのことである。
ある日の夕方、友人との遊びで腹をすかして家路を急ぐその少年に黒い風が吹いた。縛り上げられ目隠しをされて荷馬車に載せられた。地中海に面したトルコの港から船に乗せられて、着いた場所はエジプトのアレキサンドリア港である。両手を縛られ炎天下の砂漠を歩かされ大都市カイロに着いた。競売にかけられ、マムルークに買われた少年は縄を解かれてようやくこの日最初の食事と水を与えられた。
砂漠に赤い夕陽が沈むころ、脂ぎった目つきの男たちが集まってきた。ルスタムは木馬に手足を縛り付けられ、尻に獣脂を塗られて夜通し男たちに犯され続けた。
朝になるとイザイアという中東風の名前が与えられ、奴隷としての日々が始まった。マムルークとは戦奴であり、生涯独身である。奴隷であると同時に武力でカイロの町を支配する統治者でもある。そして強い者が実力で権力を継承していく、エジプトでは十字軍を撃退するため独特の社会システムが成立していた。実利が優先される独特の文化が育ち、イスラム教徒であるにも関わらず男色は公然と行われていた。
当時、世界各地から誘拐されてきた美少年はエジプトの名産であり、去勢された少年はエジプトから各国への重要な輸出品目の一つであった。十九世紀の統計にも記載されている史実である。
ルスタムの日常は主人の身の回りの世話、性的な奉仕だけではない。コーランの読み書き、経理、馬術そして武術の訓練。次世代の一人前のマムルークになるための修業は厳しかった。使い物にならないと判断された少年は去勢されて異国の売春宿に売り飛ばされる。去勢を行うのはエジプトでは少数派であるキリスト教徒である。
1798年、ナポレオン・ボナパルト将軍率いるフランス軍がエジプトに入ってきた。イギリスを排除してインドなどの植民地との貿易を遮断するためである。あるエジプト商人がナポレオンに取り入ろうと美少年ルスタムをマムルークから買い取って近づけた。ナポレオンは男色に興味がなかったが、頭脳明晰で剣技に優れたルスタムを気に入り、金を払って身元を引き受けた。当時15歳のルスタムはそれから14年間ナポレオンのボディーガード、毒見役、身の回りの世話、食事係として仕え、英雄の歴史をもっとも近くで目撃することになる。
派手な衣装は狙撃された場合に主人の身代わりとして銃弾を受けるためである。原始的なライフル銃がすでに発明されており、特殊な才能を持つスナイパーによる長距離狙撃が隠れた脅威となっていた。
ナポレオンのドアの前で寝る番犬とも呼ばれたが、それは忠誠心を賞賛した言葉でもあった。閲兵式はもちろんのこと、ナポレオンの皇帝戴冠式にもフルコスチュームで参加。彼の姿は多くの帝国絵画の数々に煌びやかに残っている。
ナポレオンは列強各国を相手に次々に戦勝を重ね、ついにロシアを破った。1807年のティルジットの和約により無敵の覇者として欧州に君臨した。1810年には最大の強敵オーストリアの王女と再婚し、次の年に子供が生まれた。ナポレオンはこの息子を溺愛したのであるが、そうなると常にギラギラと殺気を放ってそばに控えるルスタムが邪魔に思えてきた。かといってこれだけ有能なボディーガードは他にはいない。皇帝は馬丁のサンドニをルスタムのアシスタントとして指名した。家族団らんの時はこちらを使おうというわけだ。
サンドニはルスタムより2歳若く、ブルボン系の伯爵の庶子で世俗的なことにも長けていた。母が身分の低い料理人だったため苦労して育ち、教育費だけは潤沢にもらってしっかりとした素養を身に着けていた。ルスタムとは違って子供をあやすことも、女性の機微を理解することもできた。
彼はパリ生まれのフランス人なのにエジプト人になるように命じられ、マムルーク・アリという名前を与えられた。ルスタムは彼にターバンの巻き方、中東風衣装の着こなし、武術、そして暗殺を防いだ幾多の経験を伝えた。
1812年、モスクワ戦役が始まり、帝国が軋み始めた。続いてドイツ戦役が始まり、ライプツィヒの戦いでフランスは大敗北。フランス国内での戦いとなった。
フランス軍の兵士たちはプラッツェン高地の麓に陣を構えていた。今、彼らが待ち望んでいるのは皇帝陛下だ。そして兵士たちの前に現れたのは、金と緋色に包まれた影。オリエントの絢爛を纏った男。
アラビア風の巨大なターバンに、大粒のルビーが光り、孔雀の羽根が揺れる。腰の曲刀には鶏卵大のダイヤモンドの柄頭が光っていた。だぶだぶの白いシャツに金糸の刺繍をふんだんに散らした赤いチョッキ。黄色いサーシュと青色のズボン。その煌びやかさに兵士たちは瞠目する。
「こ、これが皇帝か?」と囁く者もいた。
違う! 肌の色が浅黒い!
その後ろに、静かに現れた影こそ真の皇帝。
ナポレオン・ボナパルト。
トレードマークの灰色コートを認めた兵士たちは、
「ヴーヴ・ランブルール:皇帝万歳!」と連呼し、熱狂が広がっていった。
地味なコートの下には緑色の騎兵大佐服。三角帽。
普通の将校のような姿だが、その眼差しは、ただモノではない。
熱狂する兵士たちの前を、じらすようにゆっくりと歩く。
立ち止まると、兵士たちに正対し、大きく腕を上げ、指差して言った。
「ヴ・ゼット・キ!(君たちは何者だ!)」
兵士たちは声を合わせて叫ぶ!
「ラ・グラン・ダルメ! ル・プリュ・フォー!(偉大なる陸軍! 世界最強!)」
十万人の絶叫が地鳴りのように隅々まで全体に広がり、興奮と熱狂がいつまでも残響した。
ルスタムは一歩後ろに下がり、まるで舞台の幕を開ける道化のように立つ。
その絢爛な衣装と所作は、皇帝の威厳を際立たせるための計算された演出。
兵士たちは深く理解する。皇帝ナポレオンこそフランスの運命を握る者。
ナポレオンは一人ひとりの顔を見ていく。
若き兵士、老いた軍曹、負傷兵。
誰にも目を逸らさない。
その眼差しに、兵士たち全部が誓う。
「皇帝のために死ねる」と。
ルスタムは権威の外側にすぎず、この戦いを導くのはあの灰色の男の頭脳。
ナポレオンは最後に振り返り、軍旗を見上げる。
「フランス万歳!」
閲兵式は終わり、兵士たちは動き出す。
明日は三帝会戦。この世で皇帝を名乗る三人が相まみえ、決戦を行う。
歴史を変える大激戦になる。ルスタムの金色も、やがて戦場の塵にまみれる。
だが、あの瞬間の対比は、永遠に記憶された。
<幼少期から少年期>
トビシリは石畳の路地とバルコニー付きの木造家屋が並び、オリエンタルな雰囲気とヨーロッパ的な優雅さが融合した美しい内陸の町である。黒海とカスピ海をつなぐ交通の要衝であり、雪を戴いたコーカサス山脈を横目に多くの行商人が行き交っていた。その裕福な商家で一人の子供が生まれた。黒い髪、大きな目、整った顔立ち、だれからも愛される明るい性格。家族と友人から愛されて健康に育ち、彼が十三歳になったときのことである。
ある日の夕方、友人との遊びで腹をすかして家路を急ぐその少年に黒い風が吹いた。縛り上げられ目隠しをされて荷馬車に載せられた。地中海に面したトルコの港から船に乗せられて、着いた場所はエジプトのアレキサンドリア港である。両手を縛られ炎天下の砂漠を歩かされ大都市カイロに着いた。競売にかけられ、マムルークに買われた少年は縄を解かれてようやくこの日最初の食事と水を与えられた。
砂漠に赤い夕陽が沈むころ、脂ぎった目つきの男たちが集まってきた。ルスタムは木馬に手足を縛り付けられ、尻に獣脂を塗られて夜通し男たちに犯され続けた。
朝になるとイザイアという中東風の名前が与えられ、奴隷としての日々が始まった。マムルークとは戦奴であり、生涯独身である。奴隷であると同時に武力でカイロの町を支配する統治者でもある。そして強い者が実力で権力を継承していく、エジプトでは十字軍を撃退するため独特の社会システムが成立していた。実利が優先される独特の文化が育ち、イスラム教徒であるにも関わらず男色は公然と行われていた。
当時、世界各地から誘拐されてきた美少年はエジプトの名産であり、去勢された少年はエジプトから各国への重要な輸出品目の一つであった。十九世紀の統計にも記載されている史実である。
ルスタムの日常は主人の身の回りの世話、性的な奉仕だけではない。コーランの読み書き、経理、馬術そして武術の訓練。次世代の一人前のマムルークになるための修業は厳しかった。使い物にならないと判断された少年は去勢されて異国の売春宿に売り飛ばされる。去勢を行うのはエジプトでは少数派であるキリスト教徒である。
1798年、ナポレオン・ボナパルト将軍率いるフランス軍がエジプトに入ってきた。イギリスを排除してインドなどの植民地との貿易を遮断するためである。あるエジプト商人がナポレオンに取り入ろうと美少年ルスタムをマムルークから買い取って近づけた。ナポレオンは男色に興味がなかったが、頭脳明晰で剣技に優れたルスタムを気に入り、金を払って身元を引き受けた。当時15歳のルスタムはそれから14年間ナポレオンのボディーガード、毒見役、身の回りの世話、食事係として仕え、英雄の歴史をもっとも近くで目撃することになる。
派手な衣装は狙撃された場合に主人の身代わりとして銃弾を受けるためである。原始的なライフル銃がすでに発明されており、特殊な才能を持つスナイパーによる長距離狙撃が隠れた脅威となっていた。
ナポレオンのドアの前で寝る番犬とも呼ばれたが、それは忠誠心を賞賛した言葉でもあった。閲兵式はもちろんのこと、ナポレオンの皇帝戴冠式にもフルコスチュームで参加。彼の姿は多くの帝国絵画の数々に煌びやかに残っている。
ナポレオンは列強各国を相手に次々に戦勝を重ね、ついにロシアを破った。1807年のティルジットの和約により無敵の覇者として欧州に君臨した。1810年には最大の強敵オーストリアの王女と再婚し、次の年に子供が生まれた。ナポレオンはこの息子を溺愛したのであるが、そうなると常にギラギラと殺気を放ってそばに控えるルスタムが邪魔に思えてきた。かといってこれだけ有能なボディーガードは他にはいない。皇帝は馬丁のサンドニをルスタムのアシスタントとして指名した。家族団らんの時はこちらを使おうというわけだ。
サンドニはルスタムより2歳若く、ブルボン系の伯爵の庶子で世俗的なことにも長けていた。母が身分の低い料理人だったため苦労して育ち、教育費だけは潤沢にもらってしっかりとした素養を身に着けていた。ルスタムとは違って子供をあやすことも、女性の機微を理解することもできた。
彼はパリ生まれのフランス人なのにエジプト人になるように命じられ、マムルーク・アリという名前を与えられた。ルスタムは彼にターバンの巻き方、中東風衣装の着こなし、武術、そして暗殺を防いだ幾多の経験を伝えた。
1812年、モスクワ戦役が始まり、帝国が軋み始めた。続いてドイツ戦役が始まり、ライプツィヒの戦いでフランスは大敗北。フランス国内での戦いとなった。
作品名:ナポレオンのボディーガード、ルスタム・ラザの生涯 作家名:花序C夢



