朽ちた聖域 Ⅰ先輩からの誘い
翌日の午後3時頃、すみれ色のワンピース姿の亜美はバイオリンの入ったケースを片手に、大学の裏門で濱内と落ち合った。普段はラフめの服を着ている濱内だが、その日ばかりはカーキ色のポロシャツとアイボリー色のズボンという、まじめ度をほんの数%上げた服装だった。9月下旬の暑さは棒にぶら下がるように残っていたが、亜美と濱内は、尊敬してやまないバイオリニストとしばらくぶりに再会できると思うと、屋外の気温も苦にならなかった。
杉内先輩が送ってくれた画像の手書き地図を頼りに道を進む間、二人の会話の話題はもっぱら彼のことだった。
「杉内先輩、バイオリンの実技面だとすっごく厳しかったですね」
「あぁそうだったなぁ。あの人、圧がすごくて、アミティは何回も練習中に泣いちゃってたっけ」
「その話、封印したい…。でも、何で杉内先輩は私を音響テストに誘ってくれたんですかね」
亜美は濱内の軽いいじりに困惑しながらも、目線をちょっぴり上に向けた。
「何でだろな。『音響テスト』とか言う名の特訓だったりしてな」
「またそう言う」
そんなこんなで、彼らは目的地付近にまで来た。道の左側を見ると、煙突と小さな窓のある白い壁の小屋のような建物が見えた。
「何だろう、あれ。行ってみよう」
濱内はその建物にどういうわけか興味を抱き、ドアのほうまで軽くダッシュした。
「あ、あの、濱内さん…」
亜美が声をかけたときには、建物のドアは既に閉められていた。
濱内は天井に少し目を向けるとすぐにせき込んだ。建物の内部は何十年分ものほこりを積んだような空気に包まれており、人の気配はまるでない。彼は何歩か歩くと、白にも灰色にも見える色の中途半端に角ばった物を踏み、足を軽く滑らせた。
「ぅおっと!」
濱内は前のめりに倒れたが、すぐに両手を突いたのでズボンの脚部が少し汚れただけで済んだ。
「あっぶねぇ」
彼がそう言いながら立ち上がると、「25」と書かれた木の板に一瞬目を向けたが、さらに彼の目を引いたのは、自身の両手の内側に付いた薄い灰色の粉だった。
「ありゃ…」
濱内は二、三度両手をたたいて粉を払うと、ポケットからハンカチを出して両手をごしごし拭いてハンカチを戻し、亜美を待たせているのを思い出して、建物を出た。
「何してたんですか」
ドアのそばに居た亜美が声をかけた。
「いや、場所……間違えたみたいだ」
彼は苦笑いしながら答えたが、その目は曇っていた。
作品名:朽ちた聖域 Ⅰ先輩からの誘い 作家名:藍城 舞美



 

 
    