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京都七景【第十九章】

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【第十九章 ある研究所】

「では、いよいよ夜も尽きて空も白み始めてきたようだから、ここは手っ取り早く駆け足で話させてもらうよ。幸い、俺は、自慢じゃないが、本格的失恋こそ皆無に近いものの、短期的失恋の多さには人の目を見張らせるものがある。ま、それだけ気が多いというか、惚れっぽいというか、しかも、それに輪をかけて飽きっぽいと来ているから、どうも純愛には向かないらしい。この性格、どうにかならないものかね。ため息が出るよ。
 だが、こんな差し迫った折りには、自分の失恋の多さが、かえって友人の役に立つこともあるから、自分もなかなか捨てたものではないなんて、変な自信を持ってしまう。そのくせ、ふと、われに帰ると、そんな自分に哀れを催すのだから、始末に負えないよな。ああ、今宵また、涙さしぐみ帰り来ぬ、か。まあ、それはともかく、早速始めることにしよう。
 さて、俺は銀閣寺の北隣にある下池田町に下宿している。ところで、下宿を決めると、その下宿を中心に半径1キロ圏内をひとまず一週間くらい歩いてみる習慣が、俺にはある。もちろんそれは、種々の情報を得て、より良い日常生活を送るためだ。おそらく、安くてうまい食堂や、気持ちのいい風呂屋、長居のきく喫茶店、立ち読みできる書店、緊急時の薬局や医院などなどが見つかるだろう。
 でも、それだけじゃない。街が思いも寄らないものを用意しているのを俺は経験的に知っている。実は、そちらの方により興味を誘われるのだ。数は多くないが、どうしてここにこんなものがあるのかと、ついつい訝ったり、感心したり、得したりしてしまうのだ。下池田町にもそんなところが、いくつか、あった。ちょっとその例を上げてみようか。
 それが失恋話に何の関係があるかって? 大丈夫。その中に、ちゃんと今回の失恋話の舞台が登場して来るからさ。手間は取らせない。何はともあれ、まあ聴いてくれ。
 まず、鳥居を一歩くぐると、唐突に、急な石段の上り坂が待ちかまえている天神宮(登りに一苦労するが、夏は涼しく、人通りは少なく、散策中には良き憩いの場となる)。
 次に、午後9時に喫茶店から早変わりする人気ラーメン店(店主は同じ。ラーメンは行列ができる美味しさ)ただ、喫茶店に行列はない。
 そして、話はここからいよいよ我が失恋のきっかけとなった、ある研究所のことになる。その研究所は、普段、俺が夕飯を食いに下宿から銀閣寺道の食堂まで行く細い抜け道の途中にある。ところが、何度も研究所の前を往復していながら、俺は全然その存在に気がついていなかった。それがある日曜日の午後早く、俺の下宿を野上が訪ねたことにより、その存在が判明し、俺の失恋が加速されることとなった」

「やや穏当を欠く表現だな。だが、まあ、この状況では仕方ない。訂正は諦めよう。先へ進めてくれ」
「すまんな、野上、即物的表現で。とにかく時間を節約するためだ。俺の語りと表現のまずさには目を瞑ってくれ。では続けるよ。
 それで、野上が来たのがちょうど、俺が昼飯に出かけようとしている時だった。聞くと野上もまだ食べていないと言う。それなら、まずは腹ごしらえだと、行きつけの銀閣寺道の『大銀』食堂へ同道することになった。
 その道すがら、野上と一緒だということもあって、いつも住宅街にあまり目を向けない俺にも、この際だから周囲にどんな家があるのかよく見ておきたいという心のゆとりが生まれてきた。俺は、あたりにゆっくり目をやりながら、普段は見ない表札を、一つ一つ小声で丁寧に読み上げながら歩いた。
 ちょうど白川の小流れを渡って、道の両側に格式の高そうな和風住宅が軒を並べるあたりにさしかかった時のことだ。毎回、羨ましくも俺には関係ないと言い張って、足早に通り過ぎる小路なのに、ふと見あげると、年季の入った太い松が道にその格好の良い枝を差しかけている。下には、数寄屋門というのか、一生に一度はこんな門構えの家に住みたいと思っていたその門がそこに、きりっとした風情で立っている。いったいどんな名士がこんな家に住んでいるのだろうかという問いが、ひとりでに沸々と湧き上がってくる。俺は表札を読んだ。

『ロマン・ロラン研究所』。

 小さな木札に、これまた小さいけれどしっかりとした文字で黒く深く彫りつけてある。

「ロマン・ロラン研究所?」俺は不思議な気分になった。

「ロマン・ロラン研究所?」俺は再び繰り返した。
 野上が、「堀井、もしかしてロマン・ロランを知らんのか?」と、問いかけてきたが、さすがにロマン・ロランは俺でも知っている。19世紀末から20世紀半ば近くまで活躍したフランス人作家で、名作『ジャン・クリストフ』や『ベートーヴェンの生涯』、その他、数多くの作品や政治的評論などなどを書いて世界的名声を博している。確かノーベル文学賞だって受賞したはずだ。
 でも、俺が疑問に思ったのはそんなことではない。ロマン・ロランはフランス人である。その研究所がフランスにあるならともかく、なぜ日本の、しかも京都の、銀閣寺前に、あるのかということだった。一歩譲って日本にあるのは良しとしよう。だとしても、普通は首都東京にありそうなものだが、なぜ京都なのか。
 それに研究所という呼び名も文学者の研究をする施設にしては不思議な感じがする。これまでにちょっと聞いたことがない。鷗外研究所や漱石研究所なんてあるだろうか? 科学者や社会科学者なら、北里研究所やパストゥール研究所、大原社会問題研究所、マルクス・レーニン研究所などなど、その名を冠した研究所があって特に違和感はない。それが、なぜ『ロマン・ロラン研究所』には違和感が伴うのか? そう心の中で疑問に思っていると、どうやらその言葉は、声になって俺の口から漏れ出ていたらしい。それを聞いた野上が、口に人差し指を当てて「しっ」と言いながら、俺の見ている表札に近づいて来ると、

「おい、声が漏れてるぞ、人に聞かれたら恥ずかしいじゃないか」と俺をたしなめ、表札を見直すべく俺の前に立った。表札のかかった柱を上から下まで何度もよく眺めたあとで「なあんだ。謎が一つ解けたよ」と、振り返って俺に説明してくれた。
 それによると、どうやら俺はロマン・ロラン研究所の表札にばかり気を取られ、その上に掛かっている、もう一つの名入りの表札には気づかなかったようだ。そこには住人のフルネームが記されており、もしその名前に心当たりさえあれば、なぜここに研究所があるのかという俺の疑問も、あるいは即刻解消されたかもしれない。ただし、名前に心当たりがなければ、疑問をその場で解くのは、かなりな困難を来たしたに違いない。
 では、表札にどんな名前が記されていたのか?
 それは、『宮本正清(みやもとまさきよ)』という名前だった。残念だが、俺には全く心当たりがなかった。ところが幸いなことに、やはり野上は知っていた。さすがは仏文科、芸は身を助く、である。いや、腐ってもお家芸だったか。ま、それはどうでもかまわない。問題はその正清氏がどんな人物かということだ。
作品名:京都七景【第十九章】 作家名:折口学