純愛2 夜明けの駐車場
その言葉に、彼の目がわずかに揺れた。
ほんの一瞬、涙が光った気がした。
外では、車のドアが開く音。
誰かがこちらに向かってくる。
時間が、止まった。
彼はポケットから小さなメモを取り出し、
私の手のひらに押し込んだ。
――逃げるな。愛を生きろ。
それが、最後の言葉になった。
銃声。
光。
叫び。
そして――静寂。
気づけば、朝日が海を照らしていた。
白いスカートが風に揺れ、
潮の香りと涙の味が混ざり合う。
私は振り返らなかった。
ただ、東の空を見つめていた。
「あなたが信じた愛を、
わたしは生きる」
その声は、風に消えた。
第四章 夜明け ―女の視点―
あれから、どれくらい時間が経ったのだろう。
朝の光がまぶしくて、
涙でにじんだ海の景色が、夢のように遠かった。
彼の姿は、もうどこにもない。
銃声のあと、
世界は一瞬で音を失った。
潮の香りだけが、現実を繋ぎとめていた。
私は、握りしめたままの小さなメモを開いた。
あの時、彼が残した最後の言葉。
――逃げるな。愛を生きろ。
震える指で文字をなぞる。
そこには、彼の体温がまだ残っている気がした。
港を離れ、
私は海沿いの道をひとり歩いた。
青いブラウスは血と潮で色を変え、
白いスカートは風に揺れながら、
まるで別の世界へ進もうとしているようだった。
通りすがりのトラックがクラクションを鳴らした。
現実の音。
生きている音。
私は、まだ生きている。
昼近く、
小さなカフェにたどり着いた。
新聞の見出しが目に飛び込む。
「不正データ流出事件 容疑者死亡」
その記事の片隅に、
小さく載っていた写真。
無表情な、けれどどこか穏やかな彼の顔。
涙は出なかった。
泣くよりも先に、
心が、静かに彼を誇りに思った。
彼は嘘をついていた。
けれど、その嘘は私を守るためだった。
“逃げる”ためじゃない。
“生き延びさせる”ための嘘。
それに気づいた時、
胸の奥で何かが音を立てて砕け、
そして光になった。
夜、部屋に戻り、
小さなノートを開く。
あの日、彼と暮らしていた部屋に置いてきた日記の続き。
きょう、私は彼を失った。
でも、彼が信じた愛は、まだここにある。
愛は終わらない。
終わるのは、恐れだけだ。
書きながら、私は気づく。
“純愛”とは、永遠に一緒にいることではない。
相手のいない世界でも、
その人の信じた愛を“生き抜く”こと。
窓の外で、朝がまた始まる。
鳥の声。
光。
そして、わずかに潮の香り。
私は立ち上がり、
鏡の前でブラウスのボタンをひとつ留めた。
「行こう」
誰に言うでもなく、
自分の声が、静かに部屋に響いた。
新しい一日が始まる。
愛を背負ったまま、
逃げずに、歩いていく。
愛は、終わるものではない。
愛は、生き続けるものだ。
たとえ、もう二度とその人に触れられなくても。
作品名:純愛2 夜明けの駐車場 作家名:タカーシャン