純愛2 夜明けの駐車場
純愛2 夜明けの駐車場
夜のスーパーの駐車場は、
昼の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
コンビニの明かりだけが遠くに滲み、
アスファルトに溜まった雨水が街灯を映している。
黒ずくめの男が立っていた。
その隣に、青いブラウスと白いロングスカートの女。
風が吹くたび、スカートの裾が小さく揺れる。
ふたりの間には、言葉にならない沈黙があった。
「……また遅かったね」
女が静かに言う。
男は苦笑しただけで、返事をしなかった。
ほんの数か月前まで、
ふたりは笑っていた。
同じ鍋をつつき、同じ夢を語り、
何もかもを信じ合っていた。
しかし、
同棲の部屋には、いつしか郵便物が積み重なり、
“家賃滞納”の赤い文字が日常に混ざった。
小さな嘘が、いつのまにか互いを刺しはじめる。
男は夜遅くまで外に出て、
女は帰りを待ちながら、不安をノートに書きつけた。
「どこにいるの?」
「何を隠してるの?」
問いの答えは、いつも曖昧な笑みの裏に消えた。
ある夜、女は見てしまう。
駐車場の暗がりに立つ男の姿を。
その背後に、もう一つの影があった。
車のドアが静かに閉まり、
黒いセダンが滑るように去っていく。
――何かが、始まっている。
そう直感した。
それから数日、男はほとんど家に帰らなくなった。
スマホも繋がらず、
部屋の冷蔵庫には、
彼が好きだった缶コーヒーが一本だけ残っている。
女は夜中のスーパーへ向かった。
確かめるために。
あの駐車場へ――。
街灯の下、男はいた。
だが、その顔は疲れ切っていた。
頬はこけ、目の奥に焦りの影がある。
「逃げなきゃならない」
男の声は低く、震えていた。
「誰から?」
「話すと、君まで巻き込む」
その瞬間、遠くでブレーキの音が響いた。
振り返ると、黒い車が二台。
ヘッドライトが二人を照らす。
男は女の手を掴み、走り出した。
「行くぞ――!」
駐車場の出口を抜け、闇へ消える二つの影。
後ろから、タイヤの焼ける匂いと怒鳴り声が追いかけてくる。
夜の街が、息をひそめた。
愛はまだ生きている。
だが、それはもう“恋”ではなかった。
生き延びるための、
“信じる覚悟”に変わっていた。
第二章 逃走 ―女の視点―
夜の風が、痛いほど冷たかった。
走るたび、白いスカートの裾が足に絡まり、
アスファルトの上で靴音が空しく響く。
彼の手は熱かった。
汗ばみ、震えていた。
何かを恐れている――そう感じた瞬間、
胸の奥に、言葉にならない不安が広がっていった。
「逃げるって、どこへ?」
息を切らしながら問う。
男は前を見たまま、短く答えた。
「海沿い。今夜だけ、身を隠す」
海沿い?
なぜ海?
頭の中で疑問が渦を巻く。
だが、立ち止まることは許されなかった。
背後から、タイヤが軋む音。
視界の隅で光が跳ね、誰かが叫ぶ。
「急げ!」という男の声だけが、
夜の闇を切り裂いていた。
車の中は、息が詰まるほど静かだった。
古いラジオから、かすれた女性ボーカルが流れている。
その歌詞の一部だけが、
なぜか耳に残った。
“信じることは 逃げることじゃない”
彼の横顔を見た。
目の下のクマ、硬く結んだ唇。
あの優しかった笑顔はもうどこにもなかった。
「あなた、何をしたの?」
問いかける声が、自分のものとは思えなかった。
男はしばらく沈黙して、
フロントガラス越しに遠くの信号を見つめた。
そして、ぽつりと呟いた。
「守りたかったんだよ。君を」
その言葉が、夜の車内に落ちた瞬間、
涙がこぼれた。
それが悲しみなのか、恐怖なのか、
もう分からなかった。
海沿いのモーテルに着いたのは、午前2時を過ぎていた。
潮風に混じって、鉄の匂いがした。
男は無言で部屋のカーテンを閉め、
荷物の中からノートパソコンを取り出した。
「何をしてるの?」
「証拠を消してる」
“証拠”――その言葉が胸を刺す。
私は、ただ信じて生きてきた。
一緒に笑って、一緒に食べて、
明日もきっとこの人と生きると思っていた。
でも今、私の隣にいるのは、
知らない顔をした“誰か”だった。
彼がキーボードを打つたびに、
部屋の時計の針が音を立てて進む。
秒針の音がやけに大きく響いた。
外では、波の音が絶え間なく続いている。
私は窓の隙間から外を覗いた。
街灯の光がかすかに海を照らし、
遠くに一台の車のヘッドライトが見えた気がした。
――見つかった。
その瞬間、背筋が凍った。
振り返ると、彼も同じ方向を見ていた。
無言で、目だけが合った。
「もう、逃げ切れないかもしれない」
男の声は静かで、どこか諦めていた。
私はその言葉に、首を横に振った。
「逃げよう。
どこまでも。
信じるって、そういうことでしょ?」
夜風が窓を叩いた。
カーテンの隙間から差す光が、
彼の瞳をわずかに照らしていた。
その目の奥に――
かすかな希望が、確かにあった。
第三章 追跡 ―女の視点―
夜が明けはじめた。
東の空がわずかに白み、
海がゆっくりと光を取り戻していく。
私はベッドの端に腰を下ろし、
指先でロングスカートの裾をなぞっていた。
乾ききらない潮風が、部屋のカーテンを揺らす。
彼は机の前に座り、
まだノートパソコンの画面を見つめている。
その背中が小さく見えた。
まるで、何かに祈っているように。
「……もう終わり?」
静かに尋ねると、彼はゆっくりと首を横に振った。
「まだだ。
データは消したけど……奴らは動いてる」
“奴ら”――
その言葉を聞くだけで、体が硬くなる。
昨夜からずっと、誰かに見られているような気配が消えなかった。
その時、
テーブルの上のスマホが震えた。
画面に映った名前を見て、
私は息を呑んだ。
――母。
もう二日も連絡を入れていない。
震える指で通話ボタンを押す。
「もしもし……」
「あんた、大丈夫なの?
変な人たちが家の前に立ってるのよ!」
母の声が震えていた。
背筋が冷たくなる。
男がすぐに近づき、私の手からスマホを奪った。
「もう出るな!」
そう言って、通話を切った。
「彼ら、もう俺たちの居場所を掴んでる」
外に出ると、夜と朝の境い目のような光。
港の向こう側に、
黒い車が二台、並んで停まっているのが見えた。
私は思わず息を呑んだ。
「逃げられるの?」
問いかけると、彼はハンドルを握りしめ、低く答えた。
「もう逃げない」
その言葉が信じられなかった。
“逃げない”って何?
ここまで来て――どうするつもり?
「君だけでも行け。
俺が足止めする」
「ふざけないで!」
叫んだ。
声が震えて、涙がこぼれた。
彼は、静かに笑った。
それは、初めて会ったころの、あの優しい笑顔だった。
「信じてくれ。
これで終わらせる。
もう誰にも、君を追わせない」
そう言って、彼は私の手を握った。
温かい。
でも、その温もりの中に、
“別れ”の気配があった。
私は、決意した。
逃げない。
一人でも、行かない。
「行くなら一緒。
どんな結末でも、あなたと」
夜のスーパーの駐車場は、
昼の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
コンビニの明かりだけが遠くに滲み、
アスファルトに溜まった雨水が街灯を映している。
黒ずくめの男が立っていた。
その隣に、青いブラウスと白いロングスカートの女。
風が吹くたび、スカートの裾が小さく揺れる。
ふたりの間には、言葉にならない沈黙があった。
「……また遅かったね」
女が静かに言う。
男は苦笑しただけで、返事をしなかった。
ほんの数か月前まで、
ふたりは笑っていた。
同じ鍋をつつき、同じ夢を語り、
何もかもを信じ合っていた。
しかし、
同棲の部屋には、いつしか郵便物が積み重なり、
“家賃滞納”の赤い文字が日常に混ざった。
小さな嘘が、いつのまにか互いを刺しはじめる。
男は夜遅くまで外に出て、
女は帰りを待ちながら、不安をノートに書きつけた。
「どこにいるの?」
「何を隠してるの?」
問いの答えは、いつも曖昧な笑みの裏に消えた。
ある夜、女は見てしまう。
駐車場の暗がりに立つ男の姿を。
その背後に、もう一つの影があった。
車のドアが静かに閉まり、
黒いセダンが滑るように去っていく。
――何かが、始まっている。
そう直感した。
それから数日、男はほとんど家に帰らなくなった。
スマホも繋がらず、
部屋の冷蔵庫には、
彼が好きだった缶コーヒーが一本だけ残っている。
女は夜中のスーパーへ向かった。
確かめるために。
あの駐車場へ――。
街灯の下、男はいた。
だが、その顔は疲れ切っていた。
頬はこけ、目の奥に焦りの影がある。
「逃げなきゃならない」
男の声は低く、震えていた。
「誰から?」
「話すと、君まで巻き込む」
その瞬間、遠くでブレーキの音が響いた。
振り返ると、黒い車が二台。
ヘッドライトが二人を照らす。
男は女の手を掴み、走り出した。
「行くぞ――!」
駐車場の出口を抜け、闇へ消える二つの影。
後ろから、タイヤの焼ける匂いと怒鳴り声が追いかけてくる。
夜の街が、息をひそめた。
愛はまだ生きている。
だが、それはもう“恋”ではなかった。
生き延びるための、
“信じる覚悟”に変わっていた。
第二章 逃走 ―女の視点―
夜の風が、痛いほど冷たかった。
走るたび、白いスカートの裾が足に絡まり、
アスファルトの上で靴音が空しく響く。
彼の手は熱かった。
汗ばみ、震えていた。
何かを恐れている――そう感じた瞬間、
胸の奥に、言葉にならない不安が広がっていった。
「逃げるって、どこへ?」
息を切らしながら問う。
男は前を見たまま、短く答えた。
「海沿い。今夜だけ、身を隠す」
海沿い?
なぜ海?
頭の中で疑問が渦を巻く。
だが、立ち止まることは許されなかった。
背後から、タイヤが軋む音。
視界の隅で光が跳ね、誰かが叫ぶ。
「急げ!」という男の声だけが、
夜の闇を切り裂いていた。
車の中は、息が詰まるほど静かだった。
古いラジオから、かすれた女性ボーカルが流れている。
その歌詞の一部だけが、
なぜか耳に残った。
“信じることは 逃げることじゃない”
彼の横顔を見た。
目の下のクマ、硬く結んだ唇。
あの優しかった笑顔はもうどこにもなかった。
「あなた、何をしたの?」
問いかける声が、自分のものとは思えなかった。
男はしばらく沈黙して、
フロントガラス越しに遠くの信号を見つめた。
そして、ぽつりと呟いた。
「守りたかったんだよ。君を」
その言葉が、夜の車内に落ちた瞬間、
涙がこぼれた。
それが悲しみなのか、恐怖なのか、
もう分からなかった。
海沿いのモーテルに着いたのは、午前2時を過ぎていた。
潮風に混じって、鉄の匂いがした。
男は無言で部屋のカーテンを閉め、
荷物の中からノートパソコンを取り出した。
「何をしてるの?」
「証拠を消してる」
“証拠”――その言葉が胸を刺す。
私は、ただ信じて生きてきた。
一緒に笑って、一緒に食べて、
明日もきっとこの人と生きると思っていた。
でも今、私の隣にいるのは、
知らない顔をした“誰か”だった。
彼がキーボードを打つたびに、
部屋の時計の針が音を立てて進む。
秒針の音がやけに大きく響いた。
外では、波の音が絶え間なく続いている。
私は窓の隙間から外を覗いた。
街灯の光がかすかに海を照らし、
遠くに一台の車のヘッドライトが見えた気がした。
――見つかった。
その瞬間、背筋が凍った。
振り返ると、彼も同じ方向を見ていた。
無言で、目だけが合った。
「もう、逃げ切れないかもしれない」
男の声は静かで、どこか諦めていた。
私はその言葉に、首を横に振った。
「逃げよう。
どこまでも。
信じるって、そういうことでしょ?」
夜風が窓を叩いた。
カーテンの隙間から差す光が、
彼の瞳をわずかに照らしていた。
その目の奥に――
かすかな希望が、確かにあった。
第三章 追跡 ―女の視点―
夜が明けはじめた。
東の空がわずかに白み、
海がゆっくりと光を取り戻していく。
私はベッドの端に腰を下ろし、
指先でロングスカートの裾をなぞっていた。
乾ききらない潮風が、部屋のカーテンを揺らす。
彼は机の前に座り、
まだノートパソコンの画面を見つめている。
その背中が小さく見えた。
まるで、何かに祈っているように。
「……もう終わり?」
静かに尋ねると、彼はゆっくりと首を横に振った。
「まだだ。
データは消したけど……奴らは動いてる」
“奴ら”――
その言葉を聞くだけで、体が硬くなる。
昨夜からずっと、誰かに見られているような気配が消えなかった。
その時、
テーブルの上のスマホが震えた。
画面に映った名前を見て、
私は息を呑んだ。
――母。
もう二日も連絡を入れていない。
震える指で通話ボタンを押す。
「もしもし……」
「あんた、大丈夫なの?
変な人たちが家の前に立ってるのよ!」
母の声が震えていた。
背筋が冷たくなる。
男がすぐに近づき、私の手からスマホを奪った。
「もう出るな!」
そう言って、通話を切った。
「彼ら、もう俺たちの居場所を掴んでる」
外に出ると、夜と朝の境い目のような光。
港の向こう側に、
黒い車が二台、並んで停まっているのが見えた。
私は思わず息を呑んだ。
「逃げられるの?」
問いかけると、彼はハンドルを握りしめ、低く答えた。
「もう逃げない」
その言葉が信じられなかった。
“逃げない”って何?
ここまで来て――どうするつもり?
「君だけでも行け。
俺が足止めする」
「ふざけないで!」
叫んだ。
声が震えて、涙がこぼれた。
彼は、静かに笑った。
それは、初めて会ったころの、あの優しい笑顔だった。
「信じてくれ。
これで終わらせる。
もう誰にも、君を追わせない」
そう言って、彼は私の手を握った。
温かい。
でも、その温もりの中に、
“別れ”の気配があった。
私は、決意した。
逃げない。
一人でも、行かない。
「行くなら一緒。
どんな結末でも、あなたと」
作品名:純愛2 夜明けの駐車場 作家名:タカーシャン