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タカーシャン
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novelistID. 70952
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眠りと時間 、 明日が生まれる場所

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眠りと時間 、 明日が生まれる場所

暦の上では、夜の零時を過ぎれば「明日」になる。日付が変わり、カレンダーの数字が一つ進み、スマートフォンの画面にも新しい日付が刻まれる。けれど、私たちの感覚はそれに素直に従わない。零時を過ぎても、心はまだ「今日」に留まっている。仕事や出来事の余韻、話し足りない会話、残した宿題のような思い――それらが身体にまとわりつき、「明日」ではなく「延長された今日」を生きているのだ。

では「明日」とは、いったいどこで生まれるのか。
それは、目覚めた瞬間にしか訪れない。

眠りから覚め、カーテン越しに差す朝の光を感じ、昨日の続きとは違う空気を胸に吸い込むとき、私たちはようやく「今日が終わり、明日が来た」と実感する。つまり、明日は暦が運んでくるものではなく、目覚めという体験を通して初めて立ち現れる現実なのだ。

哲学者アウグスティヌスは『告白』の中で、時間とは心の働きそのものであると語った。過去は記憶にあり、未来は期待にあり、現在は注意の中にある。眠りの中では、この「注意」が中断される。だから私たちは時間を体験しない。眠りとは、時間の川の流れから一時的に身を外すことなのだ。

実際、眠っているあいだも時計の針は進むし、世界も動いている。しかし、私たちの意識はその進行をまったく感じない。そこには「時間が存在しない」というよりも、「時間を測る主体が存在しない」と言うべきだろう。私たちは眠りの間、世界からも、自己からも一時的に切り離されている。

だからこそ、目覚めの瞬間は特別である。
そこでは、意識が「時間」という舞台に再び登場する。昨日の出来事を思い出し、今日の予定を思い浮かべ、明日への連なりを感じる――すべては目覚めによって回復した時間感覚がもたらす。言い換えれば、「明日」とは、眠りを経た後にしか生まれない「新しい現在」なのだ。

こう考えると、「夜の零時に明日を感じられない」という違和感は、むしろ人間の根源的な時間体験を示している。暦や時計は社会がつくりあげた人工的な仕組みであり、私たちの心はそれとは別のリズムで「明日」を迎えている。

眠りは、ただ身体を休めるためだけにあるのではない。
それは時間をいったん失い、再び取り戻すための装置でもある。時間の外に身を置き、そして時間の中に帰還する。その繰り返しの中で、私たちは「今日」と「明日」を分け、人生という連続を実感しているのだ。

もし眠りがなかったら、人は時間の流れを「今日」と「明日」に区切ることができないかもしれない。夜の零時も、昼の正午も、ただただ連続する「現在」として過ぎていくだろう。眠りこそが、時間に区切りを与え、明日を新しいものとして体験させてくれる。

つまり――
明日は時計ではなく、眠りと目覚めの中で生まれる。