淡々のちから
朝の空気は、昨日とも明日とも違う匂いがする。
けれど私は、ほぼ同じ時間に目を覚まし、ほぼ同じ手順で一日を始める。
歯磨き、白湯、ノートに今日の三つのやることを書き出す――。
これらは、誰に褒められるでもなく、劇的な成果をもたらすわけでもない。
それでも続ける。
かつては「やる気」を探してばかりいた。
波のように寄せては返す感情に、いちいち心を揺らされていた。
気分が乗らないときは何もしない、
乗ったときには一気にやりすぎて疲れ果てる。
そんな日々が続くと、人生は気まぐれな天気に支配されているようだった。
ある朝、ふと思った。
“天気を変えることはできないけれど、歩く道は自分で選べる”と。
ならば、晴れの日も雨の日も、同じ足取りで進めばいい。
感情を否定せず、ただ横に置く。
小さく、ただ一歩。
タスクは、頭の中ではなく紙の上に出す。
優先順位は三つまで。
たったそれだけの仕組みが、私を毎日動かしてくれる。
結果よりも「取りかかった」という事実だけを自分に贈る。
今日も一つの点を打てた――それで十分だ。
淡々と続ける日々は、退屈ではない。
むしろ、静かで深い音楽のようだ。
繰り返されるリズムの中に、季節や自分の小さな変化が微かに響く。
昨日と同じ手順で淹れた珈琲が、ほんの少し違う味を教えてくれる。
やる気を待つのではなく、淡々の足場に身を置く。
その足場は、いつか私を遠くまで運んでくれるだろう。
感情の波をただ眺めながら、今日もまた一歩。
淡々こそ、私の確かなちからだ。