内と外のあいだで
朝、カーテンを開けると、いつもの町がいつものようにそこにある。
けれど、昨日と同じ町なのに、今日の私には少し違って見える。
空の青が澄み渡っているのか、それとも私の心が澄んでいるのか。
どちらが先か、もうわからない。
世界は外側から押し寄せてくるもの――そう教えられてきた。
しかし、よくよく見れば、私が「見る」という行為なしには
その世界は形を持たない。
窓の外の景色も、言葉にする瞬間、
私の心を通った像として初めて立ち上がる。
怒りに満ちて歩けば、街路樹さえ棘を持つように感じる。
感謝の気持ちで歩けば、排気ガスさえ陽だまりに見える。
同じ道なのに、世界は毎回、生まれ変わる。
それは外の変化ではなく、内の変化だ。
だから環境とは、外にあるようで、
実のところ私の内面が投影した世界なのかもしれない。
私の目を通り、心を通り、
映し出された“内なる外界”こそが、今、私の前にある景色だ。
外を変えたいとき、
まずは内側をそっと撫でるように見つめてみる。
心が穏やかになった瞬間、
街灯が少し優しく光るのを、私は何度も見てきた。
内は外を映し、外は内を映す。
そのあいだに立つ自分こそ、世界を描く鏡。
今日の空が何色に見えるかは、
私という“内”の物語が決めている。