悠々日和キャンピングカーの旅:⑭西日本の旅(山陰(後編))
■11/12(旅の11日目):島根県松江市 ⇒ 島根県出雲市(道の駅「大社ご縁広場」)
【この日の旅のあらまし】 道の駅「秋鹿なぎさ公園」から松江城へ、宍道湖の絶景が撮れるスポットに立ち寄り、玉造(たまつくり)温泉を見て回った後は、道の駅「湯の川」で昼食を取り、そこの足湯を楽しんだ。スーパーで鍋料理の食材を購入してから、車中泊予定の道の駅「大社ご縁広場」に到着。そこの足湯にも浸かりながら、北海道からの旅人との会話を楽しんだ。【走行距離:58km】
【忘れられない出来事】 黒塗りの風格のある国宝松江城の天守の姿に、思わずひれ伏してしまいそうになるほどの凛とした佇まい。天守の最上階からの眺望は、松江の城下町越に宍道湖が広がっていた。
【旅の内容】 昨夜も熟睡だった。
この旅に出てからの就寝時刻は、日常生活を送っている日々とあまり変わらない。その一方、起床するのは普段よりずっと早い。旅に出てからは、普段より多めのエネルギーを使っているはずだが、じゃあ、その分、食べているかと言えば、そうでもないような気がする。だから、深い睡眠が体力を回復させているのだろう。
バンクベッドから降りてからパジャマから着替えて、トイレに行ったついでに、道の駅の横の宍道湖の湖畔に下りた。湖面は手前の深い緑色から次第に灰色に変わり、対岸は白っぽく霞んでいた。湖面から吹いてくる強い風に煽られ、足元には、少し高めの波が間断なく打ち寄せていた。
気持ちの良い朝の正反対のような朝で、多少なりとも荒んだ気持ちにさせられた風景から逃げるように「ジル」に戻り、直ぐに湯を沸かして、ドリップコーヒーを淹れた。その香りと味で、気分が少し通常レベルに戻った気がした。
今日の最初の目的地は「松江城」だが、早く行っても開いていないので、期せず、ゆっくりと過ごせる朝の時間になった。
先ずは、先ほど湖畔にいた頃から感じていた空腹をなんとかしようと、卵焼きとハム、そしてとろけるチーズを挟んだ定番のホットサンドを作り、2杯目はインスタントコーヒーになったが、テレビでNHKニュースを見ながらゆっくりと食べた。
それから、ロードマップを開き、昨夜、おおよそ考えた「松江城の後は宍道湖の南側を走り、出雲大社(いずもおおやしろ)を参拝」の計画をマップで追ってみたところ、余裕があり過ぎる行程だと分かった。多分、出雲大社から日本海沿いに下って、どこかで車中泊になるのではないかと思った。
このいい加減なラフさが、「キャンピングカーの旅」の醍醐味なのだろう。
昨夜、この道の駅まで走って来たR431は、単線の一畑電車、通称「ばたでん」の北松江線に並走している。今から松江城に向かう際は、電車と並走するのか、すれ違うのか、と思っていると、踏切の音が聞こえてきた。
デジカメを持って、駐車場から国道に出て、電車の写真を撮ったが、まあまあの出来だった。かつては、オート機能のないカメラで、シャッター速度と絞りを、被写界深度も考慮しながら合わせて、SLの写真を撮っていたのだが、今はすっかり、電車などの動くものの写真撮影の腕は落ちてしまったようだ。
お世話になった道の駅を後にして、R431で松江に向かっている途中、電車と並走するチャンスがあった。そのことで、北松江線の「松江しんじ湖温泉駅」に行ってみることにした。そこは終着駅だ。
頭に浮かんだのは、北九州のJR門司港駅の雰囲気で、そこまでは大きくはないだろうが、似たような雰囲気を味わうことができるのかもしれない。
R431から「ちどり湯」の横の道を走り、駅をぐるりと回って、駅前の駐車場に「ジル」を停めた。ガラス張りのモダンな駅舎に入ると、駅舎内からは頭端式ホーム2面2線のこじんまりした終着駅らしい景色を見ることができた。
この駅は「北松江駅」として開業したが、その近くで温泉が湧出したため1970年に「松江温泉駅」に改称、この駅周辺の温泉街が「松江しんじ湖温泉」と命名されたのに伴い、「松江しんじ湖温泉駅」に再び改称したという面白い歴史があることを知った。
「ジル」に戻ったところ、宅配便のトラックが「ジル」の進行方向を塞いでいたので、少し待っていた。ドライバーが戻ってきて、私に気付き、頭を下げたので、にこやかに「遊んでいる人より仕事をしている人を優先」と応え、トラックが出て行ってから、「ジル」で松江城に向かった。
松江城の周囲を巡るお堀(堀川)の南東の角の外側の駐車場に入ることにした。
駐車券を発券するボックスの上まで、駐車場の事務所の庇が出ていたので、それに接触しないように、ボックスから少し離れてからブレーキを踏み、窓を開けて、手を伸ばすも駐車券がギリギリ取れなかった。その様子を見ていた高齢の係の人が取ってくれて、大型車でカウントされているよと教えてくれたが、普通車も大型車も料金は同額とのことで問題なしだ。そして、駐車する場所を詳しく指示してくれた。そこでないと、他のクルマが入れないとのことだった。サンクス。
入口の横の「国宝 松江城天守」の碑の所で、それだけを撮ろうとしていた高齢の女性がいたので、こちら側から撮るならば後方に松江城が入りますよとアドバイスさせてもらった。松江城には初めて来たのだが、この1分前にそのアングルで撮ったので、アドバイスできた。
「大手門跡」から二の丸上ノ段の明治天皇向けの迎賓館だった「興雲閣(こううんかく)」を訪れ、「松江神社」で旅の安全を祈願し、天守に向かった。
「南多聞櫓(みなみたもんやぐら)」の「一の門」を潜ると見えたのは国宝の天守、若干の古さは否めないが、黒塗りの風格のある姿に、思わずひれ伏してしまいそうになるほどの凛とした佇まいだった。
ずっしりとした歴史が漂う天守の中に入り、幾つかの急な階段を登りきった「天狗の間」と呼ばれる天守最上階に立つと、強い風が吹き込んでいた。眼下には松江の城下町が広がり、松江しんじ湖温泉あたりも見えた。その先に、白波の立つ宍道湖が見え、そこに浮かぶ唯一の島「嫁ヶ島」の姿もはっきりと見えた。ただただ、曇っていることだけが残念だった。
「天狗の間」からは、ゆっくりと歴史を味わいながら下りることにした。
途中で、天守を支える2本の大柱を触り、時代を経てきた長い時間を感じ取ろうとしたが、それができる能力は持っていないことが分かった。
二つの井戸を見た。これまでに訪れた天守の中にも井戸があったのかもしれないが、記憶にないため、初めて、天守の中の井戸という存在を意識した。多分、実戦や籠城を考慮した結果なのだろう。
松江城の運命と希少さを整理してみた。
大政奉還と王政復古の大号令の後、明治政府が誕生してから廃藩置県政策で廃城令が公布され、天守を除く建造物は払い下げられ全て撤去されたが、天守も売却されるはずだったが、豪農や元藩士が同額の金を国に納める形で買い戻されたという。その結果、山陰地方で唯一の現存天守で、全国には12城しか残っていないひとつとなり、その中でも、国宝に指定された5城のうちのひとつでもある。残りの4つは姫路城、松本城、彦根城、犬山城だ。