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静岡のとみちゃん
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悠々日和キャンピングカーの旅:⑭西日本の旅(山陰(後編))

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 それほど大きくもない江島の北部は工業団地だが、その通勤や輸送のクルマを対象にGS商売を始めたものの、その台数は限られ、そのため、弓ヶ浜半島内のGSより安価にして、客を呼び寄せることにしたのかもしれない。それに加え、「ベタ踏み坂」で燃料を消費してしまうという心境が補給に結びついているのかもしれない。
 そんな分析結果にひとり笑いながら、もう一度、江島大橋を渡り切り、弓ヶ浜半島の西側の中海沿いの県道を南下し、米子の町を通過して、道の駅「あらエッサ(島根県安来市)」に向かうことにした。

 県道を走っていると中海から離れていったので、ナビで確認すると、この先には空港があることを知った。その時、低空で飛ぶ自衛隊の飛行機が落下傘で何かを落としたので、「ジル」を路肩に停めて、その落下傘の写真を撮った。
 この後の道の駅での昼食後、この空港について調べたところ、弓ヶ浜半島の中心部に位置し、中海側に少し突き出た東西の滑走路を持つ空港で、防衛省が管理する「航空自衛隊美保(みほ)基地」だった。民間航空機がこの滑走路を利用する共用飛行場で、通称は「米子空港」、愛称は「米子鬼太郎空港」とのこと。そのため県道は、空港を避けるように中海から離れて迂回し、JR境線も空港を迂回していた。そこには米子空港駅が設けられていて、その愛称は「べとべとさん駅」で、妖怪の名前から付けられたという。
 そのため、民間の飛行場では見たことのないような自衛隊機からの落下傘で荷物を下ろすことができたのだと勝手に納得した。飛行機が着陸して荷物を降ろすより、落下傘で届ける方がかなり安価な運送費なのだろう。

 米子市街で県道からR9に入り、鳥取県から島根県に越境して、やがて道の駅「あらエッサ」に到着。そこは中海の最も南側の奥まった場所になる。
 駅舎内のショップを見て回ると、山陰沖で捕れた魚介類が多く並んでいて、レストランのメニューには安来名物のドジョウ鍋があった。ちょっと高価だったので、昼食は「ジル」の中で、卵、なめ茸、ウィンナーを挟んだホットサンドをコーヒーと牛乳を飲みながら食べた。今朝の朝食の朝ラーと昼食のホットサンドは、いつもとは逆のパターンなっていた。

 道の駅の情報コーナーで入手した「和鋼博物館」のパンフレットを見ていると、「たたら」と書かれていたことから、学生の頃にバイクで日本一周した際に立ち寄ったことを思い出した。
 パンフレットに書かれた住所をナビに入力して、たどり着いた先は、私の知っている外観の建物ではなく、大きくて美しく、立派な博物館だった。
 その受付で、以前に訪れた時のことを説明して、そことここの違いを伺ったところ、以前は、日立製作所安来工場の「和鋼記念館」だったが、今は安来市が経営する「和鋼博物館」になり、場所も変わったとのこと。以前とは比較にならないほどの豪華な「和鋼博物館」内の豊富な展示物と情報にかなりの時間を費やす見学になった。
 ちなみに、「たたら」とは、砂鉄などから製鉄するひとつの方法で、炉に空気を送り込むのに使われる鞴(ふいご)が「たたら」と呼ばれていたために付けられた名称だ。砂鉄や鉄鉱石を粘土製の炉で木炭を用いて比較的低温で還元し、純度の高い鉄を製鉄することができたという。「たたら」は漢字で「鑪」と書く。

 「博物館」の入口近くの屋外に展示された「たたら製鉄」の産物の鉧(けら:鉄塊)を見てから「ジル」に戻り、今からどうしようかと思いながらロードマップを見ていた。
 「和鋼博物館」の西側や北側の中海側は工場群が広がり、それは日本の大手特殊鋼メーカーの(株)プロテリアルの工場で、旧日立金属の工場群だった。そのどこかに、以前の「和鋼記念館」が建っていたと思うが、さっぱり思い出せなかった。
 当時、バイクでR9を走っていた際に見掛けた看板に引き寄せられて入館したような気がする。その建物の外観についてはもう記憶していないため、ネットで検索するも、ヒットしなかった。旅が終わってから、このバイクで日本一周した際に撮った写真のアルバムを探して、「和鋼記念館」の建物や内部の写真を探すことにした。
 日本一周の際に「和鋼記念館」の館長との会話で面白い話を聞いた。
 それは彼の持論で、日本の金属の歴史は青銅から始まったことになっているが、この地方では、砂鉄が分布していたことから、何かの偶然で、銑鉄ができたのではないかと。そのことから、日本の金属の歴史は鉄から始まり、次に青銅になったのでは、と。

 そういえば、大学の教授から聞いた話も思い出した。
 「鉄」の旧字体は「鐵」で、新字体の「鉄」は使うべきでないという逸話だ。古くは、「てつ」は金属の中の王だという意味で「鐵」の字体だったが、それを「鉄」に変えたことで、「お金を失う」ことに落ちぶれたという。現実はそのとおりで、日本の製鉄業は不況になってしまったではないか、と。

 思い出話は切り上げて、今からの行き先の話に戻そう。
 午後4時の今からの松江観光は余裕がない上に、それが終わってからの今日のゴールの宍道湖の湖畔の道の駅「秋鹿(あいか)なぎさ公園(島根県松江市)」の到着時間を考えると無理があり、観光は明日に回した。その代わりに、どこかの温泉に浸かりたいと考えながら、R9を西に走り、宍道湖までたどり付いた。

 ちょうどその時、宍道湖に沈む夕日の写真が撮れそうな時間帯だったので、期待しながら、湖畔まで行ったが、西の空には雲が広がり、そのチャンスはなかった。
 そこにいた女性に、日帰り温泉について訊いたところ、彼女は地元の方で、「ちどり湯」を教えてくれた。その詳細な場所がいまいち分からなかったので、近くのコンビニで教えてもらい、「ジル」で向かった。
 ところが、「ちどり湯」の駐車場は立体駐車場で、高さ制限が2.1mのため「ジル」は入れない。周囲の駐車場を「ジル」で走りながら探したところ、湖畔のR431に、無料の縦列駐車場があり、そこに「ジル」を停めることができた。
 松江しんじ湖温泉「ちどり湯」は松江市内で唯一の公衆浴場で、ボディーソープもシャンプーも備え付けはなかったため、それらを購入してから、ゆっくりと温泉に浸かった。
 温泉を出ると外はもう真っ暗。湖上越しに見える松江の夜景の写真を撮ってから、道の駅に向かった。宍道湖の湖畔のR431はわずかに狭く、夜間の運転に注意しながら走った。

 道の駅「秋鹿なぎさ公園」に到着した時は駅舎のショップの営業時間は終わっていた。
 ここの駐車場は、北側にはR431と一畑(いちはた)電車北松江線が走っていて、南側は宍道湖に面しており、比較的静かなのは南側になるため、そちら側に「ジル」を駐車した。
 先ずは、湯を沸かしてドリップコーヒーを淹れて、ダイネットでリラックスタイムに入った。
 温泉で温まった体は何事に対しても面倒な気分になっていたが、リラックスしていても夕食は出てこない。これが「ひとり旅」の寂しい部分だが、気を取り戻し、何を作ろうかと冷蔵庫の中を見た結果、鹿肉を炒め、それを食パンで挟んで、味噌汁を飲みながらの妙な夕食になってしまった。
 それでも、味もボリュームにも満足しながらも、松江名物は何かと思い巡らした。