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骨のナイフ

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 人魚姫は、誰もいない甲板に立ち、手の中の短剣を見つめました。白い大魚(たいぎょ)の骨を削り、サンゴ球の飾りをつけた柄。その剣の刃は、月光を受け水面のように時折強く輝きます。これはついさっき、海面から顔を出した姉の人魚が渡してくれたものでした。
「これで、王子を殺しなさい」
 船上で響く婚礼の音楽に声を隠すように、姉は囁きました。
「あなたはあの人間と結婚できなかった。誓いが破られた以上、魔女の魔法はあなたに牙をむくでしょう。泡になりたくなければ、王子を殺すのです」
 静かに首を振る人魚姫に、姉はいらだって声を荒げます。
「あなたは、王子を買いかぶっているわ。良心だけの人間なんていないというのに」
(でも、王子様は本当にやさしいわ。しゃべれない私の事も気づかってくれて……)
「お願いよ! 私はかわいい妹を失いたくはない!」
 近付いてくる小さな護衛船に気がつき、姉が海へ姿を消したあと、人魚姫は剣を受け取った姿勢のまま今まで動くことが出来ませんでした。まるで海の底に埋もれた遺跡の像になってしまったように。
 泡になって消えるのは、とても怖い事でした。けれど、愛する王子様を殺すことは、どうしてもできるとは思えませんでした。本当ならば王子様と結婚できれば一番いいのですが、それももう遅いことでした。

「王子様!」
 舳先の方で、興奮した声が聞こえ、人魚姫は我に帰りました。
「どうしたんだ? 騒々しい」
 王子と花嫁が船室から出てくる気配がします。人魚姫も魔法でつけた痛む足を使って騒ぎの方へ急ぎました。
 船の上に、何か黒い物が引き上げられていました。それは、大きな魚のようでした。絡まった網の中、艶のあるウロコに覆われた尾が甲板を打ち付けています。しなやかな手が網を破こうとむなしく空をかき回しています。そして、耳をつんざくほどの悲鳴。
『姉さん!』
 それは、さっき別れたばかりのお姉さんでした。きっと、人魚姫を心配するあまり、張られた網に気づかなかったのです。
 音のない声で悲鳴をあげた人魚姫ですが、すぐに落ち着きました。だって、優しい王子様のことです。すぐに逃がしてくれるに違いありませんから。
「これは……」
 王子様はびっくりしたようすで網の中を覗きこんでいます。
「やはり、逃がされますか、王子様」
作品名:骨のナイフ 作家名:三塚 章