Crumb
妙なトラブル。おれは仕事でも遊びでも、そういうのを引き寄せて周りに驚かれることが多い。例えば、会社の経営を揺るがすレベルの揉め事が発生したときに、たまたま初報の電話に出てしまったり。あるいは、車で遊びに出かけた先で落石を避けたら、反対側に散っていた釘を踏んで結局タイヤがパンクしたり。今年で三十六歳になるが、相当運が悪くないと出くわさないレベルのイベントを、色々と経験してきた。会社のトラブルにしても、周りからは『田中さん、なんでそんな電話取っちゃったの?』と言われたが、着信音は内容に関わらず同じなんだから、それがトラブルかどうかなんて、おれに分かるわけがない。落石だって、釘が落ちているかどうかなんて運転席からじゃ全く見えないし、釘が落ちているかもと予測して、見えている落石の方に突っ込んでいくのはそもそも変だ。
自分の身に起きることは、ちゃんと理論的に捌いているつもりだ。そして、その理由もよく分かっている。
それは、呪いだ。
おれは、物事が上手くいかないよう呪いをかけられている。ずっと重いリュックサックを背負っているような感覚だが、それに耐えられるぐらいに足腰の方が強くなった。つまり、呪いに対する耐性ができて、何とか普通の人生を送れるぐらいには強くなったのだ。結婚したのは十年前で、式場は同姓同名の人間と予約がごちゃ混ぜになり、それも大変だった。妻の希実は、付き合い始めほど面白がらなくなったが、おれの『呪い』を受け入れてくれている。おれが愚痴ると『もう、またですか』といった感じで呆れた顔をするのだが、そのハの字に美しく曲がった眉を見ていると、呪われていて良かったと思えるときすらある。
受け入れてもらえているのは多分、おれが子供のことになると強運を発揮するからだろう。実際、娘の美里は、おれの仕事上の知り合いに理事がいたことで、倍率の高い私立へ滑り込ませることができた。小学三年生になるが、成績は優秀だ。おれと希実の収入を合わせると結構な額になるし、傍から見ると、呪いってなんですか? と言いたくなるかもしれない。
でもおれは、間違いなく呪われている。
ずっと体の片側が痛いし、どんな呼吸器内科に通っても原因が特定できない謎の咳が出るし、鼻の奥ではずっと、魚用のコンロをつけっぱなしにしたような、焦げ臭い匂いがしている。だから、呪われているのは間違いない。
今日は同窓会で、顔を合わせるほとんどは成人式以来だ。野沢と南野は両方来るから、おれを含めた三人組が揃うことになる。二人は結婚式に招待したから、十年前に式場で会っている。おれの『呪い』について知っている数少ない人間で、二次会のときにもその話になった。
おれの呪いは、町内会のイベントがきっかけだ。昔ながらの出し物を結構大規模にやる風習があって、屋台だけでなくテントで作られたお化け屋敷もあった。夏になると、封鎖された大きな道路を校庭のように自由に歩き回り、夜の八時までに帰ることだけ約束して、遊びまくっていた。
気の合う友人同士で遊び回るのは楽しかったのだが、本当は、連れて行きたかった人間がもうひとりいた。弟の明宏だ。三歳年下だが、野沢と南野は本当に可愛がってくれて、家に遊びに来たときは必ず明宏を同じ部屋に呼んで、学校で起きたことを面白おかしくアレンジして、話した。
明宏は病弱で、あまり外に出られない体質だった。大人になってから振り返ると、それで良かったのかもしれない。こうやって町を歩いていると、ありとあらゆるものが危険信号を放っているように見える。例えば、交差点の歩行者用信号が青でも、停止線でぴったりと停まる車たちが野犬の唸り声のようなエンジン音を響かせているのを見ると、一台ぐらいが気まぐれで突っ込んでくるのではないかと心配になるし、駅の改札を通り抜けるときも、偶然ひとつのレーンに二人の人間がカチ合って、それでケンカになったりするかもしれない。滅多に立ち寄らない大きな駅で電車から降りると、おれは居酒屋の場所を探した。甲高い声で話す高校生数人を避け、午後六時なのにすでに仕上がっているサラリーマンに道を空けて、タクシーからビル風までありとあらゆる事象が目的地へ近づくのを阻んでくる中、集合時間の十分前に到着した。
名目は、担任だった白戸先生の定年退職。幹事役はクラスのムードメーカーだった金井さんで、店の前にいた。八重歯を見せてにっとはにかむ笑顔は相変わらずだったが、おれが名簿に名前を書くまでニコニコしていたから、おそらく金井さんは、おれが誰か一発では分からなかったのだろう。
「田中くん、久しぶり。名札つけといてね」
おれは名札をポロシャツの胸ポケットに挟むと、金井さんに会釈してやり過ごした。座敷は半分ぐらいが埋まっていて、おれが野沢に手を挙げたとき、たまたま通りかかった店員さんの持つお盆に肘が当たって、店員さんは崩れかけた皿を手品師のように押さえ込むと、頭を下げた。
「すみません」
「いや、こちらこそ。大丈夫ですか?」
野沢が笑っているのが、視界の隅でも分かる。昔からおっちょこちょいだと言われてきたが、呪われてからはその域を超えるようになった。おれは私立に進学したから、野沢と南野には中学校以降の話をしていない。成人式のときも、大学生活の話しかしなかった。十三歳から十九歳までの間に起きたことはすっぽり抜けて、突然二十歳の若者が顔を合わせたような、不思議な感覚だった。今も大して変わらない、二十一歳から三十五歳が空白で、野沢は独身、南野は二児の父だということしか分からない。
野沢の向かいに腰を下ろすと、おれはようやく深呼吸の後みたいに息を吐き出した。野沢は、まだ皿と箸しか用意されていない手元を見下ろすと、顔を上げて言った。
「田中、久しぶりだな。どうしてた?」
「一回、転職した。結婚して、子供がひとりいる」
おれが言うと、野沢は目を伏せて笑った。この仕草は、昔から変わらない。
「じゃあ、話題には困らねーな。おれは転職活動中だ」
相槌を打とうとしたとき、隣に南野が座って、おれの肩をつついた。
「たなちゅう、久々だな」
懐かしいあだ名。南野は昔から世話役を頼まれやすいタイプで、今回も金井さんに代わって名札を人数分用意したらしい。
「寝てるか? 目のクマすげーぞ」
南野が苦笑いを浮かべながら言い、野沢が派手に笑ったところで、髪が真っ白になった白戸先生が登場して乾杯の挨拶が始まった。料理が次々運ばれてきて、気づくと結局、学校時代の昼休みと同じように、おれと野沢と南野の三人で囲み合うようにして話し込んでいた。おれは脇腹をさすりながら言った。
「夜になると体の半分が痛くなってさ、眠れないんだよ」
「こむら返りみたいな感じか?」
南野が言い、野沢が日本酒を手酌で注いだ。おれは首を傾げた。
「分からん、引っ張られてる感じだ」
「じゃあ、引っ張られてんじゃねえの」
野沢が言い、南野が細長い枝豆から豆をひとつずつ取り出しながら笑うと、言った。
「野沢、あの祭りってまだやってんのか?」
唯一地元に残った野沢は、首を横に振った。