誰もいない中心へ——詩と哲学でたどる孤独の本質
大人になるにつれ、私たちは「抑えること」「我慢すること」「自分をつくること」を学ぶ。
そのたびに、エネルギーの通り道は少しずつ狭くなっていく。
子どもは言う。
「もっと遊びたい」
「なんでダメなの?」
その問いの裏には、生の本能が正直に叫ぶ声がある。
〈仏教的観点〉
仏教では「煩悩を滅し、無我に至る」とされるが、
子どもはまだ“我”を確立していない。
だからこそ、無邪気さ=無我の美しさを自然に体現する。
欲に溺れるのではなく、
欲の前にある「衝動」そのものが、彼らを動かしている。
終わりに
子どもはエネルギーに溢れているのではない。
子どもこそが、エネルギーというかたちそのものなのだ。
私たちは忘れたその力を、
もう一度「思い出す」ことはできるだろうか。
それは、子どものようになることではない。
子どものように、今を全力で燃やす勇気を持つことだ。
作品名:誰もいない中心へ——詩と哲学でたどる孤独の本質 作家名:タカーシャ