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桐生甘太郎
桐生甘太郎
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サヨナラ俺たち

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2話 真夜中のFコード



せせこましい安居酒屋を埋める煤けた空気。亭主はその時黙々と焼うどんをフライパンで焼いていた。俺はドラムの長治に呼ばれてベースを始めた。俺の名前は中島功。俺たちは高校の野球部の仲間で、長治と徹は小学校からの付き合い、俺は高校で初めてあいつらに出会った。

その日徹とカウンターに座って酒を飲んでいたけど、徹は愚痴ばかりだった。だから俺は、愚痴が途切れてすぐに徹の方を向く。

「おめえよ。そんなんじゃダメだ。おめえはそれでいいつもりで愚痴言ってんのかもしんねえ。でもそんじゃなんも始まんねえし、なんもなれねえ。俺たちゃまだ始まってもねえ。おめえもだ。おめえはやる前に愚痴を言う。こんな変なことねえだろ」

せっかくギターを始めた徹が、一か月経っても弾けない弾けない無理だ無理だとこぼすのを見て、奴がまた野球と同じことになると思ったんだ。そんなのは嫌だ。俺だってベースは弾けない。名乗りを上げていながら、簡単なコードさえすぐには押さえられない。でも今の徹にはそんなことは言えなかった。




俺の名前は根本徹。あの日ボークをしたピッチャーだった。でも俺の人生は何もそれだけじゃないと、俺だってわかってた。わかってるつもりだったのに、俺は失敗ばかりを見る癖が抜けてなかったらしい。そのことに気づいたのは、長治の勧めでやっとベースを買って熱心に練習しているという、中島だった。中島は野球部のキャプテンで、キャッチャーだった。あの日も試合の後にすぐに俺のところへ駆けつけ、ただ黙って肩を叩いた。ああほら、俺は失敗ばかり見ている。もう二十歳なのに。

でも、そんなんじゃダメだ。俺は部屋の隅に立てかけたギターを抱えなおし、夜通しでも練習するつもりで始めた。


弱気な俺は今までのおさらいから始めることにして、コードの練習をA、C、Emと簡単なものから進めていった。少しずつ安心していくけど、奴が現れる。

Fのコード。それは左手で弦の一部と全体を押さえるコードだ。

親指と手のひらでネックの裏を支え、人差し指で一番上のすべての弦を押さえて音を低くしたら、そこから一つ下を中指、その一つ下を薬指と小指で押さえ、音色を作る。つまり、音を低くしてからさらに音色をつけるんだ。

「よくこんなの考えたなあ」と思ったけど、考えつくからには初めに作った人は弾けたのだ。

それなら俺にもできないわけはない。かもしれない。

俺は元々ない自信を少し作って、できてないかもしれないけどとにかく練習に取り掛かった。もちろん初めはそんな複雑で指の柔らかさが要るコードは押さえられない。

何回か指を曲げ伸ばししたり、怒りに任せて「ええい!この!」なんて言いながら振り回してみていると、少しずつできたような気がした。

かなり力が要るものだと思っていたのに、途中からなぜかそんなことがなくなってきた。それで俺は勢いに乗って何度も押さえなおす。ところが、薬指と小指を急に同時には動かせない。人差し指で弦を押さえ切るので精一杯だ。

「ちくしょう…待ってろFちゃん…」

できない。できない。少し速くなった。少しずつ音もFらしくなった。でもまだだ。たまに押さえ切れてない。もう少しのはず。


「できた!三回!」


俺は、「Fを何回か押さえなおして、連続三回きちんとFの音が鳴ったら成功にしよう」と決めていた。それがついにできた。俺は飛び上がるようにして机の上にある電話に飛びつき、中島の番号を押す。遅かろうと構わないさ!中島は喜んでくれる!

プルルルル、プルルルル、と何度も呼び出し音が聴こえている時、俺は中島が大喜びで叫んでくれるのを期待していた。でも、通話が始まった中島はまず「うるせえ!」と言ったのだ。俺は思わず受話器を耳から離した。とにかくと「根本だよ」と俺は喋り始めたが、中島は「だからうるっせえよ!うち黒電話だっつってんだろ!」とまた叫んだのである。

「ご、ごめん…ほんとにごめんな中島…」

電話口からあからさまな溜息が聴こえてきて、「それで、なに」と聴こえる。俺はかつてのキャプテンに怒鳴られた気持ちですっかり萎縮してしまい、Fなんてそんなに大したことないのかもと思いながら、「F、押さえれた。三回連続」と控えめに言った。

直後スッと息を吸う音がしたかと思うと、「マジで!?」の連発が起きた。五回くらいだったと思う。俺はすっかり押されて「うん、うん」と返していたが、中島は寝起きだったんだろうに大興奮になり、「すげえ!すげえ!できたか!そうか!」と一頻り叫んでから落ち着いてくれた。

「う、うん…ありがと…もっと難しいコードもあるけど…」

“いやいや、それにしたってそこ最初の難関なんだろ?俺にはベースの難関まだだしさ。すげえよ”

「うん!」

“ああ~よかった。あ、用はそれだけか?”

「あ、うん…報告…」

俺は自分の頬が熱くなっていたのがわかっていた。あまり褒められ慣れてはいない。

“そっか。よかったな。じゃ、俺明日はええから。おやすみ”

「あ、うん、おやすみ」

ひとまず喜びの溜息を吐いてから、俺は長治に電話しようかどうしようか迷った。長治は仲間内で一番付き合いが古くて仲がいいとはいえ、中島にだって初めは怒鳴られたからだ。

“でもまあ…一応…”

頭の中でそう考えているのを言い訳に、俺は心の底では仲間に対して自分を誇ってやりたい野心もあった。

プルルルル、プルルルル、プルルルルと三回呼び出し音が鳴ると、なんとすぐに長治が出る。俺たちは全員一人暮らしだったから、出るのは長治だ。

“はい、もしもし”

電話の向こうでやけに怯えてはっきりとした長治の声が聴こえた。不安になった俺は、「俺だ。徹だよ。どうしたの?」と聞く。

するとやはり中島の時と同じく大きく長い溜息が聴こえてから、俺は少し叱られた。

「勘弁してくれよ…夜中だから誰かになんかあったと思うじゃねえか…あ、本当に何かあったのか!?」

食いついてきた長治に俺は事のあらましを説明すると、「なんだよおめえ…はーよかった…で、まあ本当によかったな。なんかお前悩んでたみたいだったし」と言われた。

「う、うん、そうだね…これからも悩むとは思うけど、とりあえず一つ越えたかな!」

“はいはいおやすみ”

「おやすみーごめんね深夜に」

“まったくだ。これでなきゃ次に会ったときにひっぱたくぜ”

「あはは!」



俺は電話を終えて改めてギターを抱えなおし、もう一度Fのコードを押さえた。そして時計を見る。今日はバイトの日だ。勤務時間は休憩なしの8時間。それからギターに目を戻した。

ギターは何も言わないけど、「やれやれ、コードだけじゃなくて早く演奏してくれないかな」と言っている気がする。

俺はTAB譜をめくって曲の演奏を練習し始めた。



つづく
作品名:サヨナラ俺たち 作家名:桐生甘太郎