2000年1月1日
1999年12月31日PM11時35分。
市井で蕎麦屋が駆けずり回る中、東京ファンタジーランドはカウントダウンに向けて最高潮の盛り上がりを見せていた。
隣接するファンタジーランドホテルでは、ホテルマン達が束の間の休息をとっている。
新人ベルボーイは、やっと馴染んできたユニフォームの形を整えながら、時折聞こえてくる花火の音や喧噪に思いをはせていた。
ベルボーイの恋人はミッキーだった。
正確にいえば、ファンタジーランドのマスコットキャラクター『ミッキー』の着ぐるみの中に入っている人物、である。劇団員の彼は当初一日に何回か行なわれるパレードで白タイツで踊っていたが、ある日助っ人として着ぐるみに入って以来、すっかりその虜となった。
「単なるかぶりものを生きているかのごとく表現するんだぜ! しかし中に入っている俺を感じさせちゃダメなんだよ。子供は正直だぜ、頼りない奴にはシッポ踏んだりどついたりするのに、上手い奴にはなつくもんなあーっ」
以来、その美貌を惜しまれつつも着ぐるみ専門となり、ついにミッキーに入ることを許されたのである。
「年末は俺に決まったぞ!」
夕食までととのえて健気に待っていたベルボーイに、彼は開口一番そう叫ぶと一人で騒ぎながらバスルームへ直行してしまった。しばらくすると水音と共に『イッツ・ア・グレートワールド』の鼻歌が聞こえてくる。
少し悲しくなっているベルボーイを他所に、彼はカウントダウン直後新年一番のパレードでミッキーに入ることが決まった、と嬉々としてしゃべりながら当然のように飯をわしわしと食った。
こんな時ベルボーイは一体なんでこいつとデキてるんだろう、と真剣に悩むのだが、彼の口一杯に飯をほおばっていても男前な容貌を見ていると、つい先送りにしてしまう。
新人ホテルマンとして超が三つぐらいつく忙しさの中のささやかな休日を、こうして彼を待ちわびてふいにしてしまう事についてどう思ってるのか、一度聞いてみたいものだと思う。
「あ、おかわり!」
それでも、突き出されたどんぶりを素直に受け取ってしまうベルボーイだった。
大きな鏡の前で、彼がポーズをとっている。
ピンと伸ばした両手を天高く突き上げ、こころもち首を傾け、片足をナナメに蹴り出したミッキーの「キメ」ポーズである。
就寝前の軽いトレーニングだといいつつ、もう一時間も鏡に向かっていた。
別に、早く布団に入ってほしいとか布団の中でトレーニングすりゃいいじゃんとか言う訳ではないが、なんとなく反対側に寝返りをうってしまうぐらいには、面白くなかった。
こうしてまた今日も終わるのだ。
人生を浪費している様な気になって、次の瞬間その考えに思わず首を振った。そんな事を思えるほど自分の人生は価値ある物でもないし、彼に罪がある訳でもないのに。
でもでも、だからといっていいのか。こんなんでいいのか。大体俺達どうやってこういう関係になったんだ……
気がついたら朝で、となりでは彼が太平楽に眠っていた。
花火の音が間断なく続き、波のような歓声がホテルまでとどく。はっとして時計を見ると針が一本に重なっていた。新年を迎えたのだ。
ホテルマン達の間から新年の挨拶が流れ出す。ベルボーイもそれに応じ、時折通る客に声をかけながら、気を引き締めた。
もうすぐするとファンタジーランドから返って来た客でロビーは戦場になる。気分は高揚しているが疲れてもいる家族連れやカップル達だ。こういうときこそ慎重にサービスしなければならない。
ものの十分もしないうちに人々のざわめきが聞こえ出し、最初の一団の到来を告げる。
と、同時に、華やかなメロディも聞こえてきた。
メロディはどんどん近くなり、子供達のはしゃぐ声も聞こえる。何事かとエントランスを見つめていると、客に混じって、ファンタジーランドのキャラクター達が現れた。
着ぐるみの動物達やドレスのお姫様、白タイツの妖精だか王子様だか判らないがとにかく笑顔のお兄さん、花かごを下げた少女、の扮装をしたお姉さん。
パレードの出演者達だ。自力で動き回れるスタイルのキャラクターだけだが、小規模の楽隊まで連れている。華やかな集団はそのままホテルのロビー内を行進する。
一体何事だ? 何も聞いてないぞ。
フロントの方を見るとマネージャーが来ていて、何事か話している。目が合ったフロントの同僚が小さくOKのサインをよこす。どうやら新年特別サービスという事にするらしい。そういえば楽隊の音量もすでに眠っている人を慮ってか、小さめだ。もっとも、思いっきり鳴らしたところで客室内にまで聞こえるような安普請のホテルではないが。
騒ぎを聞きつけた宿泊客が、吹き抜けになっているロビー内のベランダに顔を出す。この騒ぎに足を止める客と部屋に返る客に別れるせいで、フロントは殺到する集団を一度に相手にすることもなく、去年より優雅に客をさばいていた。
行列はロビーを円形に数周すると、2階のテラスに上がるつもりか、階段の方へ移動していく。
お姫サマに王子サマ、妖精に森の動物達。
嘘くさくて胡散くさい、子供だましのパレード。
そしてそれに乗ってやる心優しき大人達。
周りの人々に小さな花を渡しながら歩いてゆく花売り娘を眺めながら、ベルボーイは泣きたいような、嬉しいような気持ちになった。
彼も今頃、見知らぬ誰かをこんな気持ちにしているのだろうか。
視線をパレードから引き戻し、ベルボーイは自分の仕事に戻ろうとしたが見物客に阻まれ、まさか押し退ける訳にも行かず、とうとう非常階段の方にまで押し出されてしまった。
なんとか活路を見いだそうとするベルボーイの視界は、しかし突如現れた着ぐるみの背中に遮られた。
着ぐるみはそのままぐいぐいと押してきて、暴れるベルボーイごと非常階段の耐火ドアをくぐる。
「ちょ、ちょっと……」
そのまま、着ぐるみとベルボーイは非常階段に入り、着ぐるみはあろうことか後ろ手に耐火ドアを閉めた。
「あなたね……!」
耐火ドアを開けようと伸ばされたベルボーイの手を、着ぐるみの手がそっと押さえる。
そしてもう一方の手の、4本しかない指の一本をぴん、と立てるとちっちっちっ、とどでかい顔の前で振った。
着ぐるみはミッキーだった。
呆気にとられたベルボーイの前でミッキーはごそごそと頭を取る。どでかい頭の下には、真冬に汗だくになった彼の男前な顔があった。
「さすがにファンタジーランドからここまで踊りながら来るとキクな」
彼は太陽のように笑うと、新年の挨拶をした。
「何やってんだ……」
首のタオルでがしがしと汗を拭う彼を見つめながらベルボーイは一瞬、仕事も今いる場所も忘れた。
「お前、前に言ってじゃないか。正月に一緒にいたことってないな、って」
「……え…?」
「いや、俺もそうだなって思って。お互いこんな仕事だからしゃーないっていえばまあそうなんだがな。でもよ、くやしーじゃん」
「はああー?」
「やるだけやってみて駄目だってんならともかく、やってもみないうちから諦めるのなんて俺の主義に反する」
市井で蕎麦屋が駆けずり回る中、東京ファンタジーランドはカウントダウンに向けて最高潮の盛り上がりを見せていた。
隣接するファンタジーランドホテルでは、ホテルマン達が束の間の休息をとっている。
新人ベルボーイは、やっと馴染んできたユニフォームの形を整えながら、時折聞こえてくる花火の音や喧噪に思いをはせていた。
ベルボーイの恋人はミッキーだった。
正確にいえば、ファンタジーランドのマスコットキャラクター『ミッキー』の着ぐるみの中に入っている人物、である。劇団員の彼は当初一日に何回か行なわれるパレードで白タイツで踊っていたが、ある日助っ人として着ぐるみに入って以来、すっかりその虜となった。
「単なるかぶりものを生きているかのごとく表現するんだぜ! しかし中に入っている俺を感じさせちゃダメなんだよ。子供は正直だぜ、頼りない奴にはシッポ踏んだりどついたりするのに、上手い奴にはなつくもんなあーっ」
以来、その美貌を惜しまれつつも着ぐるみ専門となり、ついにミッキーに入ることを許されたのである。
「年末は俺に決まったぞ!」
夕食までととのえて健気に待っていたベルボーイに、彼は開口一番そう叫ぶと一人で騒ぎながらバスルームへ直行してしまった。しばらくすると水音と共に『イッツ・ア・グレートワールド』の鼻歌が聞こえてくる。
少し悲しくなっているベルボーイを他所に、彼はカウントダウン直後新年一番のパレードでミッキーに入ることが決まった、と嬉々としてしゃべりながら当然のように飯をわしわしと食った。
こんな時ベルボーイは一体なんでこいつとデキてるんだろう、と真剣に悩むのだが、彼の口一杯に飯をほおばっていても男前な容貌を見ていると、つい先送りにしてしまう。
新人ホテルマンとして超が三つぐらいつく忙しさの中のささやかな休日を、こうして彼を待ちわびてふいにしてしまう事についてどう思ってるのか、一度聞いてみたいものだと思う。
「あ、おかわり!」
それでも、突き出されたどんぶりを素直に受け取ってしまうベルボーイだった。
大きな鏡の前で、彼がポーズをとっている。
ピンと伸ばした両手を天高く突き上げ、こころもち首を傾け、片足をナナメに蹴り出したミッキーの「キメ」ポーズである。
就寝前の軽いトレーニングだといいつつ、もう一時間も鏡に向かっていた。
別に、早く布団に入ってほしいとか布団の中でトレーニングすりゃいいじゃんとか言う訳ではないが、なんとなく反対側に寝返りをうってしまうぐらいには、面白くなかった。
こうしてまた今日も終わるのだ。
人生を浪費している様な気になって、次の瞬間その考えに思わず首を振った。そんな事を思えるほど自分の人生は価値ある物でもないし、彼に罪がある訳でもないのに。
でもでも、だからといっていいのか。こんなんでいいのか。大体俺達どうやってこういう関係になったんだ……
気がついたら朝で、となりでは彼が太平楽に眠っていた。
花火の音が間断なく続き、波のような歓声がホテルまでとどく。はっとして時計を見ると針が一本に重なっていた。新年を迎えたのだ。
ホテルマン達の間から新年の挨拶が流れ出す。ベルボーイもそれに応じ、時折通る客に声をかけながら、気を引き締めた。
もうすぐするとファンタジーランドから返って来た客でロビーは戦場になる。気分は高揚しているが疲れてもいる家族連れやカップル達だ。こういうときこそ慎重にサービスしなければならない。
ものの十分もしないうちに人々のざわめきが聞こえ出し、最初の一団の到来を告げる。
と、同時に、華やかなメロディも聞こえてきた。
メロディはどんどん近くなり、子供達のはしゃぐ声も聞こえる。何事かとエントランスを見つめていると、客に混じって、ファンタジーランドのキャラクター達が現れた。
着ぐるみの動物達やドレスのお姫様、白タイツの妖精だか王子様だか判らないがとにかく笑顔のお兄さん、花かごを下げた少女、の扮装をしたお姉さん。
パレードの出演者達だ。自力で動き回れるスタイルのキャラクターだけだが、小規模の楽隊まで連れている。華やかな集団はそのままホテルのロビー内を行進する。
一体何事だ? 何も聞いてないぞ。
フロントの方を見るとマネージャーが来ていて、何事か話している。目が合ったフロントの同僚が小さくOKのサインをよこす。どうやら新年特別サービスという事にするらしい。そういえば楽隊の音量もすでに眠っている人を慮ってか、小さめだ。もっとも、思いっきり鳴らしたところで客室内にまで聞こえるような安普請のホテルではないが。
騒ぎを聞きつけた宿泊客が、吹き抜けになっているロビー内のベランダに顔を出す。この騒ぎに足を止める客と部屋に返る客に別れるせいで、フロントは殺到する集団を一度に相手にすることもなく、去年より優雅に客をさばいていた。
行列はロビーを円形に数周すると、2階のテラスに上がるつもりか、階段の方へ移動していく。
お姫サマに王子サマ、妖精に森の動物達。
嘘くさくて胡散くさい、子供だましのパレード。
そしてそれに乗ってやる心優しき大人達。
周りの人々に小さな花を渡しながら歩いてゆく花売り娘を眺めながら、ベルボーイは泣きたいような、嬉しいような気持ちになった。
彼も今頃、見知らぬ誰かをこんな気持ちにしているのだろうか。
視線をパレードから引き戻し、ベルボーイは自分の仕事に戻ろうとしたが見物客に阻まれ、まさか押し退ける訳にも行かず、とうとう非常階段の方にまで押し出されてしまった。
なんとか活路を見いだそうとするベルボーイの視界は、しかし突如現れた着ぐるみの背中に遮られた。
着ぐるみはそのままぐいぐいと押してきて、暴れるベルボーイごと非常階段の耐火ドアをくぐる。
「ちょ、ちょっと……」
そのまま、着ぐるみとベルボーイは非常階段に入り、着ぐるみはあろうことか後ろ手に耐火ドアを閉めた。
「あなたね……!」
耐火ドアを開けようと伸ばされたベルボーイの手を、着ぐるみの手がそっと押さえる。
そしてもう一方の手の、4本しかない指の一本をぴん、と立てるとちっちっちっ、とどでかい顔の前で振った。
着ぐるみはミッキーだった。
呆気にとられたベルボーイの前でミッキーはごそごそと頭を取る。どでかい頭の下には、真冬に汗だくになった彼の男前な顔があった。
「さすがにファンタジーランドからここまで踊りながら来るとキクな」
彼は太陽のように笑うと、新年の挨拶をした。
「何やってんだ……」
首のタオルでがしがしと汗を拭う彼を見つめながらベルボーイは一瞬、仕事も今いる場所も忘れた。
「お前、前に言ってじゃないか。正月に一緒にいたことってないな、って」
「……え…?」
「いや、俺もそうだなって思って。お互いこんな仕事だからしゃーないっていえばまあそうなんだがな。でもよ、くやしーじゃん」
「はああー?」
「やるだけやってみて駄目だってんならともかく、やってもみないうちから諦めるのなんて俺の主義に反する」