Vortex
確かおれは、こう聞き返したと思う。伊吹は胸を張って、言った。
『私は多分、落ちるとこまで落ちると思うんです。変な客にストーカーされて殺されたり、そういう感じで』
まるでそうなることを望んでいるように、その声は澄んでいた。おれが聞き役に徹していると、伊吹は続けた。
『この子は、自分が幸せになったって思ったら、絶対ここにお礼に来るから』
その先は想像がついたが、おれは促すことなく待った。伊吹はすうっと息を吸い込むと、冗談めいた笑顔で言った。
『そのときに、殺してください。私みたいに、全部台無しになったらいい』
あの日、伊吹寧音と話したときに願い事の生々しさを目の当たりにしてからは、もう絵馬を補充するのはやめて、お礼だけを表向きにして飾りつけていた。ただ、あの一枚だけは特別で、裏返したまま未解決の絵馬として残していた。
伊吹寧音は、昨日ニュースで記事になったばかりだ。自分で宣言した通り、雑居ビルの一階でストーカーに刺されて死んだ。そして伊吹が予言したことがもうひとつ、ついさっき起きた。
「ほんまに、来よるとはなあ」
おれは『よろしくお願いします』と書かれた絵馬を手に取った。狭い町だから、とりあえず居そうな所から順番に当たっていけば、いつかは辿り着く。まずは実家からで、問題ないだろう。
今から三十年前、ランタンを奪って男の顔面に叩きつけたときの感触。もうすっかり忘れた気でいたが、その高揚はいつの間にか、手の中に蘇っていた。