Faff
− 現在 −
夜食にしても遅い時間なのに、ほんと、甘いものを食べても全然太らないな。ツグミは、向かい合わせでパフェを食べるカラスの顔を見ながら、跳ねるように外へ巻いたくせ毛に指を回して、小さく息をついた。カラスはウエハースをひと口かじると、歯を見せないようにしながら笑った。
「惚れる?」
「なんの話?」
ツグミはそう言うと、隣のテーブルでビールを飲むモズの二人組に目を向けた。カラスはウエハースの粉を吸い込んで軽くせき込むと、明るい茶髪のショートヘアを横に振った。
「違うよ、わたしの顔を見て、惚れ惚れしてんのかと思ったんだって」
「早く食べな」
ツグミはそう言って口角を上げると、ブラックコーヒーをひと口飲んだ。契約殺人の拠点として稼働するホテルの住人として生まれて、二十五年が経った。自分の生き方は、世間一般の常識とかけ離れている。そのことを意識したのは十歳のときで、ついたままになったテレビを見ていたときだった。隣には同じく十歳だったカラスが座っていて、テレビには興味がなさそうに、目の前に飴玉を並べていた。
モズの二人組がガタガタと椅子を引いて立ち上がり、空になった二つのジョッキだけがテーブルの上に残されたとき、カラスはウエハースを飲み込んで言った。
「せっかくバン用意してんのに、ブルーシートすら敷かないんだよな、あいつら」
カラスはさっきまで、ニッサンバネットの水切り穴に残った血と格闘していた。ツグミは肩をすくめると、二人のために用意した弾のことを思い出しながら、言った。
「バラバラになったのかな。12ゲージだし、3インチマグナムだからね」
カラスは納得したようにうなずきながら、ソフトクリームの山を崩し始めた。
「だからこそ、撃つ前に養生してほしいんだよ。若い奴らってのは、ほんとにさあ」
「今の二人って、二十歳ぐらい?」
ツグミが自分の体を見下ろしながら言うと、カラスはうなずきながら笑った。
「多分。うちらの稼業なら、あと五年生きられたら上等じゃね? 二十五歳なんて、人間に換算したら定年だって。あ、それだとうちらも今年で二十五だ」
オチを自分で追加して、カラスは顔を傾けながら笑い続けた。ツグミは表情だけで追随し、考えた。残り時間を気にするようになったのは、自分だけでなく、ほとんどの人間が十年以内に代替わりしているという事実を知ったときだった。
沖浜グランドホテルに住み込みで働いている、六人の構成員。フロントにいたり、それぞれの役割をこなしていたり、その一日はなかなか慌ただしい。基本的に勤務時間は朝の八時から夕方の五時までだが、夜の点呼は形だけで、仕事は二十四時間続いている。
聞いた話だと、組織の中での立ち位置はそれなりに上の方らしいが、本当の上層部の人間が持っているような自由はないし、外を飛び回って依頼通りに人を殺すモズのように、誰もいない場所で息抜きをする時間もない。ただ、中で役割をこなしてさえいれば、頭に弾が飛んでくることはない。それだけだ。そのはずなのに、代替わりのペースは速い。
カラスが代替わりしたのは、八年前。詳細は教えてもらっていないが、事故死したメジロを解体する羽目になり、全てが嫌になって自殺したと噂で聞いた。白羽の矢が立ったのが、ちょうど目の前でパフェを食べ終えたばかりの、今のカラス。当時は十七歳で、腰までつきそうなぐらいに長い金髪だった。選ばれた当日はさすがにショックを受けていたけど、解体で水を使ったり血が跳ねたりするということを知った次の日に、ショートカットまで髪を切り詰めた思い切りの良さは、真似できそうにない。
今思い返しても、先代は呪われていたように思える。
なぜなら、カラスの事件があったのと同じ日にヒバリが失踪して、二ヶ月後にクジャクが車のトランクから死体で上がり、年明けにはツグミまで消えたのだから。そうやって、料理長を務めるカワセミ以外の五人が、全員代替わりした。部屋の管理係を務めるクジャクのポストが空いたとき、自分に声がかかるのではないかと期待したが、それは別の子が担当することになり、自分の役割はツグミになった。今でも、適性はないと思う。銃自体が嫌いだし、元々きっちりとした性格ではない。情報通に思われがちなのは、単に記憶力が良くて暗記が得意だからだ。今のポストで唯一気に入っていることがあるとすれば、車や装備の受け取りで時々外に出られるということだけ。ただ、見張りのようにモズがひとりついてくるから、気は抜けない。
この組織に身を置いている以上、その寿命が短くて結末があっけないことぐらいは、理解している。だから、自分たちにもいずれ、この食堂を利用する最後の日がやってくる。それはカラスも承知だろうし、もっとドライに考えているかもしれない。自分はどうしても、そこまで割り切れない。無数の歯車に囲まれた歯車である以上、そこから抜け出すには相当な努力と覚悟が必要だ。ツグミはブラックコーヒーを飲み干すと、出入口に現れたサクラに目で一礼して、カラスに囁いた。
「呼ばれそう」
「ご安全に。んじゃね」
カラスは手をひらひらと振ると、前髪に半分隠れた方の目でウィンクをした。ツグミは小さく息をつくとコーヒーカップを持って立ち上がり、返却口にそうっと置くと、もう一度出入口の方を見た。軽く腕組みをしたサクラは食堂の中を見回しているだけで、こちらを向いてはいない。でも、出ようとしている人間の誰かに用があるのは確かだ。そのトレードマークは、背中に流れるストレートの黒髪と、市松人形のように切り揃えられた前髪。目尻はやや下がっていて、メイク次第では優しい顔に見えることもある。三十歳になったばかりで、ヘビースモーカーだから顔色は常に悪い。担当は予算管理と人事。上司のアザミと同じで小柄だが、サクラはモズからの転向組で、数えきれないぐらい人を殺している。その全身から漂う冷気のようなオーラは、アザミが持つ容赦の無さとはまた別の何かだ。
もしかしたら、用があるのは自分ではないのかもしれない。そう思ってやり過ごそうとしたとき、通り過ぎてから少し掠れた声がかかった。
「ちょっと時間ある?」
「はい」
ツグミが振り返ると、サクラは細い指で会議室を指差した。黒髪が流れる背中を見ながら後をついて歩く間、ツグミは呼吸を整えた。会議室では、ロクなことが起きない。前にモズが勝手に地図を差し替えたときは、この部屋でアザミから二時間も事情聴取された。ベテランの城見を失ったことにかなり怒っていたから、口調もかなりきつかった。その怒りは当然だと思うが、答え方ひとつで人生の残り時間が十数分になるこっちの立場にもなってほしい。サクラが先に会議室に入ると、長机の真ん中に陣取ってノートパソコンの画面をじっと見つめていたアザミが、顔を上げた。
「ツグミ、こっち側に座って」
言われた通りにツグミが隣に腰を下ろすと、アザミはイヤホンを外した。ジャニスジョップリンのボールアンドチェインが小さく音漏れする中、抑えた声で言った。
「あなたの殺害予告が出てる」
ツグミが目を丸くすると、向かい合わせに座ったサクラが、新しいコマーシャルを観た感想のように淡々とした口調で、後を引き取った。
夜食にしても遅い時間なのに、ほんと、甘いものを食べても全然太らないな。ツグミは、向かい合わせでパフェを食べるカラスの顔を見ながら、跳ねるように外へ巻いたくせ毛に指を回して、小さく息をついた。カラスはウエハースをひと口かじると、歯を見せないようにしながら笑った。
「惚れる?」
「なんの話?」
ツグミはそう言うと、隣のテーブルでビールを飲むモズの二人組に目を向けた。カラスはウエハースの粉を吸い込んで軽くせき込むと、明るい茶髪のショートヘアを横に振った。
「違うよ、わたしの顔を見て、惚れ惚れしてんのかと思ったんだって」
「早く食べな」
ツグミはそう言って口角を上げると、ブラックコーヒーをひと口飲んだ。契約殺人の拠点として稼働するホテルの住人として生まれて、二十五年が経った。自分の生き方は、世間一般の常識とかけ離れている。そのことを意識したのは十歳のときで、ついたままになったテレビを見ていたときだった。隣には同じく十歳だったカラスが座っていて、テレビには興味がなさそうに、目の前に飴玉を並べていた。
モズの二人組がガタガタと椅子を引いて立ち上がり、空になった二つのジョッキだけがテーブルの上に残されたとき、カラスはウエハースを飲み込んで言った。
「せっかくバン用意してんのに、ブルーシートすら敷かないんだよな、あいつら」
カラスはさっきまで、ニッサンバネットの水切り穴に残った血と格闘していた。ツグミは肩をすくめると、二人のために用意した弾のことを思い出しながら、言った。
「バラバラになったのかな。12ゲージだし、3インチマグナムだからね」
カラスは納得したようにうなずきながら、ソフトクリームの山を崩し始めた。
「だからこそ、撃つ前に養生してほしいんだよ。若い奴らってのは、ほんとにさあ」
「今の二人って、二十歳ぐらい?」
ツグミが自分の体を見下ろしながら言うと、カラスはうなずきながら笑った。
「多分。うちらの稼業なら、あと五年生きられたら上等じゃね? 二十五歳なんて、人間に換算したら定年だって。あ、それだとうちらも今年で二十五だ」
オチを自分で追加して、カラスは顔を傾けながら笑い続けた。ツグミは表情だけで追随し、考えた。残り時間を気にするようになったのは、自分だけでなく、ほとんどの人間が十年以内に代替わりしているという事実を知ったときだった。
沖浜グランドホテルに住み込みで働いている、六人の構成員。フロントにいたり、それぞれの役割をこなしていたり、その一日はなかなか慌ただしい。基本的に勤務時間は朝の八時から夕方の五時までだが、夜の点呼は形だけで、仕事は二十四時間続いている。
聞いた話だと、組織の中での立ち位置はそれなりに上の方らしいが、本当の上層部の人間が持っているような自由はないし、外を飛び回って依頼通りに人を殺すモズのように、誰もいない場所で息抜きをする時間もない。ただ、中で役割をこなしてさえいれば、頭に弾が飛んでくることはない。それだけだ。そのはずなのに、代替わりのペースは速い。
カラスが代替わりしたのは、八年前。詳細は教えてもらっていないが、事故死したメジロを解体する羽目になり、全てが嫌になって自殺したと噂で聞いた。白羽の矢が立ったのが、ちょうど目の前でパフェを食べ終えたばかりの、今のカラス。当時は十七歳で、腰までつきそうなぐらいに長い金髪だった。選ばれた当日はさすがにショックを受けていたけど、解体で水を使ったり血が跳ねたりするということを知った次の日に、ショートカットまで髪を切り詰めた思い切りの良さは、真似できそうにない。
今思い返しても、先代は呪われていたように思える。
なぜなら、カラスの事件があったのと同じ日にヒバリが失踪して、二ヶ月後にクジャクが車のトランクから死体で上がり、年明けにはツグミまで消えたのだから。そうやって、料理長を務めるカワセミ以外の五人が、全員代替わりした。部屋の管理係を務めるクジャクのポストが空いたとき、自分に声がかかるのではないかと期待したが、それは別の子が担当することになり、自分の役割はツグミになった。今でも、適性はないと思う。銃自体が嫌いだし、元々きっちりとした性格ではない。情報通に思われがちなのは、単に記憶力が良くて暗記が得意だからだ。今のポストで唯一気に入っていることがあるとすれば、車や装備の受け取りで時々外に出られるということだけ。ただ、見張りのようにモズがひとりついてくるから、気は抜けない。
この組織に身を置いている以上、その寿命が短くて結末があっけないことぐらいは、理解している。だから、自分たちにもいずれ、この食堂を利用する最後の日がやってくる。それはカラスも承知だろうし、もっとドライに考えているかもしれない。自分はどうしても、そこまで割り切れない。無数の歯車に囲まれた歯車である以上、そこから抜け出すには相当な努力と覚悟が必要だ。ツグミはブラックコーヒーを飲み干すと、出入口に現れたサクラに目で一礼して、カラスに囁いた。
「呼ばれそう」
「ご安全に。んじゃね」
カラスは手をひらひらと振ると、前髪に半分隠れた方の目でウィンクをした。ツグミは小さく息をつくとコーヒーカップを持って立ち上がり、返却口にそうっと置くと、もう一度出入口の方を見た。軽く腕組みをしたサクラは食堂の中を見回しているだけで、こちらを向いてはいない。でも、出ようとしている人間の誰かに用があるのは確かだ。そのトレードマークは、背中に流れるストレートの黒髪と、市松人形のように切り揃えられた前髪。目尻はやや下がっていて、メイク次第では優しい顔に見えることもある。三十歳になったばかりで、ヘビースモーカーだから顔色は常に悪い。担当は予算管理と人事。上司のアザミと同じで小柄だが、サクラはモズからの転向組で、数えきれないぐらい人を殺している。その全身から漂う冷気のようなオーラは、アザミが持つ容赦の無さとはまた別の何かだ。
もしかしたら、用があるのは自分ではないのかもしれない。そう思ってやり過ごそうとしたとき、通り過ぎてから少し掠れた声がかかった。
「ちょっと時間ある?」
「はい」
ツグミが振り返ると、サクラは細い指で会議室を指差した。黒髪が流れる背中を見ながら後をついて歩く間、ツグミは呼吸を整えた。会議室では、ロクなことが起きない。前にモズが勝手に地図を差し替えたときは、この部屋でアザミから二時間も事情聴取された。ベテランの城見を失ったことにかなり怒っていたから、口調もかなりきつかった。その怒りは当然だと思うが、答え方ひとつで人生の残り時間が十数分になるこっちの立場にもなってほしい。サクラが先に会議室に入ると、長机の真ん中に陣取ってノートパソコンの画面をじっと見つめていたアザミが、顔を上げた。
「ツグミ、こっち側に座って」
言われた通りにツグミが隣に腰を下ろすと、アザミはイヤホンを外した。ジャニスジョップリンのボールアンドチェインが小さく音漏れする中、抑えた声で言った。
「あなたの殺害予告が出てる」
ツグミが目を丸くすると、向かい合わせに座ったサクラが、新しいコマーシャルを観た感想のように淡々とした口調で、後を引き取った。